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火の力

先週、子供の体調不良と叔母の逝去でお休みしました。

姪の子の私はそんなに一生懸命参列しなくてもいいポジションにありますが
子供の頃、毎日のように寄り道寄り道した伯母のいえのことを忘れられないというか、なくなった途端にフラッシュバックしてしまって”これがキューブラ・ロスの『喪失の5段階』かなあ・・・、、と感じながら思考の整理に努めていました。

どれくらい酷かったかというと、葬儀日程をいただいても全く頭に入らず、「明日が通夜で明後日が火葬と葬儀」と聞いていたのに「明日何時に火葬に行くんだっけ?」と母に聞いてしまう始末で、母も「明日9時だから、忘れないでね」なんていうもんだから、母もなんだか参ってしまっていたのだと思います。

義父の入院で死に対する覚悟をしていたし、喪服や黒のエプロン、バック、ハンカチ。。。と一応準備していたところに全く違う方面の大切なお知らせが来たことから、かなりの衝撃で「お葬式」には参列する機会が多いからいつでも大丈夫と思っていた自分の意外な一面性を知ることになりました。

昨日は夕方から通夜だったので
なくなった日に森の寺子屋を行っている住職の佐藤良規さんに「おいで」と声をかけていただいたのを思い出して
同じく保育園を休んだ子供と3人で寺子屋に行きました。

たまたまですが、二月一五日はお釈迦様が亡くなった日。 お釈迦様が亡くなるということ自体、仏教に詳しくない方は知らないと思いますが、涅槃会(ねはんえ)という言葉は聞いたことがあるかもしれません。 実はこの涅槃会こそ、お釈迦様がお亡くなりになられた日を偲び、お供えものをして読経をする儀式が行われます。

お習字の先生がいらっしゃって子供と自由に習字をし
良規さんお手製の豚汁をいただいて
子供達は本堂やお堂の前を自由に走り回って遊び
法衣に身をつつんだ良規さんがお経を唱え、一人一人お焼香をし
亡くなられた身近な方のお名前も上げてくださり
子供達は走り回っていましたが「こんなことをしていた」と記憶に残るといいなと思いながら手を合わせました。

私は曹洞宗のお寺の幼稚園に通いましたが、子供達は宗教色のない保育園で育っているので私の気になっていた部分も森の寺子屋に通うことで補われている気がします。

子供には供養の仕方というものは自分のために心得ていて欲しいなと思っています。

その後、千年藝術の森の前で1年間作った作品をなどお焚き上げしました。
お焚き上げしながら自分の手放したいものを言いながらくべていきます。
私は「脂肪」を燃やしたい!笑と言いながら入れました。
(喪中なのは私だけだったからちょっと気になっていたので笑いをとりたかったんです。)
お焚き上げをしながら良規さんのご厚意で伯母のことも拝んでいただくことがになりました。自分の気持ち精神世界を理解していただけていることに深く感謝を感じました。

寺子屋を後にして、通夜に参列し
翌日の火葬と葬儀に参加をしましたが、
家柄の関係など余計なことが気になってしまっていて
寺子屋で落ち着いて供養できたことが一番の
私の気持ちの供養となりました。

良規さん、ありがとうございました。




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