コロナとラジオ(Pさん)
僕はよくラジオを聞くんだけど、三つくらいの番組に絞られる。それぞれ毎週放送していて、どちらかのバックナンバーを、過去の方に遡っていき、既に聞いたものに当たったら別のに切り替えるという風にして、垂れ流している。最近だと、当然ながらコロナウィルスについて、触れざるを得ないという感じで触れている。それぞれ別の切り口ではあるが、不要不急の外出が出来なくなる、興行が出来なくなる、などという嘆きがほとんどだ。それは予想して聞き進めて、というのは過去に、一週間ずつ遡ることをしていたけれども、唐突にコロナなんか一言も触れない週がやってきた。
二月の前半なんて、ニュース番組以外ではまるで触れていなかった。ただ、徐々に影響は増えていっている状態ではあった。たった一か月前に、まるで何事もない日常があったことを、二つの密着して聞いている番組から、話している人の感覚として聞き知って、改めて感慨深かった。
そして、そんな風な、いつがいつと区別もつかないような日常が広がっている時空間があったということに対して、眩しいような憧憬を感じた。
思えば、もう一つ、ワイド帯でやっているラジオ番組を、一時期聞くことにしていたけれども、そのきっかけは、まだ武漢でしか流行っていなかったコロナウィルスの流行について、最新情報を含めた、ニュースというものに、SNSだけでは足りないと思って聞き出したことがあったのだった。それも、二月の前半だったと思う。
コーヒーを飲んでパンでも食いながら、この先どうなるんだろうと、ある意味でのんきにそのラジオのニュースを聞いていて、こんな習慣がずっと続くのだと思っていた。
ある意味ではその習慣は途絶えた。単にニュースを知ることにラジオを介することをやめた、ということと、SNSで、またニュースにまつわる情報が氾濫し始めたからだった。
世の中、どんどん大変な方向に進んでいるけれども、それはそれとして、支障のない範囲で、書くことは続けなければいけない。いや、生活の一部になっている営みを、全般続けなければならない。大きくそれとして取り上げるかは別として、石でも削るように、あるいは体操でもするように……。