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なぜ田舎にやってきた(移住した)のか?その1

「なんでこんな田舎に住むことにしたの?」というのをいろんな人から聞かれます。

確かにいろんな理由があります。
自己紹介にも絡むし、自分の考えの「再発見」にもつながるので詳しく書いてみます。

わたしは大阪府下、東部の「四條畷市(しじょうなわてし)」という町で生まれました。小学校に上がって程なくして隣接している「門真市」(よく「パナソニック」市と揶揄されます。松下幸之助さんが松下電器を創業して長らく本社が居していたからです)に引越しをして、今に至るまで「実家」はそこにあります。

中学生までは実家近くの公立に通い、高校は大阪北部の私立高校に。部活に明け暮れて大学受験も現役失敗、1年間のモラトリアムを経て吹田の私立大学(おとん、おかん、高校大学ともに私立で大別お世話になりました!)をバイトに明け暮れながら4年で卒業。

バブル期の「就職超超売り手市場」のころにロクに就活せず、アルバイトの延長で初任給なんと9万円!!!の会社で1年強の丁稚奉公。
学生時代に知り合った東京の音楽プロダクションの社長に誘われて、勢いで上京し、音楽業界の門を叩いたわけです。

音楽への興味は小学校高学年のときにいとこの3つ上の「お兄ちゃん」が「これ聴いてみろよ」って渡されたレッドツェッペリンのカセットが洋楽への入口でした。
「んー、正直ようわからん。でもなんかカッコ良さそうやん!」そんなことがきっかけで小5の終わりにイーグルスに出会ったのが結果音楽を生業にする入口だったんだなあって思います。

ギョーカイに入ったときはね、ロック大好き兄ちゃんなのでロックスターを作るとかね、そんなことを夢見るわけですよ。時は90年代、某◯ーイングが席巻している時代です。なかなか実績には繋がらない中で、「新世紀エヴァンゲリオン」がこれまた日本のカルチャーを牛耳るころにアニメ周辺のコンテンツに注目が集まりはじめた。その頃にアニメソングなどにふれていくとそれが2000年代以降うまく行くようになるんですね。レコード会社など自分の周囲もいい方向に動き出すんですよ。
ベンチャーの栄華を目の当たりにできたのは貴重な経験でした。

プライベートは波風立たず地に足がついていたと思います。
大学で知り合った"後輩"の女性と上京して3年で結婚。翌年長女、その4年後に長男が誕生。今年で結婚28年。
カミさんは新卒から公務員を勤めている。わたしの仕事が割と「柔め」なので、家を買うときの借金についてはカミさん様々でしたね^_^

そうこうしながら40歳手前でキャリアアップを目指すのもあって最初の会社からアーティスト含め数人で、次の会社の立ち上げに参加することになるわけです。わたしの"会社員"人生で最後の会社になったわけです。

今回はここまでにします。

「その2」は、仕事・家庭はそれなりに順調に推移するなかで、どうしてIターン移住することになったのか?
そこまでぜんぶ書きます(^^)

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