私と福島
この時期になると、毎年複雑な気持ちになります。
ニュース等では東日本大震災の被災地の現状が伝えられ、震災に関する番組が多く放送されるようになります。復興しつつある東北の姿を見ると嬉しくなります。被災地の復興のために一生懸命に何かに取り組んでいる人々を見ると応援したくなります。
一方で、福島県出身で福島を離れた身として、自分はこの10年間地元のために何かやってきただろうかと考えるとちょっと気持ちが落ち込みます。
この場で震災からの10年を振り返り、せめて何か伝えられたらいいなと思います。
震災ののあった年、私は中学2年生で確か一つ上の先輩の卒業式の終わった午後に地震がありました。
友達と遊んでいたところ、経験したことの無い揺れが起こり、慌てて外に飛び出しました。
私の住んでいる地域はその日から数日、停電と断水が続きました。
震災の日の夜、何度もラジオから流れる余震の緊急地震速報の音を未だに覚えています。
そして、度々流れる原発の情報・・。中学生だったので、原発が大変なことになっているということはなんとなく理解できました。
私の住んでいた地域(県北)は沿岸部では無かったため、津波の被害は無かったのですが、風向きの関係で空間放射線量の値が福島県内では比較的高い地域でした。避難区域では無かったのですが、自主避難する人は周りにいました。
震災の後、しばらく外出自粛の日々が続きました。今考えるとこのコロナ禍と似た状況でした。学校が始まっても屋外での部活はグラウンドの除染が終わるまで禁止で、かなり分厚いマスクと線量計を学校から配布されたのを覚えています。
連日報道されるニュース。何を信じていいのか分からない状況。
両親は自主避難すべきがどうかで喧嘩をし、私も精神的に辛い時期でした。
結局、かなり放射線を心配していた母が夏休みの間だけ私、姉を連れて山形で自主避難をすることに決めました。
慣れない山形の生活でしたが、高校受験の勉強はしっかり集中できました。志望校にもなんとか合格することができました。
高校卒業後、大学を進学を機に福島を離れました。
東京、福岡と学生生活を過ごしてきましたが、福島を客観的に見れたことは良かったかなと思います。
福島出身を理由に差別的な態度を示す人は私の周りにはおらず、震災のことを話すと「あの時は大変だったでしょう」と気遣ってくれる方が大半でした。
ただ、違和感や温度差は僅かながら感じました。
学生時代に一度、福島のためにボランティア活動を行っている団体に参加したことがあるのですが、なんとなく「福島の復興」を利用しているような違和感をほんの少しだけ感じました。もちろん福島のために活動して下さっていることには本当に頭の下がる思いではあったのですが・・
また、福島から離れれば離れるほど震災に対する受け止め方が異なることを実感しました。震災の年や日がうろ覚えの人と会った時、最初は驚きました。ただ、確かに直接何か自分の周りに被害は無く、遠く離れた場所での災害であれば、自分も、もしかしたらそれほど意識していなかったかもと思いました。
それと、スーパーに行くと隣県産のお米は売っているのに福島県産のお米が売っていなかったことが、地元出身者として大変悲しかったです・・
このように福島を離れてみて様々な角度から地元を見ることができ、同時に福島への思いも強くなっていきました。
就職も福島でしようかと考えたのですが、福島への気持ちが足りなかったのか、一度福島を離れたからなのか、福島での希望する仕事の就職は叶いませんでした。
ただ、4月からは東北地域で働く予定なので、今後何かしら福島のために仕事ができたらいいなと思っています。
長々と書いてみました。やはり震災や原発事故に対する受け止め方は人それぞれで、連日報道される被災地の現状やこの私の書いた記事も様々な受け止め方をされるんだろうなと思います。それで良いと思います。
ただ、やはり福島で起こったことは今後繰り返して欲しくないなと心から思います。
震災から10年。震災後の世の中で学生時代を過ごしてきた年代の一福島県出身者として今回の記事を書いてみました。
ちなみにタイトル上の写真は、私の一番好きな地元の春の景色です。
桜と吾妻連峰です。福島の美しい春が今年もまたやってきます。
今日はここまで。稚拙な文章でしたが最後まで読んで頂きありがとうございました。