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私の美の基準

幼いころ、ケーキ屋さんになりたいという王道な夢をもっていた。しかしながら、幼少期にケーキを食べることなんて、誕生日かクリスマス位だった。

小学生頃だったか、家でお菓子を作りはじめたが、いかんせんバターや生クリームが高いため、頻繁にはそうそう作ることはできなかった。高校生になり、バイトでお金の自由がきくようになってからは、人の誕生日などにせっせとケーキをつくるようになり、ガトーショコラをよく作っていた。あまり失敗がなく、なにより材料がシンプルであったのと持ち運びやすく、常温OKだったからだ。タルトは材料も多いし、工程数も多いわりに納得のいくおいしさにはたどり着けなかったのであまりつくらなかった。まだケーキも今の時代みたいにどこでも買える状況ではなかったから、喜んでもらえたのだと思う。社会人になってからは行動範囲も広がり、お金で解決できるようになったので、プロのケーキを食べるに越したことはないとまったく作らなくなった。けど、やっぱり頻繁にケーキは食べないのだ。しかし、ケーキ屋に行くと目移りするし、心躍る。

私はケーキの見た目が好きなのだ。

あの彩りや、きらきらしたツヤ、質感など、一つの芸術品となっているケーキのビジュアルが好きなんだなとやっと気づいた。それはチョコレート屋に勤め、世界のショコラティエ、パティシエの造形美と味の構成の素晴らしさを目の当たりにして、すごく惹かれている自分がいて、また最近食が細くなって、たくさん食べられなくなったから拍車をかけるように気づいた。食べずに見て満足、作っている過程や背景を肴に眺めているだけで酒が飲めるという感じである。

もう少し抽象的に好きなものになると、色に惹かれる。日本独特の伝統色も然ることながら、世界中の色に興味がある。その時のテンションや気分で選ぶ色は、やはり違うし、今日着る服、選ぶネイルの色で逆に気分を上げることができる。

なんだかとりとめのない話になっているが、つまっていないが、つまるところ、私の美の基準は『本来持っているものの魅力を最大に引き出しているもの』。潜在力・潜在能力の最大化に魅力を感じている。”本来持っているもの”が一番のキーワード。とりあえず、これを書き留めておきたかった。

だって、農家さんが頑張って作ったバラバラの作物、小麦粉と乳と卵と果物等からあんな美しいビジュアルのケーキができるんだよ?誰がかんがえたんだろうか。芸術だよね。服もそう。服を選ぶ基準は自分をできるだけ良く、見せてくれるものを選ぶもんね。色も形もテンションも。

人にあげるプレゼントもそんな感じで選んでる気がするなぁ。

組織の在り方に対する考えもそこに起因していると思う。この話はまた別の機会に。またとりとめもなく長くなりそうなので。


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