20241020:追悼も祝福も終わった朝に

人生には朝3時に目覚めることが多々あって、それはだいたいの場合またすぐ寝るけど、今日みたいに8時間しっかり寝たあとやったりもします。今は日曜日のAM4時。金曜日はchoriさんの追悼イベント(名古屋で!)、土曜日は大学の後輩の結婚式。人生で初めて結婚式ってやつに参列。さすがに疲れた。でもどっちも誘いを受けたのは自分自身やから、無茶なスケジュールはかんっぜんに自己責任。

この2日で追悼と祝福の日を生きて、当然のごとく情緒はぐっちゃぐちゃなんやけど、少なくともネガティブな感情じゃない。むしろ「生きる」ってことを強く感じたというか、そういう2日間でした。

追悼も、祝福も、どっちもその人自身が生きてきた軌跡を自分なりの方法で他者と共有するための時間らしくて、それぞれのchoriさんと共有した時間とか意識が、大学の後輩と共有した時間とか意識が、会場の空いてるスペースに充満してたんやけど、少なくとも追悼イベントは死について話してるはずやのに、そこには命がいっぱいありました。そして結婚式ももちろん命がいっぱい。

残念ながら自分自身のせいでいろんな見捨てられ方をしてきたからか、両極端なイベントにこそ共通点がありました。

ここ数年はちゃんと隠せるようになったけど、これでもいろんなことがあって、いろんな人に諦められてきたんですよ。実は。大学時代のやつらには未だに、お前スタイルだけはいいよなって言われるし、「だけ」って部分がそれなりに事実。やのに見捨てんでくれてありがたい。

生きるってことのうち1つは、他者と何かを共有することなんかもしらんくて、それはモノやったりするときもあるし、そうじゃなくて感情とか記憶やったりするときもあるらしくて、そういう意味で、この2日は生きてるって実感を味わいまくった。あんまり普段これに自覚的にならんせいか、さすがに感情がすごいことになってて、極端にシンプルに言うと泣きそう。だから泣く前に一旦note行き。追悼も祝福も終わった朝に、未だにこの人生を生きています。これからも。

p.s.最近26歳もええ時期になってきて、結婚っていいんかもしらんなぁって思うようになってきたけど、ここ数年恋愛もしてないし、結婚を見据えた動きをしてなさすぎるから、先の話すぎて実感がない。くせにちょっと焦ってしまう。これもまたぐちゃぐちゃな感情。知らんけど。

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