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【連載/後編】1回目の起業で大失敗した話

こんにちは!クウゼン広報PR部です😊

スタートアップならではの会社経営の舞台裏や代表太田が関心を持ったテーマについて不定期で発信している社長コラム「代表太田の気になるハナシ」第2弾!後編をお届けします。

連載形式で、太田がクウゼンを起業する前の「大失敗エピソード」をご紹介しています。前回の記事では、起業に至った背景から最初の展示会の様子までを教えていただきました。

▼前回の記事はこちら

香港からECサイト用の写真撮影システムを輸入して日本で販売するビジネスを始めた前編。続編では、軌道に乗るかと思われたところからの苦労話を中心に語っていただきます!



オペレーションが地獄だった

大失敗した話なのでそんなに物事は簡単に進みません。ハードウェアの製品を動かすことの大変さを知ったのはこの後でした。

まず製品を極力コストをかけずに輸入するためには船舶の一択でした。香港から日本までの船便は数週間は見込む必要がありました。そして商品を受け取るために東京港に倉庫を借りる必要があります。その東京港で積み下ろされた荷物を荷解きし、販売先ごとに仕分けし、宅配業者を手配して受け渡す…という作業を行う必要があります。

このような作業は当然必要なのですが、自分がずぶの素人だったということもありめちゃくちゃ時間がかかりました。商品によっては10kg程度の重量があり、一つずつ暗い倉庫の隅で仕分け作業を行う時間が延々と長く感じられたのを覚えています。特に冬場の港の倉庫はめちゃくちゃ寒く、一人で仕分けをしながら非常に孤独を感じたことを覚えています。

また、何度か利用させてもらっていた倉庫業者からある日値上げの要求がやって来ました。仕方ないので一旦自分の自宅を荷物の引き取り場所として指定しましたが、あまりに軽く考えていたため自宅が商品で一時埋まってしまうという事態に陥り、家族にも迷惑をかけてしまいました…。

当時太田さんが輸入していた写真撮影システム

さらに大変なのはアフターサービスでした。
ある日、販売した先の群馬県のクライアントから電話が入ります。
「撮影テントの一部に黒い斑点があるので交換してほしい」という依頼でした。レフ版を兼ねたテントはそもそも写真を撮る際のフラッシュを反射させる役割なので、小さな斑点があろうとそれが写真に写ることはないんです。しかし先方はどうしてもその斑点が気になるので交換してもらわないと困る、ということでした。「苦労して輸入して成果物の写真には何の影響もないのに交換だなんて…」と浅はかだった僕は、結果的にクライアントと電話越しにケンカしました(笑)

よく言われることですが、日本の企業のクオリティに対するこだわりは非常に高いレベルにあります。しかし残念ながら、香港のメーカーと何度掛け合っても「そんなクレーム聞いたことない」と相手にされませんでした。こうした国内クライアントと国外メーカーとの間での板挟みには、とても苦労しました。

売れなくなってきた

ビジネスは競争です。同じ手法でずっと販売できるほど甘くはありません。何度か展示会出展で販売を試みましたがだんだんと引き合いが少なくなってきました。
この頃にはWebサイトを作ったり、カタログ販売を模索したり、小売店に取り扱いを交渉したり色々な手を模索していました。

売れなくなってくるとメーカー側のプレッシャーも高まります。個人で数百万円程度の在庫を抱えることで何とか独占交渉権自体は維持することができましたが、「次はいつ大型の展示会に出すのか?いつ輸入のオーダーを出すのか?」という連絡が頻繁にやってきます。

しかし、何といっても一番の問題は自分の情熱でした。
自分の中で言い訳を見つけるようになってきたのです。自分が作った商品ではないし、自分が知っている業界でもないし、そもそも写真撮影への興味なんてそんなに高くないし…。どんな商品であっても執念で販売する、という商売に対する情熱が薄れてきてしまったのです。

モチベーションが下がってきて、だんだん輸入ビジネスに対するマインドシェアが下がってきました。メーカーとのコミュニケーションも必ず即日返信していたのが2-3日経過して返信するような頻度になってしまいました。

まさにY Combinatorのポールグラハムが言っている通りです。キーを打ち続ける起業家が死ぬことは滅多にありません。何らかの言い訳を抱えた起業家が諦めていくのです。

学び

繰り返しますが、個人起業だったので上記は全て自分1人で行っていました。(展示会出展には友人の協力を得ることができ非常に助かりました)

常に自分につきまとっていたのは、「孤独」というこの一点でした。

マーケティング、営業、アフターサービス、輸入事務、会計、税務、バックオフィス業務も含めて自分しかいません。誰も頼れる人がいない中で、「何のために頑張っているんだろう」という感覚が徐々に強くなってきた印象が今でも残っています。上記の失敗経験でおそらく金銭的には500万円程度は消えていったと思いますが、それ以上に精神的な負担が非常に大きかったです。

この反省もあり、現在のクウゼンではチームで戦うことを非常に重視しています。そして素晴らしいチームメンバーに感謝してもしきれません。みんなが成長する場を今後とも提供できるよう全力を尽くしたいと思っています。

また、ハードウェアを扱うのがこんなにも大変なのかという苦しみも、自ら経験を積んだことで非常に良く分かるようになりました。そのため、2回目の起業でクウゼンを始める際には必ずソフトウェアで戦おうと思ったのですが、ハードウェアスタートアップを創業される起業家の方のことは大変尊敬しています。
また、上記の経験から相応程度の時間が経過したこともあり、ハードウェアをまた扱っても良いかなと思う自分もいます(笑)

最後に、何より自分がプロダクトの設計や方針決めに関わっていなかったことは撤退の決断に際して大きなポイントだったなと思います。自らがプロダクトに魂を込めて磨き続け、世の中のこのような課題を解決するんだ!このような世界に変えていくんだ!と強く想いを持ち続けられるかどうかが勝負を決めると強く感じています。

最後に

失敗経験のシェア話、いかがだったでしょうか。
思い返すと色々と悔しさが込み上げてくるのですが、これを糧にクウゼンの事業をますます成長させていくことに全集中していきたいと改めて思っています。僕自身もシリアルアントレプレナーとして失敗経験を活かし、ますます頑張っていきたいと思います!


代表太田の大失敗ストーリー、いかがでしたか?
こうした泥臭く取り組んだ時期や失敗経験があったからこそ現在のクウゼンが生まれたわけなので、感謝したいエピソードですね。

こんなCEOのもとで働いてみたい!と思ってくださった方は、ぜひ下のリンクからお気軽にご連絡ください!カジュアルにお話しましょう☕️


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