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ASKA 「歌になりたい」の歌詞を考える(アルバム「Breath of Bless」10曲目)

こんにちは、ジニーです。
定期的に更新しております、ASKAの10枚目のアルバムの歌詞考察もついに10曲目まで来ました。
毎週更新というわけにはなかなかいきませんが、続けていくことの大切さを感じている今日この頃です。

10曲目の「歌になりたい」はシングルCDとしても発売されており、前作「あなたが泣くことはない」から実に約10年ぶりとなるシングルCDでした。

本作は、楳図かずおさんの漫画、「漂流教室」のテーマにされているところもあるようです。

実際に歌詞の全体的な雰囲気からは、寂しさやもの悲しさ、危機のようなものを感じられるところもあり、そこから星や宇宙、命という壮大な物語へと紡がれていきます。

■これまで、ここまで歌詞の冒頭からハッとさせられたことはない

未来はいつも 僕らの
知りたいことを 浴びせられる​

最初の2行からハッとさせられる歌詞です。
どうしたらこんな曲の書き出しができるのだろうと、ASKAの作詞能力の高さをまざまざと感じさせられるところです。

僕らはいつだって、未来への想像を膨らませています。
その中には、未来を危惧するような想像もあり、例えば異常気象、例えば時代の変革、そういった事象を迎えるたびに「これから僕らはどうなっちゃうのだろう」という思いが胸をかすめるわけです。

いつからか、幸福な未来というのは、条件付きなものになっているような気がします。
人類の意識が変わらなければ、環境の改善がなされなければ、明るい未来は訪れないというイメージが付きまとっているように感じます。
だから、このままで未来はあるのか?という気持ちも生じるわけで、それがそのまま未来に浴びせる願いやメッセージになっているのだなと、この歌詞を読んで感じました。

いまや全世界の人口は77億人に迫ろうとしています。
この77億人のそれぞれが未来への「知りたいこと」が浴びせられたとすると、受け止める未来としても途方もないものを感じてしまいますよね。

■人とはとてもアンバランス、だから響くBメロとサビの歌詞

人の考え方の起点というのは、どこまで行ってもつまるところ自分だと思います。
自分の視点次第では、同じ物事をプラスにもマイナスにもとらえられる。
そのあたりのアンバランスな、しかしとても人間味のあふれる歌詞が綴られています。

ある日僕は こう思ったんだ
僕にできないことなんて あるのだろうかと

そして今日僕は思っている
僕にできることなんて あるのだろうかと

実生活でも、こんな風に自信を持てる時と、持てない時とで考えからのベクトルは真逆に進んでいきます。
そんな人の悲哀のようなものをこの歌詞からは、考えさせられるような気がします。

そして、曲はサビを迎えます。
このサビの歌詞が、本当に素晴らしいのです。

どうして僕らは 愛を求めながら
寂しい方へと 歩いていくんだろう

捉えようによっては「自分の意志とは違う方へ進んでしまう」というネガティブな印象を持つ歌詞でもありますが、僕はここに人間の愛らしさを感じるのです。
だって、人間というものはこういうものだと思うから。

気づきながらも気づかないというのでしょうか。
愛とは本来無償のものですが、人は生きる中ではどうしても何かを求めてしまう。(冒頭の歌詞にもその「求めてしまう」姿が描かれていますよね)
そのギャップがこの歌詞から感じられるのです。

■歌の中の話と割り切れないリアルさが息づく歌詞

信じたものを 無くさないように
絶えず夢と 引き換えに生きてきた

予感が燃えて 現実になる
その時僕は 僕でいられるのか

ここにどうしても僕は今の世相を重ねてしまいます。
いまだかつて人類が経験したことのない事態を迎えている僕らは、何が正しいのか明確なものを持たず、正しいと思われることを信じて歩いています。

その判断には、ある種の覚悟が必要で。
その覚悟を決めるために夢をあきらめるという場面もあったのではないかと思います。
その大小は様々あれど、夢だけで命はつなぎ留められません、夢に生きるということの難しさ、それを体現する人はきっとまた何か別のものを引き換えにしているのでしょう。

予感が現実となったときに自分が自分でいられるか、という歌詞にも考えさせられるものがあります。
というよりも、いまの僕にはその時のことは想像できません。
自分は自分でしかない、という思いも持っていますが、そんな考えすらも捨て去らなければいけないような現実が起こったときに、果たして今までとは違う自分を受け入れる覚悟が僕にはあるのか?
とても自信がありません。

僕は「予感が燃えて」という表現に、「悪い予感」という意味合いを強く感じてしまいます。これは僕の性格に拠るものなのかもしれませんが、悪い予感が現実となることに、先ほどのような自分の在り方が不安定となってしまいます。

そんな不安に応えるかのように、ASKAは歌います。

ずっと 僕らは命の中にいる
時を超えても 命の中にいる

とても勇気をもらえる歌詞です。
自分が自分でいられるのかという、漫然とした未来への不安を抱えたときに、投げかけられた「命の中にいる」という言葉。
そして、それは時を超えていくという。
命という、大きな概念の中で、意思を持つ僕らは、その意識が続くまでの間、次の命へとバトンをつなぐための何かしらの役割を持ち、それを果たしているのだと感じられる歌詞です。
そうとらえたときに、喜びも悲しみも、希望も絶望も、その役割を果たすために必要なことと捉えていけるような気がします。
生きるということは、傷を負っていくことの連続のようにも感じます。
その痛みを知るからこそ、誰かにやさしくなれるなら、命の大切さを知れるのならば、どんな自分でも受け止められそうな、そんな勇気につながる気がします。

■そして僕らは「歌になりたい」に大きなパワーを感じてしまう

「歌になりたい」という曲はなにか大きなパワーを感じる曲だと感じているのは、きっと僕だけではないと思います。
ASKAとしてもそういった大きなパワーを感じたからこそ、シングルCDとして発表したのだと思いますし、多くの楽曲の中でも特別なものを感じているのかもしれません。

歌って、とても普遍的なもので、常に僕らの中にあり続けるものです。
そういったものになりたいという気持ちは、とても共感するところもあります。
過去に発表した「UNI-VERSE」という曲にも、「UNI」=「ひとつの」、「VERSE」=「音楽」という意味で解釈できることをASKAはコメントしていました。
どこかその考えに通じるものを感じます。

鼓動、脈拍、息づかい、生きるための行いも、考えてみればリズムです。
リズムがあるところにメロディーが生まれるなら、確かに僕らは歌になれるのかもしれません。

今回は、ちょっと概念的な要素が多かったのですが、感じたままを考察しました。
随分と長い文章になってしまい申し訳ありません。
お読みいただき、ありがとうございました。

また次回も、よろしくお願いします。


前回の歌詞考察の記事も、是非お読みください。


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