崩れかけのラジオ二回目の収録(Pさん)
今月某日、崩れかけのラジオの二回目の収録を行いました。
五回分録音したけど、最後のがふるわなかったのでボツにした。
毎回なんかしらの理由で一つボツになるのかもしれない。
他のは概ねうまくいった。
ウサギさんは文芸ネタ寄りにしていきたいようなことを言っていたので、そっちの方でも考えておかなくてはいけない。
連日のごとくだが、その日もめちゃめちゃに暑かった。
次は9月になるので、ここまで暑くはないだろう。今年のここまで暑い日に収録をするのは最後だと思うと、何か不思議な気分になる。
その後で、崩れるメンバーのあんなさんが帰国しているということで、食事して話した。
その中で出た名言は、トルストイの「アンナ・カレーニナ」の冒頭、「幸福な家庭はみな似たり寄ったりであるが、不幸はそれぞれ全く違っている」というものである。
その時もうろ覚えで言っていたので、今もうろ覚えで書いている。
三人の、それぞれの苦しみを抱えている中年がその言葉を噛み締めているさまは、壮観ですらあった。
その日からゲロみたいに体調が悪い。
実際、冗談で付けたハッシュタグに実物が影響されでもしたのか、寝起きに本当に口の中がゲロの匂いで満たされた日があった。
ゲロを吐いた覚えはない。
今月金曜日にある、東京での読書会の課題図書、クロード・シモンの『路面電車』を急ぎ読んでいる。
難しいという人もいるけれども、あの文章のドライブに乗ってしまうのと、細かいことを気にしなければ、存外に読み進めるのに苦労しない。
クロード・シモンは、割と他のぶっ飛んだ人間みたいにその人にしかわからない飛躍みたいのをせず、常識人だったんじゃないかと思う。
それで、絵画と歴史をこよなく愛するマジメな人間であったという感じもする。破天荒な文学の嚆矢の一員ではあったろうが。
それで今回の作品は、クロード・シモンの全盛期ではなく、最晩年に位置する規模的にも短めのスケッチ的作品という感触もある。
堀江敏幸が帯で「いつ読み終わるのか!?」と煽っていたけれども、実際の枚数とは別のこのサイズ感であれば、取り逃がしもあろうが現実的な時間で読み終わるという感じがある。
同著者の『歴史』などは、冒頭を読んだだけで、開口部が見えてそのまま放置されたというような途方もない感じを受けたから、『路面電車』をもってしてクロード・シモンがどうのこうのとは言えないような気がする。
面白いのは面白い。