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2024年のはじまり

年明け早々に能登半島で大きな地震があった
津波に火災まで発生した

電車内では刺傷事件
空港では衝突事故

波乱の年明けだ

私はとえいば例年になくTVのお笑い特番をハシゴした
初詣も初売りにも行かず自宅に引きこもっていた
勤務先経由で発注したお節料理は実家に送られていて
年明け前に実家を引き上げた私は
年越そばに買った乾麺を毎日茹でて食べた

それにしてもX(旧Twitter)に湧く馬鹿者どもはなんとかならんのだろうか
能登半島地震にかこつけ、架空の住所を記載して救助を求めるポスト、さらにそれをリポストして拡散、
結果、救助活動の為の情報収集の妨げになっている
実際の住所を記載して嘘の救助要請をしたポストもあるらしく、
そこに住む人にも迷惑だし、
警察・救助隊も無駄足を踏まされたケースもあるようだ

このような非常事態下においてこのような悪質な好意は厳罰に処すべきではないのだろうか
偽・嘘の情報の投稿、拡散に対する処罰というのは、それが齎した名誉棄損であるとか威力業務妨害とかの罪に問われるようだが、
訴える人がいなくても、こういう悪質な行為を放置してはいけないと思う
思うが、そういう法律によって言論統制に向かうことになったら、それはそれでよくない気もする

結局、社会は1人1人が善き行いをすることを意識しなければ、それこそ健全な状態には保たれないのかもしれない

以前から思うのは、
「真っ白なシーツ」に包まれたいと願うのは無理なことなのではないか
ということ
「真っ白なシーツ」というからには一点の汚れも許せない
白いシーツに小さな汚れが付いただけで
気になってしまう
落胆してしまう
諦めてしまう

どれだけの善意に溢れていても、ほんのわずかな悪意が全てを台無しにしてしまう
どうしてそんなに弱いのか
否、人は弱いのだ
鍛え上げられ強くなった人が、結局、人を率いる立場に立ち、主導権を握るので
「強くなれ」「強くなることが第一」というような社会になって、
そんなことは気にするな、無視しろ、と、
まるで弱いことは悪いことというのが基準になってしまっているんじゃないだろうか

指導者となった強者はどれだけ弱者を慮ることができるのだろう
弱者のつもりでいる人も主導者となった時点で弱者ではないことに気付いていないのではないだろうか

だからといって弱者保護に行き過ぎると
世は脆弱で頼りないものになるのかもしれない

Be strong or die

やり甲斐のない、報われない仕事を続けるか

会社を辞めて隠居するには生活費が心配だし、
バイトでもしながら数年しのぐか
一時間置きに気持ちが揺らいでいる

こんな強さ主義の世界で私はあとどれだけ自己を保つことができるのだろう
世捨て人となり社会を拒絶して生きて行けるほど
強くない

Be strong or die

クソみたいな年の始まりだ

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