The SALOVERSの歌詞と青春の終わり
Intro
資格試験まで残り一か月を切って、気分が浮かない。
(noteもほとんど見れていないのでコメントとか見落としていたら許してほしい)
まあ別に受かっても落ちても大して問題じゃない試験なんだけれど、勉強時間と休日1日を犠牲にするのだから、できれば受かりたい。
この「できれば受かりたい」というやつが絶妙で、受かりたいという気持ちは確かにあるものの、一生懸命勉強するほどではなく、結果として焦燥感ばかりがつのっていく。
この気持ち、なんとなく覚えがあると思って辿ってみると、大学時代の定期試験前の気持ちに似ていた。僕はとても怠惰な大学生だったので、講義にはほとんど顔を出さなかったし、テスト前の勉強もほとんどしなかった。ただ、留年だけはどうしてもしたくなかったので、試験期間中はいつも言葉にできないような焦燥感に駆られていた。
そのころ僕はThe SALOVERSというバンドが好きだった。
今でも好きだが、今聞いても当時のような感情にはならない。
彼らの作る歌は、「大学生のための歌だった」と思う。
Verse
The SALOVERSとは
The SALOVERSは、『閃光ライオット2009』で審査員特別賞を受賞して、2010年にデビューした日本のロックバンドだ。2015年3月25日をもって「無期限活動休止」となり、現在も「活動休止中」ということになる。
僕が大学生になったのが2015年4月のことなので、例によって(以下記事参照)活動休止した後に好きになったバンド、ということになる。まあ、あんまり有名ではないしね。
恐らく邦ロック好きであればほとんどの人が知っているバンドなのだろうが、誰もが知っているバンドというわけではない。一般の人にとってはむしろバンドのボーカルを務めていた古舘佑太郎の方が有名かもしれない。朝ドラ「ひよっこ」に俳優として出演するなど俳優としても活動している。何より、あの古舘伊知郎の息子である。
彼らの曲は一聴するに、青春パンクっぽい。楽器はあんまり上手くないし、ボーカルも意図的に乱暴に歌っている。でも、歌詞を見てみるとそんなことはないとわかる。金持ちの家に生まれ、慶応幼稚舎からの幼馴染によって慶応義塾高校で結成された、ある種の知的さやハイソ感、そしてそれに裏打ちされた虚しさやコンプレックスがパンパンに詰まっている。
彼らはむしろ『青春の喪失パンク』なのである。
Disaster of Youth
そんな彼らの最後のアルバムのタイトルは『青春の象徴 恋のすべて』である。そしてこのアルバムは『Disaster of Youth』――青春の災難という曲で始まる。
青春の終わりの自覚と、それが終わる瞬間に無茶なほど青春を謳歌したいという気持ちが詰まった歌詞だ。でも、この歌詞にはどこか作ったようなところがあるような気がしてならない。
人は「欠けているものを規律的に重視する傾向がある」と僕は思っている。この歌詞には何かそういうものを感じるのである。
森田公一とトップギャランの歌詞に『青春時代が夢なんてあとからほのぼの思うもの』とあるが、本来何かしらの現象の渦中にある人間は、典型的な目線でその現象を捉えることができないし、その現象を語ることをしない。
しかし、この歌詞において青春は非常に典型的な形で描かれている。その意味において、この青春は「規律的だ」と感じるし、彼らにとって「欠けている」のではないかと感じる。
この曲のタイトルや、冒頭の『夜明け前にはこんな場所から出よう 闇を駆け抜けよう』という歌詞は、それを裏付けているように思えてならないのである。
The SALOVERSと大学生的厭世観
彼らの曲の中には、大学生的な厭世観がパンパンに詰まったものが多くある。むしろこっちの方が、素の彼らに近いのではないかと思う。
大学生的な厭世観というのが何なのか、を言葉にすることは難しいが、ひとまず例を見てもらおう。
仏教ソング
サイケデリックマリー
ディタラトゥエンティ
仏教ソングには、世間的な感性と馴染めない自分と、それを(心のどこかで)良しと思っている浅ましさ。
サイケデリックマリーには、好きだった(少なくとも好意を抱いていた)女性が(おそらく)大麻を常習するようになり、好きだった姿とは程遠くなってしまう虚しさ。
ディタラトゥエンティには、性というものに対する嫌悪感。
そして、いずれの歌詞においても、それを『女』に仮託するみじめさがある。女性の読者からすると我慢ならないかもしれないが、彼らの魅力というのはここなのである。
すなわち、彼らは矛盾的なのだ。
彼らは見下す。確かに、彼らは金持ちである。学歴も、社会的地位もある。
しかし一方で、彼らは冷笑する。彼らは持つ者が故にみじめである。
芸術において、無自覚的にみじめであってはいけない、と僕は思う。しかし、彼らはこのみじめさに自覚的である。証拠は出せない。ちゃんと言葉を整理すれば出せると思うが、(僕に)時間が足りない。
でも、最後に挙げたディタラトゥエンティの歌詞の2番ではこう歌われている。
青春の終わりも、青春の災難も、厭った世の中も、肯定しようとしている。
なんとか、これで証拠にしてもらえないですかね?
Chorus
「矛盾」と書けなくても『矛盾』が好きな大学生
漢字が大の苦手なので、『「矛盾」と書けない大学生』であり、今では『「矛盾」と書けない社会人』である僕だけれども、昔から『矛盾』が大好きだった。
『矛盾』はいつでも複雑だ。
The SALOVERSの歌詞も、本当はさっき書いたほど単純な矛盾では構成されていない。彼らの人生も、歌詞も、歌詞と歌詞の間の関係性も、歌詞とメロディの関係性も、すべてひっくるめて矛盾なのだ。
矛盾は、無矛盾よりも多くを表現する。
矛盾は、無矛盾よりも本質を捉える。
バンドを始めた頃
最後に、彼らの曲の中で一番好きなものの歌詞を簡単に紹介する。
『バンドを始めた頃』という曲だ。
冒頭
最初の3行は、単純化してしまえば『今/この瞬間』という意味である。しかし、付随する情報によって、切迫感がありありと表現されている。未来は頼りがいがない、過去には戻れない。今決断して、今認められるしかないのである。
歌詞はこう続く。
白熱灯、というところから推察するに、舞台は一人暮らしの家である。過去のことを思い出そうとしても思い出しきれない。大切な思い出すらも忘れそうになってしまう。
そこで『異国の風』は「俺らに過去などはない」と囁くのである。
ここにも、せっかく冒頭で(長い尺をかけて)表現した「今」という表現を台無しにするような矛盾がある。
本当にとても良い曲なのでぜひ聞いてほしい。
Outro
後記
怠惰な大学生だったと書いたが、最終的には火事場の馬鹿力で四年間で卒業した。ギリギリにならないと努力しないのは今でも変わっておらず、この原稿を書き始めたのはほんの一時間前である。
ぜひ、今回の資格試験も火事場の馬鹿力で突破したいものである。
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普段はクジラサウンズという名義で楽曲を配信しています。
歌詞が大好きで、歌詞にこだわりをもって曲を作っています。
本稿で興味を持っていただいた方はぜひ聴いてみてください!
新曲「猫のはかまいり」 mv
「レメディ」 mv
各種ストリーミングサイトへのリンク
以上
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