日本の科学技術力の低下を考える(ドイツ医学とアメリカ医学)ミッドウェー作戦の悲劇
どうして今、円安なのか。
その理由は、日本の科学技術力の低下である。
そのようなことは誰でも知っている。問題はどうして科学技術力が低下したかである。
私は地方の国立大学出身である。大学の先生は言った。
「東大の先生は良いな。蚤の金玉を見つけただけで大学の教授になれる。私たち、地方大学出身者は、よほどの研究をしないと教授にはなれない」
まことにその通りである。東大という学閥が大きな力を持っている。
私の主観で言うと、国立大学では医学部では学問的に言うと京都大学、東北大学は間違いなく日本で第一級の業績を上げている。しかし、あくまでも途上国である日本の中の話である。多くの世界の大学の中で、日本の大学のレベルが低いことは誰もが認めている。」
しかし、同じ日本の大学でも学部により異なる。私の第2の母校である名古屋大学は化学が有名であり、ノーベル賞を受賞した人もいる。しかし、医学部でノーベル賞を受賞した人はいないのである。
医学と他分野の業績は分けて考える必要がある。医学以外の分野では、けっこう日本人も活躍している。しかし、厳密に言うと医学ではない分野でノーベル賞を受賞している。日本の医学は、他の分野とともに発展途上国並みである。これは私が一番大事であると思う、経済政策も同じである。
私の学生時代、「東大の馬鹿」という言葉があった。東大の馬鹿という言葉には隠語がある。
東大出身者に言わせると「俺たちは専門馬鹿である。即ち異次元の馬鹿で、凡人には理解できない馬鹿なのである」と言いたいのだろう。
しかし、医学、特に近代医学では患者を治して「なんぼ」の世界である。かつての日本はドイツ医学を信奉し理論が中心の医学であった。これをぶっ壊したのがはノーベル賞を2つ貰ったポーリングであった。まさにポーリングは異次元の化学者であると言っていいだろう。
信じられないことであるが、この偉大なポーリングは高校中退であった。そしてノーベル賞を二つ受賞した。ポーリングの高校はポーリングに遅まきながら高校の卒業証書を与えたという。学歴社会である日本では考えられないことなのである。
ドイツ医学とイギリス医学。日本はドイツ医学を採ったのである。明治政府はドイツ医学を採るべきか、イギリス医学を採るべきか、最後まで迷った。さらに日本に大きな影響を与えていたオランダ医学もあった。オランダ医学は、イギリス医学に近い。さらに重要なことは、オランダの東インド会社はかつての栄光を無くしていた。そしてオランダに代わり、国際社会の勢力は大きくイギリスに傾いていた。衰退するオランダ医学を採るわけにはいかなかった。しかし、あっけない結果に終わる。西郷隆盛はイギリス医学の推進者であった。当時の政府首脳は何も考えていなかった。さらに日本人が崇めていたシーボルトは、実際にはオランダ人ではなく、ドイツ人であったのである。オランダ、イギリスに対する反動が医学でも起きた。
「イギリス医学は排除せねばならない」
西郷隆盛がイギリス医学を推進しようとしていた以上、明治政府はイギリス医学を採用することはできない。日本が何処の国の医学を採用するかを考えた。当時は医学こそ、国家体制を決定するものであると考えられた。医学がイギリス医学を採用したら、日本の科学はイギリスとなる。そして国家体制もイギリス式になるだろう。明治政府は困惑した。
西郷隆盛がイギリス医学を支持していた以上に、明治政府にとって。もっと大きな問題となった。イギリスは広い意味で民主国家である。それに対してプロシャ(今のドイツ)は当時日本と同じように分裂した国家であった。そしてその中でも、一番有力な勢力がプロシャであった。プロシャがドイツを統一するだろうと考えられていた。この状況は当時の日本の状況と酷似していた。当時の日本は江戸幕府という絶対権力が崩壊した。そして薩長土肥という西南雄藩が集団で日本を統治するという図式が出来上がっていた。まさにプロシャと日本の政治体制は酷似していたのである。そしてプロシャが国家社会主義国としてドイツを統一し、まさに新興国家としてドイツは台頭していた。明治政府は日本をドイツのような中央集権国家にすることを考えたのは当然である。
イギリス医学は病人を治す医学である。すなわち、患者中心の医学である。それに対してドイツ医学は国家社会主義医学である。実験医学である。実験医学である以上、実験で多くの医学的な進歩を成し遂げることが出来る。その実験で、毒ガスなど軍隊がより進歩するのは明らかである。
さらに偶然には偶然が重なる。当時、普仏戦争で勝利したプロシャ(ドイツ)は大量の賠償金を得た。大金をせしめたドイツはこれを医学に惜しげもなくつぎ込もうと考えた。当時は医学こそ科学であると言う時代である。大量の金をドイツは医学につぎ込んだ。これがドイツ医学の発祥である。
当時の私たち学生はドイツ医学を学んだのである。当時の医学の教科書は有名なウイルヒョウの「細胞病理学」であった。これは当時の医学生のバイブルとなった。素晴らしい書物であったことには間違いない。しかし、ドイツ医学の真骨頂であった。たしかに「細胞病理学」は名著であったことには間違いない。しかし、「細胞病理学」では患者の治療には直結しないのである。
では、どうしてウイルヒョウが医学で後世まで語り継がれることになったのだろうか。
ウイルヒョウは普仏戦争で得た莫大な賠償金を惜しげもなく公共投資に使った。水道の上下水道などである。公共投資なくして、医学はあり得ない。そうウイルヒョウは考えた。公衆衛生学である。
「医学は公共投資無くしては成り立たない」
「公共投資こそ、近代国家の歩むべきである」
そして今の社会主義国家である日本が誕生した。
「私たちエリートが日本を主導するべきである」
今でも日本は国家社会主義を標榜している。多くの予算を公共投資につぎ込むのである。国家社会主義者は公共投資こそ最も大事な社会事業であると信じて疑わない理由はここにある。
かつて海軍ではハンモックナンバーという言葉があった。陸軍もあったが、海軍が一番ひどかった。陸軍は伝統的に日中戦争などで戦争を繰り返していた。だからある程度実力主義であった。しかし、海軍は違う。戦争をしたことが無いのである。戦争を知らない海軍が大きな力を持つ。そして山本五十六のような大艦巨砲主義が生れる。戦艦大和という巨大戦艦は日本という国家の象徴であった。
(例外はある。これこそバルッチック艦隊を撃滅した日本海海戦の東郷平八郎である。かれは日本海軍の軍神として崇められている。彼も決して海軍兵学校の卒業者ではなかった。鹿児島の下級士族の出身であった)
ここで陸軍と海軍で予算分捕り合戦が始まる。陸軍の仮想敵国は中国である。仮想敵国が中国では海軍は都合が悪い。予算を分捕るために海軍はアメリカを仮想敵国とした。海軍は全くアメリカと対立することは考えていなかった。軍備拡張は予算獲得の手段であった。そして海軍は陸軍より多くの予算を獲得することとなる。予算獲得という一番の目的を達成した海軍はどうして良いか解らない。当時は軍縮が流行していた。ロンドン、ワシントンで軍縮会談が行われた。頭の良い海軍は、軍縮会議を利用した。軍縮会議に軍部は反対であった。しかし、当時の内閣は軍縮を飲まざるを得なかった。そして軍縮でははっきりしない、航空機の増産に着手した。航空機の増産は航空母艦の増産につながる。こうして海軍はアメリカが怖い、これからは航空機の時代だと念仏を唱えることになる。大艦巨砲主義の海軍が、予算獲得のために航空機を生産し、当然航空母艦を建造することになった。しかし、海軍の目的はあくまでも予算獲得であった。海軍は航空母艦などどう使ってよいのか解らない。まさに猫に小判である。
これが一番よく表れていたのがミッドウェー作戦であった。日本海軍は大艦巨砲主義であった。現場の将軍は南雲大将であった。空母4隻を丸裸でミッドウェーを攻撃させた。アメリカでは考えられない布陣である。アメリカでは航空機の時代であると考えていた。しかし、日本海軍は相変わらず大艦巨砲主義であった。空母を中心として戦艦、駆逐艦、巡洋艦などあらゆる船舶は空母を守るためにある。しかし、山本56などの海軍軍部の考えは全く違った。戦艦大和は日本海軍の象徴で、天皇陛下の分身である。一切、戦艦大和に傷をつけることは相ならん。
そして現場の総司令官である南雲大将は、ミッドウェーからはるか彼方に戦艦大和に停泊し、遠くから戦況を眺めていた。その防御はすごかったと言う。日本海軍の全勢力を、戦艦大和に集中したのである。そして空母4隻を丸裸でミッドウェーにつぎ込んだ。負けて当然である。
南雲大将はよほど怖かったのであろう。
ミッドウェー作戦で初戦に敗れた連合艦隊は、その司令長官である南雲大将は直ちに日本に引き上げると決断した。連合艦隊は直ちに日本に引き上げるという指令を出して、大和を中心とした連合艦隊は戦わずして敗戦となった。よほど怖かったのであろう。ここで重要なのは連合艦隊は空母4隻を丸裸でミッドウェーに向かわせたのである。これに対して、アメリカの空母は4隻、さらにアメリカ恐怖症の南雲艦隊の戦艦大和、さらに日本の広島には山本56が控えている。誰が考えてもミッドウェー作戦は日本が負けるはずは無かった。しかし、実際は物量に圧倒的にアメリカを凌駕していた日本軍が、物量に劣るアメリカに敗北したのである。後世の歴史家は物量に勝るアメリカに物量に劣る日本が勝てるはずはないとうそぶく。しかし、ミッドウェー作戦では物量に勝る日本が、敗北したのである。さらに先進国ではありえないことが起きる。先進国では敗戦したら責任を取らされ将軍を解任される。敗戦の責任を誰もとらなかったのである。ミッドウェー作戦の責任は山本56にも、南雲大将にも責任はある。責任を取るとは銃殺ではない。降格である。誰も責任を取らないと言う国家社会主義体制を露呈したのである。ここが、プロ野球など先進国と途上国の差である。先進国では監督交代である。日本の武道では剣道でいうなら、一旦有段者になったら降格はないのである。
さらにひどいのは、山本56である。かれはミッドウェーという現場に向かうことは無かった。彼も南雲大将と同様に、いやそれ以上にアメリカが怖かったのであろう。それともミッドウェー作戦が、そのような重大な作戦とは思っていなかったのであろうか。山本56は広島を動かなかった。よほど怖かったのであろうか。これこそ今の異次元の総理大臣の出身である広島である。
私の言いたいことは決して山本五十六の悪口ではない。ましてや南雲大将の悪口ではない。私の言いたいことは「国家社会主義」の弊害である。「学歴社会」の弊害である。「官僚主義」の弊害である。
具体的に言おう。今、日本は大げさに言うと、未曽有の国難に直面している。かつて偉大な山崎豊子氏は、その著書である「沈まぬ太陽」で述べた。
日本国家社会主義は永遠に不滅である。
巨人軍の長嶋茂雄は言った。
「巨人軍は永久に不滅です」
巨人軍は原という監督を迎えた。しかし、原は巨人軍の立て直しに失敗した。成績が振るわないのである。そして巨人軍は原を解任し、新たに阿部慎之助を新たな監督として迎えた。阿部は巨人軍のキャッチャーとして巨人軍全盛の一翼を担った。しかし、安倍は選手として優秀であったかもしれないが監督としては未知数である。プロ野球は単純である。勝てばよいのである。優勝すればよいのである。
異次元の総理大臣は今、「増税メガネ」と揶揄されているらしい。増税メガネはいたくご立腹であるようだ。
そろそろ酔ってきた、眠くなってきた。
結論
日本の悲劇、日本の経済力の衰退はその閥にある。政治では長州閥、薩摩閥が隠然として戦前では残っていた。そして太平洋戦争の一因として、太平洋戦争で敗退した。
今の日本の衰退する原因の一つに、薩摩閥、長州閥に代わり「東大閥」があると思っている。この東大閥こそ、今の日本の国家社会主義の元凶であると私は思う。
今は表面上、人間は平等であるというが、実際はそうではない。この度の日銀の「ゼロ金利政策」は完全に失敗であったと思っている。日本は三権分立を唱えて、平等であると訴えている。しかし、そのいい加減な民主主義は今危機を迎えている。3権分立が叫ばれているがその背後では東大閥という隠然とした勢力が存在する。
東大出身者がすべてが馬鹿ではない。私が学生時代東大を揶揄したことば「東大の馬鹿」は今でも生きている。しかし、現在では東大を卒業しても、優秀な人材は民間で企業を設立するようだ。そして官僚となるものは本当に馬鹿であるかもしれない。このような馬鹿に日本の大事な金融のかじ取りを任せてはいけない。
日本はかつての栄光を忘れられない。バブルの時代、いやその前から日本は経済的に絶好調であった。まさにスピルバーグの言う「猿の惑星」であった。もはや、スピルバーグは「猿の惑星」の新作は作らないと思う。サルである日本人をスピルバーグは揶揄する必要が無くなったからである。
異次元のブログ二ストは提案したい。
まことに異次元であることは私も十分に理解している。だから異次元なのである。
私の若いころから、学閥は廃止するべきであるという意見は多くあった。その一つは、学歴を国立大学という名称に変えるべきであると言う意見であった。北海道で優秀な学者が現れると、国立大学の学生は北海道でその教授の講義を聞くことが出来る。鹿児島で有名な教授が現れると、国立大学は一つである。このようなことはあり得ないが、東京大学で優秀な学者が現れたら、学生は東京大学での講義を聞くことが出来る。素晴らしい考えであると思う。しかし実現しなかった。素晴らしい考えである。しかし、実際は不可能である。冬は北海道大学で講義を受ける、夏は沖縄大学で講義を受ける。原爆の実情を知るために長崎で講義を受ける。スキーをするために新潟で講義を受ける。そして愚かな東京大学でも授業を受けることが出来る。東京に住んでみたいと言う人もいるからである。そうすれば、東京大学という学閥は無くなるだろう。素晴らしい考えであることに異存はない。ちょうど今の予備校生が、何曜日は○○という講師が授業をする。また何曜日は××という講師が授業をする。曜日により予備校を変えることがあると言う。
これは文系の大学ではいいかもしれないが、理系の大学では実行は難しいだろう。
いいか悪いかは別にして、日本では研究の多くを大学で行っている。日本が途上国並みの科学技術国となったことの一つに、日本独自の大学制度がることは間違いない、勿論それだけではない。しかし、大学制度も一因であることは間違いない。