自転車で徒然る(Pさん)
自転車に四時間ほど乗った。後日話題にすると思う。前にも無理な自転車旅みたいなのを学校卒業後の暇な時期にやってて、今復活させているのだがさすがにずっとママチャリで同じことを続けることもないと思い始めている。まだ今のチャリは使えそうだ。しかし壊れた時に次にロードバイク風のやつとか、電動アシスト付きとかを買ってもいいんではないか、と、三時間ほど漕いでいて思った。しかし、いくら自転車を変えても四時間漕いで尻が痛くなるのはきっと何ともなりようもないんだろうし、そこまでの遠征を前提とする考えをなんとかした方がいいかもしれない。しかし自転車の旅は自由な感じがある。ふと思った方角に、そのまま行くことが出来る。旅というのは大袈裟かもしれない。
とあるロータリーの中心に近い部分に、廃品回収の工場みたいのがあった。四角く固められた紙切れとか、空き缶のようなものが青空を背景にやたらと映えていた。堀のように、その周りを水草の流れる川か下水かわからないが、流れが流れていた。
大通りを通っていたから、あまりそういう廃れたような場所には差し掛からず、ひたすらなか卯とか松屋とかしゃぶ葉とか、そういった飲食店や、古いネオンのパチンコ屋やガソリンスタンドが並んでいたのを眺めただけだったのだが、そこから道を逸れてみてもいいかもしれない。
特に目についたのは、唐突に現れる、TSUTAYAとかドラッグストアとかスーパーとか、そういうものがゴチャゴチャに組み合わさって全体がピンクっぽい武骨な縦長の外観である複合施設だった。もしかしたら、近所にあれば、それなりに便利に使うのかもしれないけれども、どうにも視覚的に馴染まない。何か、コンセプトがあってほしいと思っているのだろうか。生活に、役に立つのはあまりコンセプトとかいったものではないこともある。第一、たとえば実家の近くにあった、同じような複合施設に関しては、あまりそうは思わず、目に馴染んでいるように思うのは単にその見た目などになれたり、中に何度も入って必要に応じてその建物を使ったからだけなのかもしれず、その「見た目がゴチャゴチャして武骨だ」とかいう、美学的な評価もそれほど当てにはならない。
本屋でP+D BOOKSというのを見掛けて、一応稀覯本の類の小島信夫の『別れる理由』が、六分冊くらいになって販売されていた。小島信夫の、しかもあれが、本屋で目に付くところにあるというのは、良いことで、奇妙な感じすらするのだが、このP+D BOOKSというシリーズは、どの作者のどんな本も、カバーがなく何色かの直線的に塗り分けられた表紙のみがあるような感じで、まるで工業製品のように扱われる、本というものに対して何というか、愛みたいなものが足りないと、これも古臭いのかもしれないけど思った。
うちには『別れる理由』は、最初の版で一巻しかもっていない。
これがそろうことは、もしかしたらもうないかもしれない。