首都遷都論
いまこそ東京一極集中を避ける時期である。東京は政治、文化、経済の中心である。これを続けていれば、東京一極集中は決して消滅しない。私の言っている東京都は、東京を含め広い範囲を指す。横浜も、浦和も千葉も入るかもしれない。
かつて飛鳥時代、奈良を中心として都は天皇が交代すると、都は次々と変わっていた。この理由は都を固定すると、その都の豪族や寺社勢力とと結びついて政治が歪められるからであるだろう。そして最終的に京都に落ち着いて長く政治が行われた。そして明治維新が起きると、維新政府は京都から遷都論が沸き上がった。遷都こそ明治政府の宿命であった。しかし、遷都に関して大きな問題があった。明治政府の一貫した政策は、京都からどこに遷都するかである。一説には大阪遷都論もあったと言う。しかし、最終的に落ち着いたのは江戸(東京)であった。
江戸は当時の江戸幕府の根拠地であった。江戸は経済の中心であった。その江戸が戊辰戦争で焼け野原になっていたのである。明治政府は当時の経済の中心であった江戸に新政府を移すことに決定したのである。その為には天皇を京都から江戸に移す必要があった。そして異例の決断を明治政府はしたのである。これこそ明治天皇の江戸行幸である。行幸とは平たく言えば旅行である。新政府は天皇を、京都の人々をだましたのである。そして信じられないことに京都の人々は今でも京都を都であると思っている。
荒れはてた経済の中心であった江戸を維新政府は首都に決定したのである。
(今の維新の会とは大違いである。だから維新の会を直弼の会と私は呼んでいる。もし直弼の会なら、遷都論で大阪の周辺に首都移転を持ち出すであろう。直弼の会を私が毛嫌いしている理由はここにある。直弼の会は日本ことを全く考えていないのである。大阪の繁栄、関西の繁栄のみを考えているのである。)
そして明治政府の決断で、再び江戸は東京として経済の中心となったのである。
このようなことを考えると、東京が未来永劫、日本の首都である必要はないのである。
日本はなんちゃって民主主義の国である。なんちゃって資本主義の国である。
本来は民主主主義であるが、実際は民主主義の真似をしているだけである。一応、資本主義の体制を取っているが、実際は社会主義に限りなく近い。
自分が何をしているのか解らなくなっているのである。ある意味では保守的なのである。そして東京が日本の首都であることが当然であると知らないうちに信じているのである。
パリがフランス人にとって永遠の都であるであろう。ロンドンは永遠にイギリスの首都であろう。しかし、東京のようにあまりにも一極集中がひどくなると、さまざまな弊害が生れる。フランスやイギリスのような形態はもはや日本では不可能であると思う。先進国はイギリスやフランスばかりではない。世界の最先進国であるアメリカでは経済の中心地であるニューヨークと、政治の中心地であるワシントンとは分離しているのである。もし、政治の中心が現在の経済の中心であるニューヨークにあれば、大変なことになるだろう。
いくら日本が国家社会主義を標榜していても、企業の本社を強制的に移転できないのは当然である。さらに教育機関である。東京にあるから東京大学なのである。岐阜にあるら岐阜大学なのである。岐阜に東京大学があるのは不自然である。早稲田、慶応、明治などの民間大学を強制的にひなびた岐阜に移すことも不可能である。
しかし、首都機能を地方に移すことは簡単である。
かつてこの議論があたことを覚えている。しかし、問題は無知な評論家である。ある評論家は北海道に移せ、またある評論家は九州に移せ、また異次元のかつての総理大臣は広島に移せと言うだろう。馬鹿な評論家や馬鹿な政治家により、この議論は霧散した。
今こそ首都を移転すべきである。馬鹿な評論家はいろいろな案を提案する。彼らは東京から離れたくないのである。首都移転をすれば、評論家として生活が出来なくなるのである。
さらに日本人が東京に住むことに憧れている。こういう私もそうであった。私の東京へのあこがれは誰より強かった一人である。私が早稲田、慶応、明治に憧れた理由の一番は東京で青春を過ごしたかったからである。残念ながら貧乏な駄菓子屋の息子である私は、国立を目指さねばならなかった。東京の国立大学は、その立地ゆえ、みな難関である。東京の国立大学に入るのは至難の業である。だから私は泣く泣く地方大学に入学した。
東京が文化(大学など)、経済の中心であることは国家社会主義を標榜する日本でも不可能である。しかし、政治の中心を移転することは可能であろう。移転費は、東京にある様々な国立施設、例えば国会周辺の敷地、国会議員会館などを売却すれば、かなりの値段で売れることは間違いない。国会議事堂は記念館として、入場料を取れば貧しい日本でも何とかるであろう。
かつてこの問題が起きたとき、馬鹿な評論は北海道説、九州説で、このアイデアを消滅された。しかし、東京一極集中が叫ばれたいる今こそ、首都移転をするべきである。
同じような事例がインドネシアで起きた。インドネシアは日本と同じような文化の発達を遂げている。そしてインドネシアは日本と同じような島国である。いや、日本よりもっと多くの島が点在している。そして首都であるジャカルタは日本と同じように人口集中に困惑している。そのインドネシアは首都を全く違う島に移転を決定したのである。インドネシア政府はその資金の調達に困っていると言う。
インドネシアも日本と同じように貧しい国であると思う。しかし、日本の方が多少豊かであると思っている。さらに地価の値段である。東京の地価はインドネシアより絶対に高いであろう。インドネシアが出来て日本が出来ない理由はどこにもない。
(実を言うと、日本は世界第2位の経済大国であった過去もあった。それが中国に抜かれ、ドイツに抜かれ、近い将来インドに抜かれることも確実である。次に日本はどの国に抜かれるかと言う興味でインドネシアに興味を持った。さらにインドネシアはアメリカにもつかず、中国にもつかず、原子力も持たなく、自存自衛の立場を貫いているという。そして原子力発電ではなく、世界でも最先端の地熱発電を計画しているという)
まさにインドネシアが日本にとって理想的な国家であることが解った。そしてインドネシアがインドの次に日本が経済で抜かれることを過信した。
本題に戻ろう。では日本はどこに首都移転すべきであろうか。これは決まっている。北海道や九州ではいけない。日本の中心に置くべきであろう。となれば東海道ベルト地帯になるであろう。そして田舎で、晴れた日には富士山が見えるところが理想的である。江戸も晴れた日にはかすかに富士山が見えたそうだ。勿論、東京からも見えるかもしれない。
となれば結論はおのずから決定する。静岡である。静岡と言っても広い。静岡市はあまりにも都会である。そして東京に限りなく近い。となれば静岡でも名古屋に近い三河であろう。勿論、岡崎でもない。豊橋でもない。岡崎の近隣の田舎町である。田んぼの真ん中に壮大な日本の首都を建設するのである。
この地なら、徳川家康が愛した静岡と気温は類似している。温暖で心地良いであろう。さらに東海道新幹線が開通している。新しい新幹線の駅を作るのも訳はないであろう。北海道の人も、九州の人も、陳情などに訪れるのに訳はないであろう。田舎であるので、ホテルなどの宿泊料も格段に安くなるであろう。さらに日本の産業の中心であるトヨタに近いであろう。
一局集中をもはや看過することは出来ない。いまこそ遷都するべきである。
唯一の問題は、日本に指導者がいないことである。そして東京こそ日本の首都であると言う守旧的な考えである。
もし、この案が実現できるとすればトヨタなどの中部経済界であろう。