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脚本のひとりごと〜17期卒業公演『Endless Ends』〜

こんにちは。17期卒業公演、『Endless Ends』にご来場くださった皆様、応援してくださった全ての皆様、ほんとうにありがとうございました。脚本の今野です。
私は終演してからというもの、本番動画を見返し続け回ごとの違いを楽しむなど、完全に卒公の時空の歪みに閉じ込められた人になっています。

それで、卒公の脚本を書くにあたり考えたことや裏話などを文字媒体で発信できたりしないかな、と思っていたところ、コロナ禍で始めようとして挫折したnoteアカウントの存在を思い出しました。この場をお借りして、大好きで大切な公演について少し語らせてください。

なお、キャストや関係者の匿名性を確保しようとした結果面白い感じになる箇所もあるとは思いますがご愛嬌で。


作品の構想開始について

この卒公の元となる構想を初めて人に話したのは1年前の2022年2月、ひとつ上の先輩たちの卒公を見た帰り道でした。
一緒に行った制作部署長と劇場から早稲田まで歩きながら、「もし私が卒公のクリエイティブに関われたら、エンドレスな卒公で、卒公が永遠に繰り返される世界に閉じ込められたうちらが、タイムワープを使って色んな世界線に行く話をやってみたい」と早口で話したのを覚えています。「エンドレスな卒公っていう概念から構想を始めた」のも、「抜け出す手段としてのタイムワープ」も、本当です。
まさかそれがそのままの形で実現できるとは思わなかったです。受け入れてくれた演出と企画のみんな、関係者の皆様、ありがとうございました。

なんでエンドレスをテーマにしようと思ったのかはあまり覚えていなくて、正直直感だったと思います。ハルヒのエンドレスエイトを例に出したことは覚えているんですが…

でも、実際に執筆するにつれて「エンドレス」の意味合いがなんとなく見出せてきたんです。それについて書いた当日パンフレットの演出・脚本挨拶の第一稿(脚本側のエッセンス100%)の抜粋を載せようと思います。

これまでの先輩方の卒業公演の舞台には、見たことのないような輝きが宿っていました。その輝きの理由は「最後」である故だと仮定すると、卒業公演から「最後」の要素を抜く物語にしてみたらどうなるのだろう。そんな仮説を試してみたのが、「Endless Ends」です。

パンフめくってすぐこれ書いてあったら若干の恐怖を感じるわ。良かったあ演出との合同挨拶で。
でも、この「最後」や「終わり」の美学、「永遠じゃない故の美しさ」みたいな観点は、小さい頃から心の奥底でずっと持ってた気がします。私が中学生の頃ずっと大事に読んでいた本は、森絵都さんの『永遠の出口』なのですが、「題名Endless Endsと同義じゃん!」と稽古期間中に気づきました。話は全然違いますが日常を抱きしめたくなる素敵な本なので是非。

構想の練り上げ方について

私は、演出とのざっくばらんな妄想の共有を通じて骨子(だいたいのプロット)を固め、それを文字に起こしていく方針を取っています。

今回は夏〜秋にかけて不定期で演出と私が話して作り上げた叩き台をもとに、11月頭に企画陣も交えたアイデア出し大会を行って、そこから2週間ほどで文字に起こして、ほぼ現在の構成になりました。(楽曲はアイデア出し大会で確定しました)

初期からいちばん大きく変更したことは、黒幕(問題の要因)を個人にしなかったことでしょうか。当時は、終わらせに行きたいみんなVSみんなに混ざるふりをしているけど卒団したくなさから裏で時空の歪みを作る黒幕、のような構図も考えていたのですが最終的には、時空の歪みが起こった要因はなんだかよく分からない、でもそれにみんなで抗っていく、という構図に決めました。(「根本的な原因」は時計の針が外されたことですが、時計の針が外されたことでなぜ時空の歪みが発生してしまったのか、そこに誰かの思惑は絡んでいるのか、という点について明確に書いていないという意です。)

「バラバラだった17期」が「今じゃ団結」するためには、あからさまに正反対の向きを向いている心が発生するよりは、場所はバラバラだけれど心は結局みんな同じ方向を向きたかったという過程を描いた方が効果的だと思いますし、良かったと思います。
現実のコロナ禍もなんだかよく分からない要因のまま発生しましたし、その暗喩としても良かったかなと。

タイトルについて

パンフレットに書きましたが、このタイトルは「永遠が終わる」、名詞と動詞の関係性という解釈で私は捉えています。

これは12月頃演出と話し合って決めたものでした。作品の展開上エンドレス要素はどうしてもタイトルに入れたい。けれどエンドレスを形容詞とみなしてタイトルを組むと、どうしても「最後」の要素が薄れてしまう気がする。縋っているように見えないためにも、そして自分たちが終演後に縋らないためにも、「End」の言葉を置きました。

私が光一さんのファンであることも相まって、語感EndlessSHOCKだけど大丈夫?というツッコミもありましたが、やはりこれ以上にしっくりくるものはないと演出脚本間での強い意志がありこのタイトルになりました。

「みんなの手で終わらせに行く」という作品の重要テーマは、このタイトルが決定したことで定まった気がします。M12中のセリフ「終わらせるためだと思う」やM13インのセリフ「最後はみーんなで!終わらせに行こう!」も、タイトル決定以降、テーマを補強するために追加した言葉たちでした。


本題

前置きが長くなりましたが、ここからは冒頭から作品を振り返るタームに入ります。

M1

この曲は、コロナで中止になってしまった2個上の先輩方の卒業公演で1曲目に入る予定の曲だったそうです。それを知っていたので最初はこの曲を入れるのを個人的に少し躊躇っていたのですが、この曲が持つ盛り上げ力とインパクトがダントツだったこと、そして先輩方の意志を少しでも形に残すという意味も込めて入れる形になりました。

そのあとM1が繰り返され、訝しがりながら続けるキャスト。あらすじに少し記載していたとはいえ、同じ曲がなぜかもう一度始まるという時空の歪みの開始に、お客様も舞台の上の人達と一緒に困惑を味わってくださってたら幸いです。

そしてとうとう代表の一声により曲が止まってしまいます。Show must go onが定説の舞台の世界で本番を止めてしまう異例の事態は、コロナによって何度もその定説が覆された時代になったという暗喩も込めています。

ちなみに、M1がパフォーマンスされたのは作品内では2回(1.5回)だけどセリフで「3回」やったことになっているのは、真面目でまっすぐな私たちや代表の性格上、2回目ですぐ止めるのは現実的に考えづらいという演出の言葉からです。

M1が止まったことで、作品内での「卒公」は一旦止まってしまうため、劇中劇が終了します。劇中劇と作品の境目が曖昧なM1の構造が私はとっても好きです。


また、今回制作さんたちが舞台上に上がってくるという、客席側からの第四の壁の大破壊を行いました。
(下手な説明ですみませんが、芝居で役を演じるにあたりお客様から見られているという意識を役が持たないことを、観客と役者の間に第四の壁があると言います。役者が観客を認識し話しかける芝居をするような場合は、第四の壁の破壊が行われています。)
制作部署長は演劇を専攻しているので、自分がその破壊役割を担えることをとっても嬉しそうにしていました。


M2

エンドレスな卒公という概念構想にはこの曲が必要不可欠でした。この曲があるから物語は進んでいくし私たちはどこへでも行けました。
有名楽曲だし振付も激し可愛いし、畳み掛けるような盛り上げをお届けできたのではと思います。
ちなみに、最初にMを運んできた2人は、この曲が入っている公演を企画してくれた2人です。底抜けな明るさが大好き。


M3

M2終わりから間髪入れずに鳴り出す曲です。芝居裏でも曲が鳴り続ける構成は後発的偶然の産物でしたが、結果的に作品のテンポの良さをぐっと引き上げてくれて、ミュージカルをあまり知らないような人でも楽しめる構成になった気がします。

最初、私はこの曲のぶっ飛び具合を若干心配していました。「時空の歪みに閉じ込められたから、タイムワープで抜け出そう!」までは理解が追いつくけど、「ワープ先がパラレルワールドで女将ふたりが蕎麦サークルを設立、宝塚受験とグランジュッテ、ダサニット、タンバリン」の情報過多具合は、初めて弊団体の公演をご覧になるお客様には負担が大きいのではないか、と。ですが、蓋を開けると意外と楽しんでいただけたようで良かったです。

一瞬だけ挟まるM4は、新歓公演『Seiren Note』で女将に歌われる予定だった曲です。作品内ではフル尺で、女将の生い立ちなど語られて本当に面白いんですよ。この「毎度」のみの一節だけでも充分迫力と面白さに溢れていて大好きですが…

※新歓公演『Seiren Note』:2020年4月、コロナがなければ、17期が新2年生の代に上演されるはずだった新歓公演。キャストは全員17期の予定だった。作品自体はオリジナルミュージカル『セイレンノート』として改訂され2021年に番外公演で上演されたが、17期キャストでの上演は幻となってしまった。

宝塚受験はキラキラ法被を着ている方の女将がヅカオタだったことからです。なんか日に日にこの寸劇の尺長くなってたな。そろりとラインダンス、みなさんはどちらの回を見られましたか?(ミニマムチェンジすぎる)

タンバリンは、オケにタンバリンの音が入っていることから、「実際に叩かせたらカオスで面白いんじゃねwww」と採用されました。歌詞が決まるより前のことだったので、初期稿のM3の部分には「タンバリンを叩く」というト書きだけが燦然と記載されていました。そういえば、稽古で使うために演出助手が学館の倉庫からタンバリンを取りに行った際、後輩から「何に使うんですか?」と聞かれ、咄嗟に別公演の曲名(小道具でタンバリンが登場)を答えて事なきを得たそうです。

「タイムワープって何!?」という17期の個性爆発混乱の後に、脚本登場ですよね。私は12月に本家ユーリンを観た時にそのメタ性に感動し、この要素を卒公にどうにか取り入れたい!と思い、その日の夜に演出に「M3でタイムワープって何?を脚本に聞いちゃう展開どうかな」とLINEしていました。
なお、脚本のセリフ「メタ発言やめて」は、脚本を呼び出し聞いてしまうという行為に対して言っています。私も曲がりなりにも演劇を学んだので、第四の壁の破壊同様、メタ発言ができたのは唯一無二の贅沢すぎて幸せでした。


M5

夏合宿のバスにタイムワープして、本公演でもバスの曲だったM5が始まる、という展開は、一年前の構想時にはもう考えていました。曲も振付もかっこよくラップ担当もいて、この代でやらないわけにはいかないだろう、と。

「深夜の妄想」。現実になったね

私たちの代が1年生の時しかできなかった夏合宿の存在を後輩にも届けたいという思いもありました。後輩たちへ、作中の治安は話を盛っているので、きっと来年度からの夏合宿はもっと治安がいいと思います。

この曲の作詞は、本公演の元歌詞を一部分ずつ変えることで治安を悪くしていく戦法を取りました。「星条旗」を「中ジョッキ」にできたのがお気に入りです。
ラップは、みんなでレスポンスする部分が言ってて楽しいといいな、と思いながら書きました。「阿鼻叫喚」は言いやすいし聞いてておもろい四字熟語で好きです。


M6

これは仲良しの制作部署長が「卒公で部署長ナンバーやってる夢を見た」というのを現実にしたものです。元々私も、各部署の部署長が揃い踏みしているこの代でそれをネタにしない訳にはいかない、と思っていました。普段スタッフをやることの多い同期たちが、舞台を広々使って歌って芝居している姿は見ていて幸せでした。

ちなみに広報部署長が「オンライン新歓で18期たくさん入れるぞって頑張ったなあ」って話してる時、ちょうど上手袖に2020年当時一緒に頑張ってた広報部メンバーが集結して待機してるんですよね。千秋楽の日に気づいて、また面白い偶然が、となりました。

大道具部署長の「どうも!」は、リーガリーで使った録音で、元は感謝じゃなくて挨拶でした。あと、制作部署長は、この場のセリフを成立させるために1月中に部署長を後輩に引き継いだそうです。

そんでもって歌詞はまた楽しく書かせてもらいました。「ハーバード」と「大道具」の親和性に気づいた人は世界で私だけだと思います。クライマックスにひょこっと現れる「代表も!」(しかもエル)は大拍手の回が多くて嬉しかったです。


M7

電話でみんなが繋がるの、RENTみたいだし自粛期間中みたいですね。(これは意図とかではなくただの感想)

この曲は本家だとエルに友人たちがポジティブに!!と歌いかける曲ですが、エルからみんなにポジティブを分け与える構成で始まりました。このMの曲調に似合う明るく可愛い歌声を持つ人が同期に多いこと!

歌詞の捻りのある言葉とまっすぐな言葉がいい塩梅で混ざってるのもとても好きでした。M3と同様素敵な歌詞をありがとうの気持ち。

「踊ってるだけで本当に解決になる…?」からの出てきたワード「未来」、私にとってリーガリーという作品は希望の象徴なので、まだ見ぬ未来に希望を託すのがこのMでよかったなあと思います。客入れ曲の最後もリーガリーの曲ですが、希望が詰まりすぎて気を抜くと泣いちゃいそうになってました。


M8

牧師とロッドの奇跡のコラボ。本当はエメットの服を着せたりモリッツのヘアメをしたりニックで写真を破ったり、彼が演じた全ての役の要素を詰め込もうかと思ったのですが、最終的に分かりやすいものだけが残りました。洗練されててよかった。相変わらずパペット使いが上手い。

未来の誰かの結婚式にタイムワープする、というのはM5同様1年前から演出に話していた案でした。
とにかく何も考えずに爆笑できる組み合わせを皆で考えた結果、制作部署長とタイ人の推しになりました。ぶっ飛びすぎて実在か疑われることが多かったですが、2020年の画面越しにファンミしたのも、タイからグッズを直輸入したのも、タイ語の授業を履修したのも全部本当です。3年後期、オンラインでタイ語を履修する彼女の隣で別のオンライン授業を受けていた新婦友人より。

追記:演出いわく、この結婚式のみんなの配置は本家アベキューのパロディだそうです。わかる人にはわかるやつ〜!!


M9

3年越しのルーシー、知っている人はめちゃめちゃ嬉しかったのではないかと思います。ダンサーもほとんどが当時の出演者で、和気藹々と稽古が進んでいました。

この卒公の脚本を書いていて、場所と行為が噛み合わない(TPOガン無視)場面設定が笑いに繋がるのだなと改めて思いました。結婚式でのセクシーナンバー、その色気にやられる参列者も含めて大変カオスで良かったです。17期を代表するツッコミ2人を場に置けたのも楽しかったなあ。


現代世界の人々への報告を経て、話は恋愛沙汰へと移り(この時のみんなのいる位置は本家バーガーブラストのパロディです)、Mの導入へ。

太宰治推しはガチだし(本人からのリクエストだった)(さすが文学部)、「もう別にいらないなあ」はこれから始まる曲のメッセージ性を暗示していて好きです。

M10

私はこのMが爆ウケしているのを楽屋で聞いている時が最高に幸せでした。

話は少し遡るのですが、私は一個上の先輩の卒業公演のおふざけMが大好きで(うちわを使ったやつです)、3回観に行って3回とも腹の底から爆笑し、「展開は分かっているのにそれが来ると思っただけでわくわくし笑えてくる」という体験をしました。そんな楽しくて強烈な印象を残せるMを作りたい!と思って構想し、歌詞を書いたのがこの曲です。

歌詞を書いた期間はちょうど卒論提出5日前の限界時期で、その時溜まっていた鬱憤を全てぶつけるかのごとく1日で完成させました。稽古開始後、自分が生み出した言葉の刃の鋭さに震え、特に褒め言葉のゾーンがない後半の男子2人に本気の謝罪をしたのですが、パチンカスが本番マチソワ間にパチンコを打ちに行ったのを見て謝罪撤回するか…となりました。

そんな話はさておき、この歌詞は自分の作詞スタッフワークの集大成になったと思います。こんなとんでもない歌詞ですが。こだわりの一つが、原曲の英語歌詞と響きを揃えられるようにしたこと。「night」と「ない」「実態」、「thunder」と「ダンサー」など。改めてド名曲の原曲を聞き返しながら歌詞を思い出してくださると幸いです。(それもそれでどうなのか?)もちろん、ほかのM同様本公演の訳詞をオマージュした部分もあります!

あとは、男子いじりの曲に見えて、世の中の恋愛至上主義の空気に抵抗する曲にできたことがすごい嬉しいです。恋愛だけが青春じゃないし、もししたかったとしても無理に現実で出会う必要はないしアプリでもいい。仲良くなったら恋愛に移行するのだけが関係性のゴールじゃないんだよ〜という。後輩たちに伝わっているといいなあ。

歌詞の話が長くなってしまいましたが、このMはみんなのプロフェッショナルなおふざけが上乗せされ続けて最高の盛り上がりナンバーになったのだと思います。「ランウェイ作ってファッションショーにしようよ!」と爆笑しながら構成をつけてくれた振付。思い思いに自らを表現してくれた男子4人。圧倒的ダンスと歌唱力、そして凄まじい発音と発声で歌詞を客席まで届けてくれた女子キャストのみんな。M世界を限界まで拡張してくださった照明さんと音響さん。オタ活の経験を活かしめちゃめちゃ派手で可愛いうちわを作ってくれた同期(しかもこのナンバー出てない)。そして自分も楽しみながらみんなを自由に遊ばせた演出。本当にありがとうございました。

最後に、彼らの名誉のために書くと、同期男子は非モテというわけではありません。でも、各人を現したパートの歌詞の内容は事実です。


ここまで底抜けに明るいMや場面が続いて、次も変なところにワープするんだろうな、と思ったら、せいれんがなくなっていた未来でした、という不穏な空気。未来に飛ばす人選は、いつもニコニコ笑顔が印象的な明るい2人の顔から笑顔が消えることで、お客様の心も締め付けられてほしいと選びました。(このフィードバックを出してたら某毒舌同期に「性癖か?」と言われました)

M11

ショックを受ける2人の元に現れたのは、迫力満載我らが演出が演じる大城。このMは話すと少し長くなります。

中止となった新歓公演『Seiren Note』は、大学からコロナ蔓延によるサークル活動停止勧告が出るまでの5日間だけ稽古をすることができました。そこで振り入れができた数少ないナンバーのひとつが、大城ナンバーでした。
当時は別の曲と振付でしたが、8時間ぶっ通しの振り入れに私たちは必死に食らいつきました。休憩時間もずっと練習していて、演助の先輩に「みんな休憩なんだからほんとに休んで」と言われるくらい。その振りは日の目を見ることはありませんでしたが、大変だったけれど楽しかった振り入れの濃い記憶とともに、ずっと印象に残っていました。

そんな、3年前の春一緒に頑張った文化復興委員会のダンサーと、田村と、大城が、2021年版『セイレンノート』の楽曲の元再集結できたのが今回の卒公だったんです。

2021年版『セイレンノート』の女将役がわたわたしていたら突然ダンサブルにかっこよく踊り出すというクスッと要素も取り入れつつ、「サークルに襲いかかる理不尽な脅威」を迫力とかっこよさ満点で届けられたのではと思います。マイナス要素を盛り上がりで包んでお届けできる点がこの曲の素敵なところなんだなあと。ダンサー側としては、歌詞をしっかり聞くと自分本人のサークルを頑張ってきた人格が攻撃されて辛くなってしまうのと、そもそもこのメンバーで大城ナンバーができている事実に心が揺さぶられてしまうので、ちょっと大変でしたが…

新旧セイレンノートの大城ナンバー関係者全ての方へ、本当にありがとうございます。3年ぶりに集結できて幸せです。大城さんへの忠誠心は永遠です、ボス!

余談ですが、文化復興委員会の頭髪がインナーカラーグラデーションカラー赤髪ピアスヘアピンなど個性派揃いで、「自由な職場で草」と稽古場で盛り上がりました。ボスも服赤いし。

大城のいる世界線の話をして、シリアスゾーンに突入していく現代世界の17期。そのきっかけになるセリフたちは、実は本番一週間前、一番最後に追加したものでした。特に「コロナでできないことばっかで、それでも必死に繋いできたのに、ないの?未来のせいれん。」という、この作品の中で一番重いセリフと言っても過言では無い言葉は、印象に残ったと言っていただけることが多く、ほんとに追加してよかったね、と演出と話してました。

M12

この空気感、この展開はこの曲でしか作れなかったなと思います。みんながゆっくりと沈んでいきながらこれまでの思いを吐き出し、その底で手を繋いで、心を重ねて、再び光の差す水面へ上がっていくような。

歌詞の初稿が上がってきた時点で既に泣きそうになりましたが、そこから歌詞も振りも歌もどんどんブラッシュアップされていって、私たちの代にしか作れない時間と空間になったのでは、と思っています。

ソロを担当しているのは、みんなはるめざのキャストやスタッフなんです。


M後のセリフ、「みんなで小屋に戻ろう」で重要なのは「みんなで」の部分です。タイムワープなどでバラバラの場所にいるみんなだけど、一回時空が狂ったままの小屋(M1後で止まっている)に戻って原因を探してみない?という話です。
心がひとつになるのがM12、物理的に集合するのがM13、って感じです。

あと、「大丈夫、俺ら17期だから。」には1ミリの説得力もありませんが、代わりに場の空気が笑いで包まれます。彼はそういう力を持った人なんですよね。

M13

曲始まりの「最後はみんなで、終わらせに行こう!」私はこのセリフが本当に大好きなんです。暗い水の底を知っているみんなだからこそ、明るい光を、笑顔を、一層尊く見せることができるんだと思います。

この曲も、新歓『Seiren Note』でやるはずだった曲で、尺はそのまま、歌詞はほとんどそのまま拝借しています。当時のキャストによる当時のままの歌唱ソロパート、舞台に乗せられて良かった以外の言葉がない。

ラップパート、掛け声は舞台裏からも投げていたりするのですが、歌詞の推進力も相まって、舞台面・裏関係なくこの場にいるみんなの心も身体も合わさった感覚があって、醍醐味だな、と思っていました。


小屋にみんなで戻って来れて、時計の針は食い意地で紛失されていて、歪みが戻り、一件落着!ここの軽いノリとしょうもない原因はアイデア出し大会でみんなから提案してもらったものでしたが、この軽さがちょうど良かったな、と思います。
ブレーキ担当のブレーキが大活躍してるのは、アイデア出し大会で私たちの話が逸れた時にリアルに10回くらい「で、どうしよっか。」と本題に戻してくれたことからです。

気入れで全員が舞台面に集まる時、みんなの顔を見られるんですけど、卒公やってるんだな、本当に幸せだな、と毎回思ってました。

気入れの後の「よろしくお願いします!」はセリフにはないんですけど、どの公演でも開演前の気入れのあとはスタッフさんによろしくお願いします、とお伝えするので、自然とみんな言っていました。

リミックス・カテコ

ここからリミックスという名の劇中劇が始まっていくんですね。リミックスについて語るととんでもない長さになってしまうので割愛しますが、本公演番外公演・キャストスタッフ問わずスポットを当てるリミックスがあったからこそ、みんなが幸せな卒公にできたのだと思います。リミックス統括の2人、本当にありがとう。

ここで終わりじゃないでしょ、卒業証書、みんなの写真が飾られた17の扉、色んな幸せを詰め込んだ後のカーテンコールは、新歓公演『Seiren Note』のオリジナル楽曲で、2021年度版『セイレンノート』にも引き継がれた曲です。最後に同期で歌えてこの上ない幸せだったな。マイクを持っていたのは、新旧セイレンノートのキャストだった人達でした。


総括

私は、物語の魅力は、「心の中にはあったけど認知していなかった感情や言葉を引き出してくれる」「一般的な思考の流れに水を差し、新たな視点や感情をもたらすことができる」点にあると思います。

この卒業公演で、「終わってしまう寂しさ」より「自分たちの手で終わらせられる幸せ」の方が大きいから、寂しいけど縋らずにいられそう、と思えたキャストやお客様がいらっしゃったのなら、それはこの物語の持つ魅力が最大限発揮されたということなのでしょう。

私も実際に千秋楽前夜「寂しいけど、自分たちの手で終わらせられるんだ」と思うことができて、自分が自分に時差でかけた魔法みたいだな、と思いました。自分の作った物語の可能性を自分で体験できるなんて、なかなかない経験だったと思います。

もう一つ唯一無二の経験をできたのは、大千秋楽でした。あの70分間は、劇場全体が大きなアトラクションみたいでした。
作品が自分たちの手を離れる、という言葉はよくありますが、作品にお客様の反応が加わり、どんどん空間で再構成され続けていく楽しさと感動は凄まじかったです。卒業公演の千秋楽には本当の終わりの要素が付与されるから別物になる、と思ってはいましたが、その想像を遥かに超える体験でした。

私は企業で働く人なので、舞台も脚本もこの作品で最後になる予定ですが、最後にこんな幸せな経験をさせてもらえて、感謝しかありません。


幕引きの時間ね、ということで。

ここまで読んでくださった方いらっしゃるんですか?長い長いひとりごとに付き合ってくださり、ありがとうございました。

もし、観に来てくださった方で、思ったことはあるけどアンケートフォーム出せてないや!って方がいらっしゃいましたら、遅いなんてことは全然ありませんのでぜひお願いします。私は印刷して棺桶に入れるつもりですし、キャスト一同大変喜びます。記憶はどんどん消えていくけど、言葉は記憶を繋ぎ止めてくれるので、ぜひ。

最後になりますが、この作品を一緒に練ってくれた演出・企画のみんな、この公演に関わってくださった方、観に来てくださった方、心を寄せてくださった方、全ての皆様に心からの感謝を込めて。本当にありがとうございました。

これからも、同期のみんなが、みんなのまま、それぞれの舞台で輝いていけますように。

脚本・今野

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