あの書店が潰れた(Pさん)

 僕が、地域の中で最も信頼していた古本屋が、閉店するという知らせが来た。情報元は奥さんだった。しかし、これは少なくとも〇〇区全体の文化に対する問題である。この地域の中で、とりわけ人文的な書物を支えていたのは、間違いなくこの書店だ、と僕は言える。あるいは、あそこもあるじゃないか、どうだと言えるかもしれない。近くに、文化人を自認している新刊書店があるが、そんなところ数店舗潰れても贖いえない書店だった。悲しくてやり切れない。そこで僕は、ちくま文庫のニーチェ全集を揃えたのだった。その他、古井由吉など、いろいろな書物を揃えた。僕が買うから、本棚のラインナップから良い本がどんどん減っていると言えるほどだった。これはコロナ騒ぎのせいなんだろうか。そうでないと信じたいところだが、いずれにしてももう経営が成り立たないとなったら、仕方がない。しかし諦めきれない。そりゃ、神保町に行けば、同様の本屋もあるかもしれない、あるいは細分化したどの本屋があるともいえるかもしれない。いや、やっぱり、あの書店にあるような本を揃えることは、どうも不可能に思える。具体的に、どの本があるということは、それが売れてしまえば関係ないのかもしれない。しかし、問題は、そういった類の本が、常に新陳代謝をしながら揃っている本屋があるのかどうかという所だ。その本屋も含めて、今はアマゾンマーケットプレイスがあるではないか、そういう本屋も出店しているのだから、そちらに流れていっているのかもしれない。それとて、この「文化を支える」ということが出来るのかどうか、わからない。誰かが書いた、新刊書では得られないものというのが、確かにあるだろう。図書館もそうだ。図書館は、さすがに潰れない、と思われているかもしれないが、公共的なものがどんどん民営化するのだとしたら、それもあやしいものだ。怪しいものだ、なんて暢気に構えていてはいけないのかもしれない。もう、世界がなくなるのと同じことだ。返す返すも、取り返しのつかないことが起こってしまった。地球温暖化など、進んでしまって、全人類が滅んでしまえばいいのかもしれないが、あの書店だけは残すべきだった。日本が沈んで、水没するんだとしても、あの書店だけは、この世にあるべきだったと思う。

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