狂人たちの話
クリエイティブに狂っている人間の話を聞いた。
でも私たちから見た狂人たちはそれほど狂人ではなくて、そのさらに先の狂人たちを見て同じように恐れを抱いていることを知って、少し安心感を覚えた。
もちろんクリエイティブの世界には一握りの神は存在するし、絶対に越えられない壁が存在することもわかってきたが、その手前では狂人たちが一過性の熱に浮かされてこの世界を作っていることを知れたのは僥倖だったように思う。
なぜなら、その領域であればまだ常人は手を伸ばすことが出来るからだ。
さらに狂人たちは、尋常ならざる速度で絵を描いたり、物を作ることはもちろんするのだが、その他にもフィジカルに頼って数の暴力によって物事を解決することがあるらしいのだ。
これは私たちにも可能な領域のことだ。
もちろんそれは熱量による努力の先にあるのかもしれないが、少なくとも越えられない壁ではないように私には思えた。
この熱は絶やしてはならない。
この熱はその成果物に宿りいつか誰かの熱に代わるらしいのだ。
それがいつかは分からないが、それによってチームをまとめることもできるし、見るものに勇気を与えることもできるのだ。
この熱を絶やしてはならない。
狂人たちは限られた時間に一瞬にして熱を発し心血を注ぎこむことが出来る。
効率の良いエンジンのように、一気に加速し最も高い力をクリエイティブに込めることが出来る。
常人の私にはそれがないのだ。
それにはこの世界を知る必要がある。創作物に対して真摯に向き合う必要がある。文字でもいいし映像でもいい。目に見て触ったモノが、なぜ作られたのか。誰によって、何処で、どのように作られ、ここにやってきたのかを知る必要がある。そこには必ず作り手の妙があるはずなのだ。
常人の私はあらゆる解像度が低いように思う。
ゲームをするにも、映画を見るにもそうだ。このUIはどのようにできているのか。このシーンはどのような意味があるのか。細かく知る必要がある。
それを知り噛みしめることでしか得られぬ熱がある。
だが忘れっぽい常人の私はこんな大切なことを私はきっと忘れるんだろう。悔しいことだ。
少しでも忘れないためにここに熱を残しておく。