目的を与える説(Pさん)
偏見かわからないけれども、一時期のコロナウィルスによる買い占め騒動は、特に高齢者に対して、買い物に行き日用品を揃えるという、日々の義務に対して、ここぞという役割を与えたのではないかという気がする。
「私には時間があるから、朝早くに家を出て、ドラッグストアで物品を揃えることが出来る」
買い占めが高齢者に限らず、起こっていたとしたら、この説は外れているかもしれない。
しかし、僕が見回した限りは、ネット上でペーパー系がマスクと同じ材料を使用しているから、品薄になるかもしれないなんていう噂は、聞かなかった。
なので、ネットに触れない高齢者層の間で交わされた噂なのではないか、と想像したのである。
別の件で、ウーバーイーツというのがあるが、あれはチャリで食べ物を届けてバイト代を稼ぐというものだが、これも、ただ欲しいというのでロードバイクなど買って、自転車で走るということがしたいんだけれども、何のために走るという目的がないため、その空隙を埋める形で流行ったのだと、想像している。
いずれの件にしろ、生きている上で目的のなさに、意外なほど耐えられない人の性質というのが出ていて、何かのために何かをする、強く目的意識を持つ、それに美学を感じるというのは、簡単に弱みに転じるということがあるのではないかと思う。
ひるがえって、自分なんかはこうしてインターネット上や即売会などに、ひたすら文章を載せたりしているけれども、それも目的のなさに耐えられないからというだけなのかもしれない。