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歌詞解釈総論① コンテンツ紹介と次回テーマ
はじめに
導入
歌詞解釈総論①として、『歌詞解釈のスコープ』をテーマとして記事を書く。ここで歌詞解釈のスコープというのは、歌詞を解釈するときにどのような単位に分割するのが良いか、という話である。
結論めいた書き方になってしまうが、僕は世間で一般的に用いられている『スコープ』は適切な分割単位になっていないのではないかと思っている。今後歌詞解釈に関する記事を書いていくにあたって、その土台となる部分なので第一回目の記事でしっかり整理しておきたいと思った次第だ。
何を/誰が/誰のために?(コンテンツ紹介)
先に前提として本稿をはじめとする『歌詞解釈総論』がどんな内容で、誰が誰のために作るのコンテンツかということを書かせてほしい。
『歌詞の意味を理解する』こと、すなわち『歌詞を解釈すること』というのは、その歌詞の持つ価値や意義、もっと抽象的に言うと「キラメキ」のようなもの源泉をたどる行為だと思う。
それは言うならば手品の『種明かし』のような罪深い行為だ。
キラメキの源泉をたどることで、逆説的にもう二度とキラメキを享受できなくなるということは往々にしてある。手品しかり、推理小説しかり、そして歌詞もしかりだ。
そんな行為が一体誰のために必要なのかというと、僕は苦い顔をせずにはいられないのである。通常のリスナーは解釈なんてせずともその歌を聴くことで「キラメキ」を享受することができるし、そのキラメキこそが歌詞の本質だからだ。
それでも歌詞に魅せられた人たちは、解釈をしたいという欲望を抑えられない。巷がいろいろな曲の歌詞解釈を行うWebサイトやSNSの投稿があふれかえっているのはその証拠である。
しかし一方で、歌詞解釈とは何かといったドラスティックな問いや、どのように歌詞にアプローチしていくかといった方法論については、書籍も含めてあまり多く語られてこなかったし、その結果歌詞が適切に解釈されていないのが実情であるというのが僕の考えだ。
このコンテンツは、歌詞解釈という領域において、"歌詞に魅せられた人たち"の一人である僕が、僕の思う適切な歌詞解釈について書いていくものである。先に書いた通り先駆的な領域なので、言ってることが間違っていたり、視野が狭かったり、コロコロ変わったりということも起こると思うけれど、そういう指摘も含めた"歌詞好き"の人たちを交流を通じて「歌詞解釈」というテーマを深堀していきたいと思っている。
最後に、僕は誰なのかという話。
このコンテンツにおける僕は、ただの歌詞好きの28歳男性だ。ただ、趣味として「クジラサウンズ」という名義で楽曲製作をしており、歌詞は自分なりのこだわりを持って作っている。ちょっとだけ宣伝をさせてもらって、このページを見てくれた歌詞好きの方々に少しでも自分の楽曲を聞いてもらえればこれに勝る喜びはない。
新曲「猫のはかまいり」のPV
各サブスクリプションページに飛べるアーティストページ
ずいぶん長くなってしまったが、本題に入る。
解釈のスコープ論
ポピュラーな歌詞解釈手法
まずは、本稿のテーマである『歌詞解釈のスコープ』を掘り下げるにあたって、まずは一般に行われている歌詞解釈においてどのようなスコープ設定がなされているかを確認したい。
そのあと英文解釈を例として、解釈一般におけるスコープ設定の条件を考察する。
まず"Lemon 歌詞 解釈"でgoogle検索して一番上に出てきたページのリンクを張っておく。あくまでも一例だが、この歌詞については次回以降の記事で題材としようと思っていると思っているので選んだ。
多くの歌詞解釈記事がそうであるように、この記事は以下のような構成をとっている。
★Aメロ 歌詞
■Aメロ 歌詞解釈
★Bメロ 歌詞
■Bメロ 歌詞解釈
★サビ 歌詞
■サビ 歌詞解釈
これは一見すると何ら不自然なことではない。
というのも、歌詞というのは本来メロディに引っ付いてくるものであり、メロディというのは並べ替えることのできない強力な時系列なので、歌詞を上から順にある程度の細かい単位に分割して、順番に意味を解釈するというのは理にかなっているように思えるからだ。
ところが、こうした解釈方法を採ること自体が、歌詞のキラメキを見落とす端緒となることがある。取り急ぎこうした解釈方法を『逐語的解釈』と呼ぶことにする。(本来は逐文的などという表現の方が適切だと思うが、響きがピンとこないので逐語的で押し通させてほしい)
英文解釈の方法論
同じ「解釈」という観点から、英文解釈の話を少しだけ例として引っ張りだしたい。(英文になじみのない方は結論まで読み飛ばしてもらっても構わない。)
例えば、以下のような英文があったとする。
Yuka Kagami defeated American Kennedy Blades in the final to win the women’s freestyle 76-kg crown and give Japan its 20th gold medal in Paris.
翻訳すると以下のようになる。
鏡優翔がアメリカのケネディ・ブレードを破って、女子フリースタイル76kg級の栄冠を勝ち取り、日本にパリ五輪における20個目の金メダルをもたらした。
拙訳
この文を解釈することは容易である。
なぜならば、文という単位は、文法的に必要な要素が過不足なく網羅されているというものだという大前提があるからである。
この前提があるからこそ我々は、主語はYuka Kagamiで、動詞はdefeatedで、winとgiveはandで結ばれたto不定詞でdefeatedにかかる副詞的に作用している――といったような解釈が可能なのである。
その前提がなければ――すなわち文の中に文法的に必要な要素が不足している可能性が微塵でもあるのであれば、意味を確定することはとたんに不可能にある。
また逆に、もし我々が"defeated"などと1単語だけ見せられたとしても、それが動詞なのか過去分詞なのか、ひょっとしたら名詞なのかなんてことはわかるはずもない。
解釈は”意味を確定する行為”とするならば、解釈は意味を確定するにあたって必要な情報を過不足なく含むスコープに対して行われなければならない。
これを大前提として、話を歌詞に戻す。
次回テーマ
適切なスコープを判定する方法
そこで問題になってくるのが、『歌詞解釈における適切なスコープ』とは何かというテーマなのである。
このテーマは、以下の2ステップに分解することができる。
歌詞解釈における必要な情報の全量とは何か
それを過不足なく含む単位とは何か
前章の結論の通り、"解釈は意味を確定するにあたって必要な情報を過不足なく含むスコープに対して行われなければならない。"のだとすれば、まずはその情報の全量を明らかにして、それを過不足なく含むように単位設定をしてあげる必要があるからだ。
次回の記事では、まずは「1.歌詞解釈における必要な情報の全量とは何か」というテーマを掘り下げて書いてみようと思う。書くことがあんまりなかったら「2.それを過不足なく含む単位とは何か」も含めて記事にするかもしれない。
とにかく、久しぶりにそれなりの長さの文章を書いたのでとても疲れた。学生時代は一夜漬けで4000字レポートとかザラにあったような気がするけれど、これを継続していくのは並大抵のことではない。
noteを定期更新しているすべての人たちへの敬意と共に、来週私が更新できていることを祈りながら、この記事は終わりにしたいと思う。