なんでもいいから一つプロになろうという事
これは私の学生時代から今までの勉強と仕事の話です。
私の祖父の遺言は、
『食いっぱぐれるな。1つこれという手に職をつけろ』
でした。
昭和7年生まれの祖父は、7人兄弟の長男•家督として、当時駅長をしていた宋祖父母に育てられました。
戦中戦後、たくさんの兄弟を養い、家を守ってきた祖父は本当に苦労したと思います。
私の父母は仕事をしていたので、退職した祖父母が常に世話をしてくれていました。
「なんでもいいから手に職をつけろ。そうすれば一生食いっぱぐれない。」
意識し始めたのは中学の頃でした。
中学の頃、教室に入ると机に何かされていたりしてストレスを受けるので主に保健室に通っていました。で、授業を受ける代わりに資格を取る勉強も自分のペースでやってみたりしていました。
手始めに学校で受けられた「漢字検定」と「英語検定」を受かるところまで受けることにしました。小学校の頃に「そろばん」を習っていたのでその昇級感覚で楽しく勉強することができました。急があがると家族も先生も評価してくれたのでやる気が増しました。
昇級マインドを取得した私は勉強が楽しくなり、高校には3番で入学することができたようです。職員室に順位表があり、名前があったと同級生が教えてくれました。
高校生になり、大学を目指したかったのですが、親に「関東の女子大に行くか、近くにいてほしい」と説得されてかなり悩んだ末に、2年間で学費が補助され国家資格が取れる学校に入ることにしました。
無事に国家資格をとりました。普通は2種類取るところを先生の勧めで、同級生全員で3種類挑戦し、3種類の国家資格をとりました。他には2種類の技能検定、1つの主任になれる資格を取ることができました。
この時点で、これらの資格は当時女性が少なく、その面でも優位に働くことがありました
珍しいということはそれだけで価値があることを知りました。
そのような理由で、就職も運良く一発合格しました。ここからが本当のスタートです。
男性の仕事に女性が入るということは評価とは裏腹に批判も多くありました。給料も同等に頂けたので、おもしろく思われないこともありました。
とにかく、当時のセオリー通り3週間…3ヶ月…3年は辞めずに頑張ってみようと思いました。
キツかったですがなんとか4年半、勤め上げることができました。
ここで退職となりますが、退職の理由はリーマンショックです。女性であることが弱みになり、ヒラで退職しました。
しかしながら、4年半勤め上げたので技術職でいう『プロ』の肩書きを得ることができました。今振り返っても当時はお給料分は貢献していたと思います。なんせサービス残業をしていました。
2社目は同系統の会社に事務員で合格しましたが、資格と経験があったので2日で現場復帰しました。
小さい会社だったので経理も仕入れと販売の要領を教えていただきました。
当時の部長は在職中に亡くなりましたが今でも大切にしている言葉を教えてくれました。「売り手良し。買い手よし。世間よし。」
そんなこんなしているうちに
国家資格があったことで工場を作ることになり
ひょんなことから肩書きに『長』がつきました。
めでたくスキルアップ!
程なくして東日本大震災が起き、仕事がハードワークになりました。
好きな仕事だったので行きたくないということはありませんでしたが、整形の疾患を発症してしまい、現職だと結婚と出産のタイミングを迎えるのが難しいと判断して離職、転職することにしました。
ハローワークに登録しましたが、ピンとくる仕事がありません。そこで当時まだ主流でなかった
転職サイトに登録して機会を待つことにしました。手の届かなそうな仕事もダメ元で受けてみることにしました。
何社からかオファーをいただきましたが、全く別の職種でしかも外資系の仕事を選んでみました。実は横文字すぎて全く職務内容を把握していませんでした。
違う仕事を習得するのは大変でしたが、既にハードワーク、ショートスリーパーに慣れていたことや、幸い独身だったので詰め込みで仕事を吸収することができました。
評価が数値で出る仕事で追われている感じもありますが元々そういった仕事だったので数値が伸びるのを楽しく感じて仕事をしていました。
伸びない時、スランプの時もありましたが、そういう時は素直に頼ったり相談したりすることを学びました。
これからは風の時代、4年に1回スキルを学び直さなければならないような風潮ですので、どんどんチャレンジしていったらいいと思います。
また、昔ほど働き詰めにならなくても自他共に認められるからどんどんウェルネスの方向に向かっていったらいいと思います。
ジョブ制にあたっては、ジュニアはシニアの仕事はできないし、シニアはエキスパートの仕事ができないから、早めにジョブレベルを高めて横か斜め上を目指して仕事していければなと思います。
結婚にあたりどうしても子育てという仕事もできてくるのでジョブ制と上手く付き合っていく。定年のない面白そうな会社を見つけてやりたい部署に入るのが最近の考えていることです。
KASIKO