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ライナーノーツ
NOIZ結成30周年、解散してから25年ほど経った2021年にリリースした「Old times」
レコーディングしたのはおそらく1995年〜1996年。
当時は発売されることなく解散して、世の中に出ることはありませんでした。
拙くてガチャガチャしていて、それでいてあの頃の情熱が残されています。
今さら聴いたら無茶苦茶恥ずかしいかと思っていましたが、かわいくて仕方ありません。
当時の想いなどを書き残しておこうと思います。
Good day
とにかくライブが多かったし好きでした。
横浜や東京でしか会わない人。原宿ホコ天でだけ会う人。横浜ストリートで出会った人。地元に近い名古屋で会う人。
当時はインターネットが普及していなかったので、ライブ会場で話したり手紙をもらってみんなの近況を知りました。
ライブではみんな楽しそうでも、日々いろんなことがあるんだなぁと。せめて今日はいい日になって欲しいなぁと。そんな歌です。
まだゴミ袋が指定されていなかった時代なので、僕のお気に入りは「スカイブルー色のゴミ袋」でした。黒いゴミ袋では気持ちは晴れないから。
#802
神奈川県平塚市豊原町にある赤木ビル802号室。
僕が住んでいたマンションは、国道1号線沿いにそびえ立つ10階建てのピンク色したビル。
ほとんど鍵をかけず、いろんな友達が勝手に出入りしていました。
富士山や平塚の海が見える部屋で、若者たちはたわいもない話に夢を少々交えて、朝までワイワイしてました。
最後にレコーディングしたこの曲はオーバーダブ以外はメンバー4人で、せーので一発録り。
曲の最後にはレコーディング完了の喜びを、メンバー全員で叫んでいます。
僕は「完パケやぁーーー!」と叫んでいました。
その後解散したNOIZにとっても、最後の音。
メロディーメーカー
ひと月に10曲くらい書いていたころ、手ぐせのコード進行などがメモされたカセットテープの録音機材には、断片的なメロディーや歌詞がとりとめもなく吹き込まれていました。
アイデアのカケラを後から仕上げる事も多かったんですが、ある日このメロディーを聴きかえした時に、歌詞まで一気に仕上がった曲。
とにかくシンプルでスタンダードな8ビート。
疾走感以上に、当時の焦燥感とそれを抑え込んでやろうという気概を感じる歌です。
Certainty
19歳から20歳になる頃、高校の同級生や幼なじみ、音楽仲間、お世話になっていた人など、立て続けに亡くなりました。
子供の頃に思い描いて畏れていたものとはかけ離れた「人の死」
そのリアルさを受け容れる間もなく、葬儀に参列する僕は、喪服は着ていても頭はピンク色だったりした。
バンドマンだし、とか割り切れない自分を知った。
ああ、世の中からはズレてるんだなと。
上等だよ。好きでやってんだよ。そう思っていたし、それで良いと思ってたけど、故人を偲ぶ場では自分に違和感を覚えた。
幼なじみの葬儀で、重い空気に耐えられずに1人の友達が笑った。
場違いだと思った僕は、その友達に食ってかかった。
誰よりも場違いな髪色で。
高校の同級生の葬儀のあと、1人の友達が吐露した。
「あんなに仲良かったのに、こんな時しか集まらない俺らって何やろ。友達って何やろ。」
成人式すら迎えられなかった同級生が、僕たちに子ども時代の終わりを告げた。
今でもたいがいですが、当時の僕は壊滅的にデリカシーが無く、不器用に無差別に他人を傷つけていた。
「渇いた言葉に水をあげましょう」
葬儀から帰る電車の中で頭の中を巡った言葉を、歌詞から書き上げてこの歌にしました。
想い出もつれていこう
昔付き合ってた彼女が、別れ際にくれたポストカードに「あなたのこれからが光で包まれますように」的なことが書いてあって、幼かった僕には不思議だった。
別れるのに幸せを願う人がいる事を知り、恋人と別れると想い出の品や写真など全部捨ててスッキリするタイプだった僕は、せめて想い出は連れて行こうと思って書いた歌です。
期せずして、NOIZの解散ライブの客出しBGMになった歌。
Sunday's Gallery
子供の頃から美術が好きで、絵画を見るとその中に入っていける想像力の逞しい子供でした。
歌詞に出てくる「ベルナール・ビュッフェ」「アンドリュー・ワイエス」「マルク・シャガール」「ポール・アイズピリ」は、今でも好きです。
「ひとしずくだけ落としたラッキーカラーが〜」のくだりは、演奏も含めてお気に入りです。
恋の季節
今のバンド「トライオン」でも演奏することの多い曲。
コードの名前が分からず、「A⭐︎」「Dドクロ💀」のような、解析不能なコード譜を元に、メンバーみんな頑張って演奏してくれました。
「夜中にベル打って」の「ベル」はポケベル。
時代を感じます。
ちなみに今は「夜中にメールして」と歌っています。
他の曲でも「ファミコン」「(カセット)テープ」などが出てきますが、当時は「プレステ」「CD、MD」だったので、ちょっとした懐古だったのでしょう。
というわけで、
25年くらい昔のことなのに、驚くほど覚えている事や思い出す事が多くて、これでも手短に書いたつもりですが、長くなりました。読んでくださってありがとう。
楽曲をダウンロード購入などして聴いてくれた皆さん、本当にありがとうございます。
10代で3枚のCDをリリースして、いよいよ20代でのリリースという手前で解散して、日の目を見ることのなかった楽曲たちが、みなさまの心の中で育ててもらえたら本当に幸せなことです。
解散してから数年後、地元の岐阜県大垣市に全員戻りました。みんな元気に暮らしています。
2016年の1日限りの復活ライブ。
また出来るかな?
それまでどうかお元気で。