ソフトランディングかハードランディングか
今、マスコミは日本経済がソフトランディングかハードランディングかで話題になっている。これは世界の経済が、日本の経済が衰退に陥るとき、急激に衰退するか、ゆっくりと衰退するかである。
マルクス・エンゲルスはその偉大な思想で、資本主義は「物を破壊する経済である」と喝破した。物を壊すのは資本主義の根底にある。
物を壊すには戦争が最も容易い。だから戦争が起きるのである。確かにバブルの時代、大きな戦争は少なかった。ではどうして日本の経済が絶好調であったのであろうか。簡単である、三波春夫の東京オリンピックがあり、「こんにちわ、こんにちわ」と日本中が盛り上がっていたのである。
このお祭りで、それまでの白黒テレビはカラーテレビに置き換わった。冷蔵庫も普及した、日本人は3種の神器とほめたたえた。
それ以外に、多くのものを日本人は破壊した。代表的なものに自動車がある。70年代、多くの車は日本で開発、消費された。これらが日本の経済をけん引してきたことに間違いない。
車は日本人は国産車に乗っていた。そして今でも日本は国産車が多い。
車はかつては5,6年で買い替えていた。どんどん中古車として売り、新車に買い替えたのである。
私の知人が沖縄にいる。沖縄の知人はドイツのBMRに乗っていた。
「金持ちはいいな。ドイツ車に乗れて。本土の私たちは国産車にしか乗れない。」
と私がからかうと、知人は笑って言った。
「沖縄は潮風が激しい。国産車は潮風が吹くと、水洗いをしなければならない。ドイツ車は潮に強いから、潮風でも水洗いが要らないんだ。」
確かに当時の国産車は潮風に弱かった。島の民宿に泊まると、島の国産車は潮風でボロボロになり錆ている。
当然である。先進国であるドイツでは、その寒さ故、道路が凍る。そして融雪剤として塩を使用するのである。その為にドイツ車の塗装は分厚いのである。
さらに日本はバブルで沸き立っていた。国産の自動車会社は次々と、モデルチェンジして、古い車を壊し、新車を売りつけたのである。
ドイツ車がモデルチェンジを国産車ほどしない理由はここにある。
ドイツ車で一番人気があり、私も欲しいのはフォルクスワーゲンである。フォルクスとは国民と言う意味であり、ワーゲンは車と言う意味であろうか。これこそヒトラーがアウトバーンとともに、国民を豊かにする目的に作った国民車である。あのカブトムシのような独特のデザインに憧れていたのは私だけではないだろう。その有名なフォルクスワーゲンも、時代の流れに逆らえず、とうとうモデルチェンジしたようだ。
どうして日本車は塗装が薄いのか。その理由は塗装が薄いと重量が減り、燃費も、生産費も縮小するからである。当然私も、フォルクスワーゲンに対するあこがれが薄れた。
この安かろう悪かろうと言う国産品は、アメリカにも飛び火した。アメリカ車は堅固で大きくて頑丈である。しかし燃費が高い欠点がある。
しかし、そのアメリカでも自動車はだんだん小さくなり、燃費も改善しているようだ。こうなれば、どちらが先進国で、どちらが途上国か解らない。
結論から言うと、日本は社会主義国である。どんどん新製品を開発する。そしてかつての豊かな日本人の購買意欲を煽り、消費意欲を描き立てた。そして70年代のバブルが生れたのである。すなわち70年代のバブルは国民の豊かさにより、なされたものであったと言って良いであろう。
しかし、一番の理由は、当時の日本は国民の経済が豊かであったことにある。豊かになれば、当然、個人の消費は自由となる。自由となれば、誰でも良いものが欲しくなる。
この典型が時計である。日本も技術は向上し、国産品でも安くて正確な時計を作ることが出来るようになった。時計は男性にとって単に時間を刻むものではなく、ある意味ではファッションなのである。正確であるだけの理由で時計を購入するのではない。国産品の時計と、先進国即ちスイスの時計では価格は大きく違う。しかし、同じように性格なのである。かつてのバブルの時代、ホステスは時計を見ていた。国産品とスイス製かである。
私も負けずにスイス製のバッタ物(模造品)を購入した。しかし、すぐにばれるのである。もっとひどいのは女性のスカーフであろう。同じような製品でも、国産品とフランスのイブサンローランでは全く異なるのである。
ジャニス・ジョプリン名曲である「ベンツが欲しい」がこのことを著している。決して彼女は「フォードが欲しい、トヨタが欲しい」とは歌わなかった。これでは歌にならないのである。
今この分野で世界に誇れるのは「ホンダのバイク」である。ホンダのバイクはの名曲である「サティスファクション」の歌詞にも表れる。完全にホンダのバイクはグローバルスタンダードなのである。ホンダの名前はグローバルスタンダードなのである。しかし、誤ってはいけないのは、ホンダが有名なのはバイクなのである。これを見誤るといけない。ホンダはバイクの成功で自動車にも進出した。これがどうなるのかは解らない。化粧品で有名なシャネルが、これに味を占めて、車のシャネルを作ったらどうなるのか。そんな馬鹿はしないであろう。
(勿論、極端におしゃれな車をシャネルが開発したら、売れるかもしれない。しかし、シャネルは化粧品に特化するだろう。)
私の言いたいのはブランドである。バイクで世界を席巻したホンダが車に乗り出すことが良いことなのか、悪いことであるかは私には解らない。ホンダには、ホンダと言う二輪車のブランドで、更に高価な付加価値が大きな2輪車を作る方針もあったと思う。
結論から言うと、国産品は国産品でいいだろう。しかし、そのブランドでさらなる飛躍もあるだろう。そしてブランドを確立することこそ、安かろう悪かろうと言う国産品を脱却できるであると私は思う。
疑問
どうして戦後のどさくさの時、マッカーサーが進んだアメリカの自動車や家電製品を日本に売りつけなかったのであろうか。もしも、アメリカのビックスリーに代表される車、ゼネラルエレクトリックの家電を売りつけなかったのであろうか。もし、あの時、アメリカの先進技術を売りつけていたなら、今のトヨタも、松下電器も無かったであろう。
異次元の(馬鹿で愚かな)私には解らない。
しかし、異次元の私でも想像は出来る。技術力に乏しい日本でも、その精神力で太平洋戦争を戦ったのである。
日本国憲法で言っている。日本国民は健康で文化的な生活を送る権利を有しているのである。だからマッカーサーは国民に必要な物資として、牛乳と車を日本に売りつけなかったのであろう。
そしてその自動車で将来(現在)の日米貿易摩擦が起きるとは、マッカーサーも思ってもいなかったであろう。
では世界経済はソフトランディングかハードランディングかと言う問題である。
技術革新は、直弼の会の大阪万博で行ったような、空飛ぶ自動車の問題ではない。空飛ぶ自動車は近未来では実現不可能なのであると思う。空飛ぶ自動車が現実的に実現不可能なのである。国民の必需品となるためには、日本国民の多くが利用できねばならない。空飛ぶ自動車が、各家庭に普及するとはさすがの異次元の私にも想像は出来ない。
近年開発された典型的な新製品は、ケータイであろう。ケータイは各家庭に備えられている。いわば必需品なのである。
ケータイの起源は、第2次世界大戦でのアメリカ軍の通信手段であるトランシーバーにその起源を発している。それを縮小したのがケータイであると言えよう。一説にはケータイを作ったのが日本であると言う都市伝説がある。これを作ったのがアメリカであるか、日本であるかは、馬鹿で愚かな異次元の私は知らない。しかし、現実的にはケータイはスマホに進化した。多くのスマホはアメリカのアイフォン、そして中国人である孫さんのソフトバンクが多いであろう。ちなみに私は韓国のアンドロイドを使用している。私のような馬鹿で愚かな異次元の人間でも、スマホを自由に使用するのは不可能である。
スマホは小さなコンピューターであると言われている。これを自由に操れるのは、かなりの頭脳を擁する。
(私はスマホを通信手段として使用している。すなわち私はスマホをケータイとして使用しているだけである)
私の知人のスナックのホステスは、私の写真を撮り、ひげを生やしたり、将来の私の画像を作ったりして遊んでいる。残念ながら、異次元の私はそのようなことに全く興味がない。
しかし、私が言いたいのは、決して日本人が優秀なわけでは無いと言うことである。日本人より中国人の孫さんのほうが先端技術にたけていると言うことである。ちなみに純国産のスマホは三木谷氏の楽天であろう。その楽天も、アイフォン、孫氏のソフトバンクと比べれば劣勢であると言わねばならない。
しかし、アイフォンやソフトバンクがどうして優位なのであろうか。国産の楽天がどうして劣勢なのであろうか。
これを解くカギは、日本が世界的に孤立していることがある。即ちグローバルと言う意識に欠けているのである。
私たち団塊の世代はグローバルと言う意識に欠如している。ジャパンイズナンバーワンと言う時代に青春を送ってきた。ある意味では日本基準が世界基準であると錯覚ししていた点もある。外国に旅行に行った日本人観光客が、に日本語で、旅行先で何の不便も感じなかったという逸話もある。
異次元の政治家である岸田、石破という過去の遺物がそこそこ大学を卒業して、日本の過去の栄光を振りかざしていることは、ある意味では教育の不備であると言わざるを得ない。まさに岸田、石破など過去の栄光にすがった二とたちこそ「リスキリング」が必要であろう。
その代表がスマホである。スマホは各会社に特徴があるそうだ。私の印象ではアイフォンがその主流を占めている。次に中国のソフトバンクである。ちなみに私は韓国のアンドロイドを使用している。これらは互換性が少ない。クラブのホステスも、自由にアイフォンなら操作できるが、国産(韓国製)の私のスマホは全く解らないと言う。すでに国産のスマホを買ってから10年くらいになるであろうか。私は次にアイフォンが欲しくなった。貧乏で異次元の頭の悪い私も、アイフォンならホステスが教えてくれると言う。
小さなことであるが、やはりグローバルスタンダードは重要であると痛感している。すなわち世界中で通用することが最も大事なことであると思う。これこそグローバルスタンダードなのである。
(ちなみに今日、アイフォンを購入するために、孫さんのソフトバンクを訪れた。しかし、結果的には断念した。その理由は多くあるが、結果的には国産のスマホを使うこととした。))
酔って本題を忘れた。
本題はソフトランディングかハードランディングかであった。
世界経済はアメリカの独壇場である。そしてマルクスエンゲルスの思想では、資本主義が破壊により進歩すると言うことである。科学技術の進歩がこれらを克服してきた。そして次期大統領候補であるトランプは、ウクライナ戦争は1年以内に終結させると豪語した。当然アメリカの繁栄はウクライナ戦争にある。新しい武器を調達してアメリカの軍需産業は空前の大繁栄を迎えた。もはや、世界経済はアメリカ一強であると言って良いだろう。
そして絶対にウクライナ戦争は終結する必要がある。
ウクライナの大統領はお笑い芸人出身である。口達者である。この意味ではヒトラーに酷似している。物乞いがうまいのである。まるで小さな駄々っ子の子供のようである。最新鋭の戦車が欲しいと言えば、アメリカが与える。最新鋭の戦闘機が欲しいと言えば戦闘機を与える。アメリカは駄々っ子のウクライナに膨大な軍事支援をしてきた。そのことでアメリカは軍事産業を通じて経済的に発達したことも事実である。しかし、その要求があまりにも多大になると、さすがのアメリカも支援疲れに陥った。そしてお笑い芸人はあろうことか、ロシアの本土まで達する長距離ロケットが欲しいとまで言い出した。しかし、アメリカの支援はウクライナの領土を守るための武器であった。ところが、ウクライナのお笑い芸人の大統領も、進んだ日本の自衛隊の理論を覚えたようだ。日本の自衛隊は本来は自衛のための軍隊であった。しかし、自衛隊は敵基地をミサイルで爆破する方針に代えた。いわゆる自衛のための戦争ではなく、敵基地を壊滅させる方針である。
ウクライナのお笑い芸人は、この日本の自衛隊の思想に共鳴したのであろうか。ウクライナの大統領はソ連本土の基地を攻撃した。そして新たにソ連国内の基地を攻撃する武器を提供するようにアメリカに懇願した。しかし、アメリカも大国であるとはいえ、予算に限りがある。アメリカはウクライナ支援を一時的に断念したかもしれない。そしてウクライナ戦争が終結したら、一時的に景気後退を覚悟した。その景気後退をいかにして最小にするかが、ソフトランディングとハードランディングである。
これはあくまでウクライナ戦争の戦後の景気後退を見据えた政策であったと言えよう。ウクライナ戦争が日本に与えた影響は少なかったと言えよう。ウクライナは日本と同じ農業国である。ウクライナは小麦であり、日本がコメであるだけである。主食が日本とウクライナとは全く違うのである。ウクライナ危機は日本では最小の危機で乗り切った。
しかし、アメリカが景気後退に陥れば、当然日本も景気後退となるのは必須である。ウクライナのお笑い芸人が大きな不安を持ったのは当然である。しかし、お笑い芸人は戦争を望んでいる。これがお笑い芸人にとって幸か不幸かには問題がある。中東戦争で戦火が世界に広まると、戦争を好むお笑い芸人は喜んだであろう。しかし、お笑い芸人は失望した。アメリカは今まで以上にウクライナに支援しないであろう。何故なら、さすがの超大国アメリカも、ウクライナ戦争と中東戦争の両面作戦は出来ないからである。ウクライナ戦争は近いうちに終結するであろう。しかし、新たな火ぶたが切って落とされるであろう。
中東戦争は大事件である。ウクライナ戦争とは別次元の大問題である。
いま世界は大きな問題に直面している。ウクライナ問題は中東問題に比べると小さな問題である。さらに大きな問題は、世界は資本主義勢力と民主主義勢力に分断されようとしている。いわばイデオロギー戦争に発展するであろう。
この問題は大国と小国の根底的な問題でもある。
イスラエルは科学技術は格段に中東諸国と比べると優れている。しかし、その領土あるいは人口では圧倒的に中東諸国が凌駕している。大国と小国が解らないのである。さらにこの問題を複雑にしていることは、イスラエルをアメリカなど欧州、そして当然日本もイスラエルに支援している。これはいずれ資本主義国(帝国主義国)と社会主義国の対立に発展する可能性がある。
まるで第2次世界大戦と酷似している。
第二次世界大戦は「持てる国」と「持たざる国」との戦いであったと言う側面もある。持てる国とはアメリカ、イギリス、フランス、中国、オランダなどいわゆる大国である。これらは面積も広大、人口も多いのである。
(確かにイギリス、オランダは領土は狭いが、広大な植民地を持っていた)
これに対して日本、ドイツは面積も、人口も先進国と比べれば圧倒的に少ない。当然資源も少ない。そして日本など持たざる国は、圧倒的に強大なイギリス、アメリカ、オランダなどの先進国に敗退したのである。
ここにきて、中東問題は第3次世界大戦に発展する可能性がわずかではあるが、あることは間違いない。
イスラエルは領土は狭いが、優れた科学技術を持っている。
これに対して中東諸国は領土は広く、科学技術はイスラエルには及ばない。そして重要な資源である石油を持っている。
そしてイスラエルの背後にはアメリカ政府、日本政府が背後についている。
もしここで大国中国が中東に積極的に援助すれば大変な事態になりかねない。
ウクライナ戦争でウクライナの農業製品、特に小麦が入手できなかったが、幸いにも日本は農業国であり、その影響は最小で済んだ。しかし、中東が戦渦に巻き込まれると、石油が日本では入手できなくなる。
アメリカは石油資源が豊富であるし、シェールガスと言う最先端の技術を持っている。イギリスには北海油田がある。日本の得意の農業も、現代の農業は石油無くして農業も出来ないであろう。ホルムズ海峡を封鎖されたらどうなるのであろうか。イランを敵に回したらどうなるのであろうか。考えただけでも大問題なのである。
ここで一番大きな問題は、日本人が日本が優秀であるから日本がかつて繫栄したというシーラカンス石破と増税メガネの岸田政権である。彼らは日本人優秀説を信じているのであろうか。
かつて日英同盟で日本が日清戦争、日露戦争で勝利したと言う迷信を信じてはいけない。もっとひどいのは元寇で強大な中国の元に勝利したと言う都市伝説である。さらにひどいのは、日本人が神風を信じていると言う事実である。太平洋戦争で日本の軍部は一部ではあろうが、神風でアメリカ太平洋艦隊は一日で全滅すると信じていた人もいたようだ。
一番大切なことは、これらの戦争で日本は決して勝利していないのである。敵の大軍を神風と言う自然現象で追い払っただけなのである。
日本が日清日露でかろうじて講和に持ち込んで引き分けにしたのは、日英同盟があったからに他ならない。日本の帝国主義は日英同盟により生き延びたのである。
これは現代ではどう教訓として生かせばいいのであろうか。
私はこれは日本の教育にあると思う。日清日露戦争で日本が勝利した、あるいは勝利したかの印象を教育で教えたのである。そして、日英同盟が消滅すると、日本は太平洋戦争に突き進むことなる。
今こそ、戦後の歴史教科書を変えるべきである。そして岸田、石破はリスキリングをするべきである。勿論、民主党のナマズも同じようにリスキリングが必要であろう。