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「天狗倒」

 九州中部に住む、松本さんに聞いた話。大工であった祖父が度々語って聞かせた話だという。
 
 松本さんの祖父を、真悟さんとする。彼が三十代の頃、少し遠い山中の集落の家の新築を請け負うことになった。
 自宅から距離があったため、平日の間は集落の離れを借りて生活し、土日にバイクで自宅へ帰る生活だったそうである。
 
 ある梅雨時の午後、仕事を終え山道を自宅へ向かっていた時のこと。
 仕事先の集落から自宅までは、山を駆け下りるような細い川沿いの、当時は舗装も不十分だったという道路を下る。広葉樹の深い緑が頭上を覆い、湿気がまとわり付くような場所であった。

 眼前に、細い脇道があるのに気がついた。単車を止めてみると、人が二人並んで歩ける程の山道が、斜陽を遮る森の暗がりに伸びている。足元には疎らに石段が敷かれており、露を受けて艶々としていた。
 こんな道があったろうかと、真悟さんは思案したが覚えがなかった。しかし古い参道のようにも見え、この先に神仏の社のひとつでもあるならばと、単車を降り歩いてみることにした。

 薄暗い道を暫く進むと、やはり石段の密度が増し、いつしか石畳となった。周囲からはカーンカーンと、杣人が斧を木に当てるような音が聞こえている。

 更に100メートル程進むと視界が開け、突き当りは広場のような丸い空間が現れた。瞬間、目を疑ったという。
 赤い少女が、こちらに背を向けて立っていたからである。

 10歳に満たない程の背丈に、細かい柄までは見えないが深紅の振り袖と金糸の帯、そして黒い髪が腰まで疎らに伸びていた。広場の隅の暗がりに紛れるように、項垂れている。

 この時間、この山奥に少女が一人。この世のものではないのは明らかであった。じっとりと背に汗が吹き出すのを感じる。周囲からは未だ、カーンカーンという音が響いている。その音が二重三重に響き、まるで囲まれているかのような感覚がしたという。

 音を立てぬよう振り返り、その場を後にした。
駆け足に山道を駆け下りる最中も、木を打つ音は響いていた。


 「森の中で知らない道に逸れてはいかん」真悟さんはよく語って聞かせたそうである。

 天狗倒し、あるいは古杣とも言う名の妖怪が日本各地に伝わっている。木を切る音や話し声が山中から聞こえるが、その正体を見ることができないという。祖父の話はそれに類するものなのではないかと、松本さんは話していた。

 祖父が振り袖の少女を再び見ることは無かったそうである。

松本さんから聞いた話。

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