急ぎ今年上半期の振り返りを終える(Pさん)
このままでは今年半期を振り返っているうちに今年が終わってしまうと焦っているので、今回で終わりにします。
実際、語るに足るほど大したこともしていないし……
二月。
二日に『眼球譚』の読書会をする。
初旬、W・G・ゼーバルトの『カンポ・サント』を読みかける。
よく出来た文学人だと思うけれども、何というか、歴史を見る正しい視点みたいなものは伝わるけれども、個人的にいたく気に入るということはなかった。
二月十五日。カホンを買う。
今日に至るまで、ほとんど触れていない。
二月中、ロブ=グリエの『新しい小説のために』を読む。これにはいたく影響された。どんな風かは、読書メーターに書いておいた。https://bookmeter.com/reviews/81608567
タバコ(シガリロ)にハマる。
二月十九日、満を持してこの note と、『好奇心の本棚』の連載がはじまる。
始めた当時は、確かアカウント名以外は決まっていなかった。どういう連載形態にするのかとか、個人として書いた記事の扱いは? とか、決めていないことは他にもあった。
西谷修『夜の鼓動にふれる』を読んでいた。これも大きく影響を受けた。最もフェアーに書かれた戦争論だという気がした。
これに影響され、後々ナチスドイツの本などを漁るんだけれども、やはりどれだけ事実を突きつけられていても、何人の人間がどういう風に死んだという記録があるだけでは、人間の想像力は働かず、「そこで何が起こっているのか」判断が出来ないのだと思う。後からはどうとでも言えるけれども、今その時を振り返るにせよ、その当時の人が当時のことを判断するときにせよ、自明な正しい判断などは存在しないのではないか。だから、今からその時を回顧的に眺められるからといって、私達がその時どういう判断をすれば良かったのか、など、確実には言えないのではないか。それは、私達がいざあの状況に放り込まれた時に、冷静な判断ができないんだ所詮、という話ではなく、今あらゆる情報を通じてその時のことを振り返った今においてさえ、あのときの状況全体が実際には何が起きていたのかさえ、まだ確実に知られてはいないんじゃないか、ということだ。
そんなようなことを考えさせられた。
三月。
職場の先輩とつけ麺を食べた。
コンビニのカップ麺にもなっている有名な店の本店である。
自分の職場の異動があることが、徐々にばれていっていた時期だったと思う。ラーメン屋はよく並んでいた。スープに解けきっていない魚粉がまぶしてあった。カウンター席がコの字になっていて、その一番端の席に座って、職場の今後のことなどを話した。
「日本酒バーにね、もし何も無かったら行きたかったけど」と、繰り返し言っていた。
バーと言おうが居酒屋と言おうが、もう居酒屋自体の雰囲気や出している物が変わっていることはなく、どこへ行っても梅水晶があるしほうれん草のだし巻き卵があるし酒盗のカマンベール和えがある。どこの店に行っても全く同じ画像を使用した「心を込めて準備中」の看板が置いてある。
もう夜勤明けで飲むとか体力的に出来ないので、食ったら帰った。
下旬、ウサギさんの怒濤の毎日更新が始まる。
このときはまだ、この連載がマジに毎日続けることが出来るなんて、思いもしていなかった。
だいたい、そのつもりがあるのかどうかも知らなかった。
この頃、小説のアップロードもしていた。
野心的だなあ、などと他人事のように思っていた。
月末、締め切りの筈の原稿が終わっていなかった。
四月。
五日にようやく二作の小説を書き終えた。どちらも数千文字程度のごく短いものだったのに、えらい時間が掛かったので自信を喪失していた。
下旬に職場の異動があった。移動してしまえばバタバタすることは無かった。職場が登録されていなかったので、グーグルマップの「職場」のポイントが、野原の何も名前のない住所になっていることが面白かった。一ヶ月後に職場の名前が登録されていたので、無事職場の名前になった。
十五日、そばブームが来た。今はあまり食っていないが、ブーム終了宣言はしていない。またタイミングが合ったときに一緒に演れればいい。俺たちは終わったりなんかしない。いつでも気軽に散って、またすぐに集まれる、そんな仲間たちだと俺は思っている。そうだろ、そば。
末の方に、何なのかわからないがこめかみを虫に刺されて扁桃腺が腫れ高熱が出た。刺されたことを覚えていない。一体どんな虫に刺されればこんな事になるのか? そしてそれだけ得体の知れない虫に刺されておきながら、ぜんぜん覚えがないというのはどういうことか? 全く謎が多かった。
そのうえ、高熱で動けなくなったのが休日だったので、普通の内科に掛かることが出来ずに夜間休日救急という所に入った。証明が取れなければ職場を休めない。しかし忙しくない時期だったのもあって簡単に休めた。
成人した頃にこめかみのチックが止まらなかった時があって、それが虫刺されのせいで再発したかのように動いて感じられるものだから、虫が皮膚に卵を産み付けたと本気で思っていて、皮膚科に行った。
皮膚科の医者は馬鹿にしたように、一本の軟膏だけ処方して取り合わなかった。
その時は本気で卵が入っていると思っていたから腹が立ったけれども、その後その架空の虫が孵化することは無かった。
五月。
六日に文学フリマ東京があり、自作を配った。
今に至るまで知り合い以外の反響は無いけれども、毎回そんなものだ。
会場がいつもの何倍も広くなっており、雰囲気が全然違った。どれだけ進んでもパースが掴めない、見渡せないコミティアみたいな空間として文学フリマを見たのは初めてだった。昔なじみのサークルも減った。野蛮なサークルが軒並み退き、勝手を知っているサークルが増えたことで、面白みが半減した気がする。
とはいえ出会いがなかったこともない。憧れていた作家の一人である青木淳悟先生に会って話をした。もともとそんなつもりはなかったが、隣のブースにいたメルキド出版の松原礼二氏が、
「ホラッ、渡してきなさい」
と、彼らしい軽くて動機のわからない物言いで、生存系読書会で以前『学校の近くの家』を取り上げた巻を渡せと言ってきた。仕方なしに渡すと、思いの外フランクな感じで自分のサークルまで足を運んでもらい、サークルの別の人と話し込んでいた。
なじみの人たちと焼き肉を食ってから帰った。
それから何回分か、文学フリマで買った本の書評みたいなことをした。あんまり続かなかった。
二ヶ月ほど、ほとんど読書が進んでいなかったけれども、『百年の孤独』を鬼のように読み進めたことで自信が付いて、かつてない勢いで本を読むことに成功していた。
六月。
前半辺りでまた読書が途切れた。読まないわけではないけれども、勢いが減ってしまった。
ウサギさんも、五月病が訪れて以来、とりあえず毎日更新のような怒濤の更新は休止になった。
つい先日の二十九日、クツマユウキというミュージシャンのネットラジオの観覧みたいなことをした。これは、ウサギさんがもうかれこれ何年も前から、クツマさんの高校の同級生だというのがあって、アシスタントみたいなことをしている事からその繋がりで入れてもらうことが出来た。
声や雰囲気の切り替え、タイムキープの巧妙さに舌を巻いた。
その晩、ウサギさんと飲みに行って、新企画が立ち上がることになろうとは、夢にも思っていなかったのである……。
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