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ともに歩んだ3年間

関学スポーツは3年生の12月31日で活動が終わる。
最後の取材を終えた日から、何も手に付かない。
心にぽっかり穴が開いてしまった。

記者には第三者の視点が求められる。
ときには厳しいことも書かなければならない。
私にはそれができなかった。

1年生の頃は泣いている選手を見ても、他人事として捉えていた。
だがあるときから、直視できなくなった。
選手たちを知れば知るほど、その涙が苦しかった。
大学生活の全てを捧げる彼らに辛辣な言葉はかけられない。かけたくない。
記事は背中を押すような文言ばかり。
シャッターを切りながら涙を流し、思わず「頑張れ」と呟いてしまう。
これでいいのか。学生記者としての役目は果たせているのだろうか。
試合の度に、感情移入をしてしまったと反省した。

その戸惑いを払拭してくれたのが、準硬式野球部。
今年の春はあと一歩のところで、優勝や全国大会を逃した。
数日後には、次の試合が控えている。
戦わなければならない。
そんな状況だからこそ、少しでも前向きな気持ちになってほしくて。
悔し涙を流したみんなに笑ってほしくて。
記事を書き続けた。
後日ある選手が『一緒に戦ってくれて
味方でいてくれてありがとう』と伝えてくれた。

試合の結果はプロの記者に任せれば良い。
選手のために記事を書こう。
担当部の一言が、私の背中を押した。

一方で孤独だった。
取材は基本的に1人でこなす。
遠征取材でも会場に向かうのは自分だけ。
試合速報の校閲もオンライン上で行われる。
どれだけ劇的な勝利をしても、記録を出しても、私は歓喜の輪を見つめシャッターを切るだけ。
周囲を見渡しても学生はいない。
いるのはプロの記者だ。
それが私の役割であることは分かっているが、どれだけチームを追いかけても知っても部外者であることに変わりはない。
喜びを分かち合える、弱音を吐ける仲間が側にいる選手たちが、眩しく見えた。

11月に入ると引退ラッシュが始まった。
まずはフェンシング部。
試合後のミーティングで、円陣に参加させてくれた。
全国大会を逃し引退を迎えたラグビー部。
涙を堪えていた私の元へ、4年生のマネージャーが駆け寄ってきてくれた。
特に言葉を交わすわけでもなく、一緒に泣いた。
重量挙部からは、たくさんのメッセージが書かれた色紙をいただいた。

「チームメイトではない」。
そんなことを気にしていたのは私だけだった。
同じ景色を見ることができる。
それに気がついたとき、胸のつかえが下りたような気がした。
最後まで記者らしいことは、何もできなかった。
それでも『あなたは僕たちの唯一の応援団です』
と伝えてくれた選手がいる。
私の選択はきっと、間違っていなかった。

最後に同期のみんなへ。
技量のなさに落ち込んだ日も
心身ともに疲弊してしまった日も
担当部に情熱を注ぐみんながいたから
前を向くことができた。
同期がこの5人じゃなければ、続けられなかった。
一緒に戦ってくれてありがとう。

関学スポーツ編集部 松下蒼


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