くずおぢさんの生い立ち
生い立ちなんか興味ないよという方はブラウザバック!!!
説明すると、海外生まれ日本育ちのハーフですが、英語はしゃべれません。
顔立ちが日本人なので周りからはハーフだと1ミリも思われないまま学生生活をおくっていました。
そんな私は周りより貧乏な生活を送っていました。
親が毒親だったので大変でした。小学生の時ですが、北海道に住んでいました。
田舎なのに家賃が高いマンションに住んでいてギャンブルばっかりはたから見ればお金持ってる感じでしたが日常生活は悲惨でした。
電気やガスは何度も止められたことがあって、シャワーとかは夏は暑いので問題はなかったのですが、冬は地獄でしたw
なぜなら水しか出ないから風呂とか入れなかったので、鍋とかポットでお湯を沸かしてそれを湯船に入れて入ってました。
今思うと悲惨ですねww
特に電気とガスが止められたときは風呂にも入れないし、夜はろうそくで過ごしたこともありました。
家にいるのが嫌なので友達やおじいちゃんの家に泊まったりご飯をごちそうしてもらったりと、小学生なりに汚く生きていました。
中学生あたりから母親が出ていき、親父と二人で生活することになりましたが、その時はおじいちゃんがお金を出してくれたり家に来てご飯を作ってくれたりといろいろ世話を焼いてくれたので、何とかなりました。
そんなこんなで高校はアルバイトで食いつなぎ勉強をしまくってタダ同然で調理の専門学校に入り、アルバイトしながら生活をしていました。
この時から心の中で思ってたのはとにかく働きたくない思いでいっぱいでしたし、不公平感でイライラしていました。
なのでがっつり勉強していい成績をとっていい会社に入って見返してやると思っていました。(この時は飲食の仕事がブラックなのは知りませんでした・・・)
とりあえず、就活で一番待遇がいいところに就職しようと思いある東京で社宅のある大手居酒屋チェーンで働くことになりましたが、こっからが壮絶でした。
東京に引っ越しあたらしい環境に胸躍らせこれからどんないいことがあるのかな~とかお金を稼いだら何しようかな~とか楽観的なことを考えていましたが、甘かったです。
いざ出勤日ワクワクしながら東京の板橋にある居酒屋で研修を受けていました。
その時に店長に言われたのが、「家には帰れないから着替えは店に置いておいたほうがいいよ」と言われました。
私「ん?帰れない?」
店長「君社宅でしょ。そこに帰る電車はないしタクシーで帰るのは高いよ。」
私「いや、そんなの面接で聞いてないですよ!」
店長「んーそんなこと言われてもどうすることもできないし、別店舗で働くには1年はここにいないと無理だよー」
店長「ま、とりあえず頑張ればなんとかなるし慣れるよ!」
ていう感じで、プライベートほぼ無し宣言をされた私ですが新しい環境に浮かれてたのかなぜかその時は何とかなるだろうと思っていました。
しかし働いて一週間で体の節々が痛くなりました。
かたい床で座布団を敷いて寝ていたのでそりゃそうでしょう。
また、長時間労働は当たり前、パワハラ当たり前でした。
店長は最初は優しい感じでしたが、次第に本性を現し、いわゆるくそ上司という部類の人でした。
しかも、正社員はその店に私と店長しかおらず仕事は店長は仕事を私に押し付け自分はバイトの女の子としゃべったりしてました。
そんな監獄のような生活を半年続けてましたが、ついに仕事中に倒れ、一週間休職し病院に行ったところ鬱と診断され仕事を辞めることしました。
しかし辞めたはいいもののその時の私に頼る人はほとんどおらず親にも頼れないどうしようとなりました。とりあえず今ある貯金で3か月ほど自宅療養という形でずっと家に引きこもってました。
ですが、貯金もなくなり仕事しないとアルバイトをすることになりました。
ですが、一度なった心の病が3か月で治るわけもなくアルバイトですらろくに仕事ができなくなってしまいました。
家賃が払えなくなり、家を追い出された私が行きついた先はネカフェでした。
いわゆるネカフェ難民というやつです。人生落ちるところまで落ちた私は日雇いで稼いだお金でなんとか食いつなぐ生活を半年続けていました。
そんなある日ふとネットサーフィンをしていたら、生活保護という言葉を目にしました。
ここから人生がいい方向に変わった気がしました。
まあ、そんなこんなで市役所で手続きをし晴れて生活保護受給者となった私は現在は悠々自適のナマポライフを受けています。
そして、これからも受け続けようと思います。