愛西市のコロナワクチンでの死亡
先日、愛西市でコロナワクチンでの死亡が報告された。家族は怒っているという。
どうしてこのような事故が起きたのであろう。私は同じ愛西市に住んでいる。同じ市の住民もこのような事件を知らなかった。
この事件は中央集権の弊害から起きた。
詳しく述べよう。愛西市という市はかつて存在しなかった。原因は私の大好きな芸能人のダイゴの祖父の竹下内閣にある。竹下は消費税を創立した。そして巨大な中央集権国家を作ろうとした。私は愛西市という農村部に住んでいる。周り一面田んぼばかりである。かつては大野村であった。私が名古屋から田舎に引っ越したのは勤務医から開業医に転向したからである。大野村から佐屋町に名称が変わった。佐屋町の時は大きな問題が起きなかった(私が知らないだけであるかもしれないが)。そして大合併が行われた。これが愛西市である。4つの村が大合併して「市」という名誉を得たのである。大野の村人たちは喜んだろう。田んぼばかりの農村が市という名誉を得たのである。しかし、市の巡回バスは2時間に一本である。私の村はJRが走っている。駅まで歩いて30分ほどであろうか。私は息子を名古屋の中学に入れるため、この土地を購入したのである。息子は自転車で10分ほどでJRの駅に向かい、名古屋に通学していた。
このような農村が4つ集まって市になったのである。私の村からコロナの事件があった村まで車で30分以上ある。往復で1時間以上かかる。だから同じ町に住みながら、事故があった町まで行ったことはあまりない。少なくとも公共交通機関であるバスなどはない。八丈島が東京都であるというが、八丈島の住民が東京都民であるという自意識があるとは思えない。これと同じことである。佐屋町の時代は町が住民の健康を町の保健センターが住民に寄り添った。そして、主治医である私に頻回に電話がかかってきたり、訪問を受けた。
「〇〇のおばあちゃんはどうですか。何か困ったことはありますか」
けっこう問題を相談していた。保健センターの職員も頻回に訪問していた。住民と保健センターの職員が緊密に連携したいたのである。
私は先日集団でコロナの予防接種を受けた。受けた後1年くらい局部の疼痛が取れなかった。そして歩行も困難になった。歩行に関しては年のせいかもしれないが。そして愛西市に電話すると思いもかけない返事が来た。
「コロナのワクチンは任意接種です。ワクチンを受けたあなたの責任です。」
さすがに温厚な私はブチ切れた。私の地域はワクチン接種は医師でなくても、歯医者、薬剤師、医療機関の事務職員のだれが打ってもいいという規則がある。私は電話で市の職員に聞いた。
「私に摂取したのはどのような人ですか」
「これは市の機密事項です。教えれません」
しかし、やっと市の職員は答えた。
「あなたに接種したのは薬剤師です」
予防接種の経験があるのは医師、看護婦だけであろう。おそらく薬剤師は注射をしたこともないだろう。コロナワクチンを接種した時、患者である私は摂取した薬剤師を見ていた。初めて注射を打つのだろう。手が小刻みに震えている。私は恐怖でしかなかった。思わず椅子から立ちあがった。それを見た薬剤師も立って私の腕をつかんで押さえつけて接種は終った。
今回の愛西市のワクチン事故に関して私の意見がある。集団接種と個別接種、どちらが良いのだろう。私は現役時代から集団接種がよいと思いっていた。そして今もそう思っている。
その理由はワクチンは厳密な管理、温度保存、有効期限などを守らねばならない。これが出来るのは医師でも看護婦でもない。役場の責任ある専門の職員である。
そして万一のことは確率は低くても必ず起きる。私はかつて開業医としてワクチン接種に携わっていたことがある。医師や看護婦はいい加減である。例えばこの緊急事態では私はボスミンとハイドロコートンというステロイドを使用してきた。これは商品名であり、学名ではない。正しく言うとアドレナリン、ステロイド注射である。これらは医師として反射的に発する言葉である。薬剤はショックの時はこの二つが中心となる。看護婦も同じである。看護婦が務めている医院の薬剤を言うであろう。この時、慣れて優秀な事務員がいれば答えてくれるだろう。そしてこれらの薬剤には有効期限がある。送管の道具も電池が切れているかどうか、きちんとライトが付くかどうかを点検しなければいけない。都市部と農村部では医療が異なる場合がある。農村部では「蜂に刺された」という患者が結構い幸い、私は重篤なアナフラキシーショックは経験したことは無い。しかし、確実にハチに刺された患者はいるのである。たまたま私が運が良かっただけであろう。
集団接種がいいのは、個別で医師一人で行うより、薬剤も装備も優れているほかに、医師が複数いることもある。おそらく愛西の予防接種の会場には3,4人の医師がいたであろう。おそらくそれらの医師は集まって相談したに違いない。
これでも事故は起きるときは起きる。
コロナのワクチンは一人一万円くらいの経費が必要だという。当然発展途上国である日本で開発することは不可能である。アメリカのファイザー社、モデルナ社に消費税など日本国民から吸い上げた金で輸入するほかはない。社会主義者も大金を税金で賄う以上、正しい情報を発することが必須条件である。
エンゲルスはその著書である「空想から科学」で共産主義が正しいと主張した。しかし、実際に行うと共産主義の矛盾が露呈した。
コロナウイルスワクチンも同じである。私はインフルエンザワクチンと類似していると思っている。インフルエンザワクチンを接種したから必ずインフルエンザに罹患しないわけでは無い。インフルエンザ脳炎は、日本のような発展途上国では鎮痛剤と併用するから発症率が高まったことは証明されている。しかし、鎮痛剤でインフルエンザ脳炎のすべてが説明できるわけでは無い。
コロナも同じである。コロナビールスは他のビールスと同じように副作用があるのは当然である。ワクチンを接種すれば当然発症率は下がる。しかし、同時に副作用の問題もある。私のように疼痛が1年以上続く場合もある。歩行困難も出現するかもしれない。これらの副作用、後遺症の問題、経済的な負担などを考慮してワクチン接種をするべきである。ワクチン接種は有効であるだろうという空想から、本当に有意義なのかどうかを検証する科学が求められる。これこそ大規模臨床治験である。大規模臨床治験の提唱者であるポーリングは海兵隊を使った。第一師団には大量のビタミンcを投与する、第2師団にはプラセボ(偽薬)を使い、何万人を何年もに渡って追跡した。そしてその有効性を説いた。
これに対して国家社会主義者は高価なコロナワクチンを投与し続けている。何回打つかも決まっていない。そして悲劇は日本にはワクチンを製造する技術がないことである。すべてアメリカのファイザー社などがそのデータを握っていると思われる。そしてアメリカはワクチンで大儲けをしている。
かつて子宮頸がんワクチンが話題となった。そのときアメリカは男性用に前立腺がんのワクチンを開発したと報道された。日本人は男女を問わず、子宮頸がんワクチン、前立腺がんワクチンを日本に売りつけるつもりであったのだろう。アメリカにお願いがある。「日本人が頭が良くなるワクチン」を開発したらどうだろう。売れること請け合いである。