ウサギロス(Pさん)
ウサギノヴィッチが、入院してからもう何週間か経つ。
私は、完全にウサギロスに入ってしまった。
というのも、精神的なロスは措くとして、五日ごとに書いて交わしていたこの「好奇心の本棚」、それからほぼ毎週更新されていた「崩れかけのラジオ」、そして月一回行っていたその収録、さらには偶然ながら集稿や準備の時期が被ってしまった「崩れる本棚」、本誌とサークル活動の全般が、これ全て停止してしまうことを意味しているからである。
さらに言えば、社会的には新型コロナウィルスとそれに端を発する肺炎、死亡に至る病とペーパーレス時代の早すぎる到来と、目まぐるしく変化しておりその態度形成もままならないままこの状況であるから、正直パニック状態で、そこまで言わないでも個人的に非常事態であることは免れ得ない事実なのである。
まあ、頭の中ではとりあえず状況に応じて対応していたり、それぞれをどういうことであると自分に納得する形に落とし込んでいたりもするわけであるが、これが前代未聞の状況であるため、精神的に「こんな時どんな顔をしていいかわからない」状態に陥っているのは確かである。
まあ、ウサギさんの病名を聞いて、辛かろうが、万が一それで死ぬことはなかろうとは思うし、それで退院したときの、ここでとかその他でもいいけれども第一声がなんになるか、かなり楽しみではあるけれども。それでも、そんな楽しみを仮構してしまうのは何らか不安に対する防衛的な反応であるのかもしれないとも、思ってしまうのである。
嫁も何だかよからぬ活動をはじめるというし、自分も本が読めていないというし、ちょうどウサギさんが発症する何日か前にある友人と小説を書くことについて展望を語ったしで、何だか四散しそうである。
次の「目がテン」の原稿を書いていた。ということは、読めているということではあるんだけど、何というか、精神的な支柱というのも、あんがい脆いものである、とか、実は病んでいる状態とか存在として沸騰しているような状態の方が人間としては元なのであり、何らかの秩序というものは、たとえうとましく思われようとも人間が人間として成り立つためにからくも打ち立てられた脆い構造なのである、といったことが結論に来そうで、要するに今の状態に対してなんら希望的な展望をもたらさないわけである。
空ばかりやけに冷たく透き通っていて、星が綺麗に光っており爽やかである。僕は濁ったようになっている。
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