ワールドカップとコスタリカ
私は決してサッカーは好きではない。この私がサッカーワールドカップに首ったけである。何故なのか、それは私が日本人であるからである。野球は全世界的にマイナーなスポーツである。これに対してサッカーは世界中で最もメジャーなスポーツである。世界中が自分の国を誇りと思う瞬間である。
私の行きつけのクラブのホステスから電話があった。
「今日来てね」
その言葉に私は答えた。
「馬鹿、今日はサッカーワールドカップで日本はドイツと戦うのだ。今日はお客さんは誰も来ないよ。勿論、私も行く気はない」
その言葉にホステスは残念そうに電話を切った。今やサッカーワールドカップは日本人にとって最高のフェスティバルである。日本中の大部分の人がテレビ観戦していると思う。
私はドイツとの戦いは日本が勝利する可能性が十分にあると思っていた。しかし前半戦はドイツに押されていた。日本のサッカーは伝統的に守りのサッカーであった。ここが日本のプロ野球とサッカーとの違いである。プロ野球は守るスポーツである。いいピッチャーにかかると強力打線も沈黙する。日本一を決める戦いで、バッファローが勝利した。打線のヤクルトの村上様もバッファローズの投手陣に為す術もなかった。豊富な投手陣を擁するバッファローに打線のヤクルトは沈黙したのである。
ワールドカップでのドイツとの戦いは、日本は前線を後ろに下げた。即ち日本伝統の守りに徹したのである。これは多くの日本の解説者は言った。
「ドイツはさすがに強い」
もうどうすることも出来ない。私もそう思った。そしてやけくそになった日本は前線を上げた。即ち守りのサッカーから攻めのサッカーに転じたのである。これから流れは大きく変わった。守備のサッカーから攻めのサッカーに変わったのである。サッカーは野球と違うのである。
私の大好きなNHKに言いたい。NHKは高校野球を放送している。高知の高校なら高知文化を紹介する。
同じことをサッカーワールドカップではできないのだろうか。
ドイツに勝利した日本は次の対戦相手はコスタリカに決まっている。
コスタリカは素晴らしい国家である。戦乱が続く中米の国において唯一軍隊を持たない国である。そして社会福祉が発達している。なにせ日本人と違い頭がいいのである。健康で幸せな国家なのである。
かつてアメリカはコスタリカを調査した。日本人もコスタリカ人もコメ文化である。同じコメ文化でも日本とコスタリカでは大きく違う。近年、日本の食生活は大きく変わった。私の子供のころ、弁当であった。おにぎりであった。たまに同級生が卵焼きの弁当を持ってくると、クラス中が集まって、「卵焼きか、羨ましいな」
そして私たち平民は「日の丸弁当」であった。ご飯の中心に梅干しが一つのっかっている。これでは健康に良くないのは当たり前である。
ところが日本と同じようなコスタリカは健康であった。どうしてコスタリカ人は健康であり、日本人は不健康なのか。この疑問に答えたのがアメリカの研究者であった。かつての日本人はコメ文化であった。同じようなコスタリカもコメ文化であった。どこが違うのか。これをアメリカの研究者は報告した。日本人は日の丸弁当であり、コスタリカは同じコメ文化であるが、コメに大量の豆を混ぜている。日本でいう、豆の炊き込みご飯である。これこそ日本人の食生活を変える絶好の機会であった。
戦争のない世界、食生活で健康な世界。そして戦争のない世界。これをコスタリカ人は実現したのである。そして医療文化でもコスタリカはも日本に先行している。
日本の医療技術ではワクチンは開発不可能である。アメリカの技術に頼らねばならない。日本がワクチン開発をすることは、サルに空を飛ぶように教育することと全く同じである。しかし、コスタリカはワクチン製造に成功した。明らかに日本の医療技術をコスタリカは凌駕しているのである。
日本の目指すべきはコスタリカのような戦争のない世界、科学技術で先端を行く世界である。ジョンレノンのイマジンである。これを成し遂げた国に最高のエールを送らねばならない。
ワールドカップではコスタリカに日本は勝利するであろう。
日本は国家社会主義を標榜している。コスタリカは共和制を標榜している。ある意味で国家社会主義を標榜する日本と、共和制を標榜。するコスタリカの戦いである。
ワールドカップでは日本がコスタリカに勝利すると思う。ドイツ戦でも日本が勝つべきであった。コスタリカ戦も日本の戦術が正しければ、日本が勝利するであろう。日本の理想とする社会、戦争のない社会。科学技術で世界の最先端をいく社会。
ワールドカップで日本はコスタリカに勝利するだろう。しかし、国家社会主義が共和制に勝利したわけではない。
ワールドカップが終わると、戦勝国がその国家を演奏する。しかし、今回は別である。日本が目指すべき理想国家の国家を演奏し、日本国民が目指すべき理想国家としてコスタリカに最高の賛辞を贈ろうではないか。