自転車のトークについて(Pさん)

 今日は、本来ならば、「崩れかけのラジオ」の更新があったから、別に更新する必要もないんだけれども、自分が更新し続けることが出来るのか試すという意味でも、記事を上げることにする。
 今日更新された「崩れかけのラジオ」の補足から。
 今日の話の内容は、収録場所まで、僕が自転車を漕いで辿り着いたという話に終始していた、と思う。
 いままで、触れないでおこうということになっていたから触れていなかったけれども、崩れかけのラジオの収録場所というのは、ウサギさんの自宅なのである。
 あとは話の内容の通り、僕の自宅からウサギさんの自宅までは、おおよそ20キロから30キロくらいの距離がある。その距離、ある程度定期的に日常的に自転車で通行するということは、今までしていなかったことだから、それだけの距離、自転車で行けば、何かしら話すことがあるだろうと、ある意味で高を括っていたところがある。
 僕のラジオでのトークのイメージというのは、伊集院光の「深夜の馬鹿力」という、深夜ラジオ番組のイメージがある。そこで、伊集院光は、最近では、といってもここ五年か十年くらい続けているイメージだけれども、たいていは旅行とか、ダイエットのために旅先を自転車で巡るという話に、少なくともフリートークの部分は終始しているイメージがある。その延長で、自転車や電車でどこかしらに遠出をしたら、そのエピソードがトークにつながるという予想が、僕の中に立っていたのである。
 しかしふたを開けてみれば、その道中で、しかも行きの時だけに限ってみると、話すに足る出来事というのは、自分が想像したよりもずいぶん貧しいものになってしまっていた。
 言い訳をすれば、このことを話すことを、ウサギさんに事前にネゴっていなかったのである。
 ウサギさんにとっては、ここまでチャリで来るということは、想像の埒外の出来事であったらしい。録音が始まる前に、軽いトーンで、「ここまで自転車で来た」ということを、確か二度くらい、ほのめかしたのであるが、今聞きなおして分かったところでは、ウサギさんはその発言をほとんど真に受けずに聞き流していた。だから、結果的にいえば、実際の録音中にウサギさんが驚くリアクションというのを聞くことが出来たのであるが、その分、事前に話題を練るということが出来ていなかったのである。開始五分くらいから、話すことを練っていたので、何を話し始めるのかに関して、いくつかの話題の単位でしか、頭の中になかったということがある。
 それは言い訳にしても、その道中で起こったことというのが、きわめて貧しかった。
 一つには、よく伊集院光も話題にしていたことではあるけれども、僕が経路検索に使っている「自転車Navitime」という、スマホのアプリに関して、そのルートの選び方と、実際的な道の取り方のギャップというのがある。そのまままっすぐ行けばいい道があったのにもかかわらず、なぜかヘアピンカーブをしている場所があった。何でかわからないけれども、自転車Navitime的に言えば、なにかしら理由があるはずである。実際にその地に赴いてみたらわかった。その交差点に見えていたところは、自転車が通行不可能な、自動車専用道路を挟んでいたのである。そうであるところで、その四つ辻をかなりいったところで信号を渡るものだから、もっと手前で折り返せないものかと思っていたら、その手前で自転車を引いて通ることが出来る歩道橋があった。そこを渡ったのち、
「ルートから外れました」
「新しいルートを検索します」
 という、ナビゲーションの連呼があった。これが、どれだけ不快に感じるのかは、自転車Navitimeを使ってみた人しかわからないだろう。この、「ルートから外れた」ものを元に戻すことは、かなり手間のかかることなのである。私がルートから外れた。自転車Navitimeがルートを検索するうえで、私が一番近いと思ったルートと、自転車Navitimeが考えているルートが、例えば道ひとつぶんズレていたとする。そうすると、僕は「僕が通っているルートに修正してくれればいいじゃないか」と思いながら漕ぐのだが、ぜんぜん自転車Navitimeはこちらの思うルートに切り替えてくれるということはせず、ひたすら自分の考えるルートを提案し続け、その挙句に「新しいルートを検索します」「左に曲がります」「来た道を戻ります」といったことを繰りかえすわけである。引き返さなくても、目的地に近づくことが出来る。そう思っていても、挙句になにも操作しなければ、「ルートから外れました」「音声案内を終了します」といって、完全にあきらめてしまうのである。この柔軟性のなさ!
 もう少し付け足すところはあるかもしれないが、とりあえずこれくらいにする。

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