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「お前が恥ずかしい」と言われたこと

お風呂に入る前に、小学生の頃のいや〜なことを思い出してしまったので、今日はもうパソコン触るのやめようかなと思っていたのですが、イラッとしたままでは私の気持ちも治らないのでせっかくなのでnoteにアウトプットしていきます。

「お前が恥ずかしい」と言われたのは小学生の頃です。このセリフを言われたのはおそらく何回かありますが、とりあえず思い出したことだけ。それは小学校高学年の頃、いじめやらで不良どもの好き勝手になった学校に行くことが嫌になっていた頃。先公も特に注意をすることもなく本当に荒れ放題でした。本当に最低最悪のクソ学校です。「学校に行きたくない」と勇気を振り絞って言ったのに「耐えろ」としか言われなかったことを今でも思い出します。

そんなある日、学校の授業参観かなんかで親が来る機会があったんですね。そこで粘土か何かで作品を作らされました。学校に行くことすらも嫌で憂鬱で仕方ない人間は素晴らしい作品どころか人並みの作品も作れません。冗談抜きで。無理です。私が作れたのは、粘土を平べったくして茶色く塗ったクッキーもどきです。紙皿の上に乗っけてはい完成。よし私の義務は終わったとばかりにその参観日を迎えました。それが終わった後に言われました、「お前が恥ずかしい」って。なにあれ?あれが人前に出すものなの?人がたくさん見るものなのに、どうしてあんなものしか作れなかったのって。あんたが言えば、私だってちゃんとしたものを用意したのに。いい加減にしてよ。本当に恥ずかしい。家に帰ったらこんなことを次々に言われて、私は大泣きしました。私が泣くといつも言われること、「なんであんたが泣くの?泣きたいのはこっちだ」って。

ここで唐突ですが話題を変えます。私が泣くといつも言われるんです、「なんで泣くの?泣く必要なんかないでしょ」って。それを言われていくうちにどれだけ辛いことがあっても泣くことが出来ない人間になりました。「泣いちゃいけないんだ」ってそう思っていました。でもこれって自分をさらに追い込む行為だってことにやっと気が付きました。ジョブカフェの人と会話をしていくうちにこのことに気がつくことが出来ました。

「泣くこと」でも「書くこと」でも自分の気持ちを解放することが大事だと。そうしないと前に進めないんですよ。それを封印したまま生きることは抱えなくてもいい荷物を背負ったまま生きていくことと同じなのではないかと思います。その人は泣くことの大切さを私に思い出させてくれました。本当にありがとうございます。泣くことは決して恥ずかしいことではありません。とても大切なことなんです。それを抑圧するのは自分にとって最もしてはいけないことです。

ここで、話題を元に戻します。言ってやりたいことをぶちまけます。

恥ずかしいもの作るななんて、学校に行くことすらもままならない私にできるわけねえだろうが。なんだよ、恥ずかしいって。私を無理やり学校に通わせて、泣くことも子どもに許さなかったお前の方が人間として恥ずかしいよ。どうせ、私のしょぼい作品で自分がどうこう思われることが恥ずかしかっただけなんだろうが。知らねえよ、お前の仕事のことなんか。こっちはこっちで生きるのに精一杯だったわ。泣くことも出来なくなった私は暴飲暴食に走り、見事に恥ずかしい人間になりましたとさ。ふざけんな。自分の感情の行き先がどこにもなかった。どこに逃げたらいいかも分からなかった。あの頃は家にも学校にも自分の居場所はなかった。毎日死んでやろうってそればかり。でもなんだかんだここまで生きたのは何でもない自分のおかげだと思っています。死にたかったけど、死ぬのが怖かったこととどうやって死ねばいいのか分からなかった。あの当時は、本当に自分が恥ずかしい人間であると思い込んでいました。しかし、それは大きな間違いです。早急に考えを改めてください。

「言葉は呪文」効か(聴か)なければ効果はない。これもうちょっと早く知りたかったな・・・。

<強引にまとめ>

・嫌な環境から逃げられるときは全力で逃げる(他人のことは考えなくてOK)

・感情を放出することは大切なこと、抑圧してはならない

・嫌な言葉は呪文、全力で耳を塞げ

・私を恥ずかしい人間にしたのは、私の周り。

は〜〜〜〜〜スッキリした!お腹空いたのでご飯食べます。

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