ゆるやかにつながって、その先へ
※こちらはWEBマガジン「She is」公募エッセイ用に書いたものです。
スマートフォンに、突然メールが届いた。
差出人は友人T。件名なし。
あまりにも久しぶりのメールなので「いったいどうした?」と思いながら中を開くと……
お久しぶりです。第2子を出産しました。
おお。いつの間に!
その後、やはり件名なしで、可愛い赤ちゃんの写真が送られてきた。
そして飛び交う仲間からのメールの嵐。当然私もそれに乗っかって、「おめでとう、赤ちゃん可愛いね!落ち着いたらまた会おうね」といった趣旨のメールを返した。
このメールでやり取りをしていたのは、自分を含め全部で9人。いずれも、中学からの友人だ。
彼女たちが子供を産むたびに、「ああ、あの子が、お母さんになるとは……」と感慨深いような、不思議なような、何とも言えない感覚にとらわれる。
出会いは、中高一貫のミッション系の女子校。元々は中学1年で同じクラスの子たちが仲良くなってできたグループだった。
私は1年の時は違うクラスにいて、途中からそこに混じった。全員が同じ組に勢ぞろいしたことはない、というちょっと変わったつながりである。
クラスを越境していた私たちは、お昼ご飯を教室ではないところで食べていた。談話室と呼ばれる部屋で、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」の絵よろしく、大きなテーブルを占拠して。
放課後もほぼ毎日集まっていた。廊下で何時間も立ちながらしゃべったり、購買のおばちゃんの所に遊びに行ったり、だいたいいつも一緒にいた。
そんな日々もやがて終わり、その先の進路は全員ばらばらになった。別々の学校へ行き、違った職業を選んだ。
会社員の他に、バレエの先生や医者がいる。なぜか僧侶の嫁になった子も。結婚している人も、していない人もいる。
最近は会うこともめっきり減ってしまったが、それでも年に1回ペースで会っている。
ここまでの話から、とても仲の良い集団のように感じられるかもしれないが、実は、親友というイメージからはちょっとかけ離れているように感じている。
それこそ1回もクラスメイトにならなかった子もいるので、未だに知らないことがたくさんある。グループ内でけんかも相談もあまりした覚えがない。趣味もそれぞれ違う。
深くわかりあうことは、もしかするとこの先もないのかもしれないとも思う。
けれど、それこそがここまで長く友情が続く秘訣でもあったのだろう。密なコミュニケーションはなかったけれど、ただずっと一緒にいた日々。最近になって、やっとそれが大事なものだったとわかるようになった。
この先、みんなの子育てが落ち着いたらまた集まるだろうし、旅行だって行くはずだ。最終的に同じ老人ホームに入る可能性すらある。根拠はないが、信じてしまう。
これまでの時間の積み重ねが、思ったより強度を持っていることに驚いている。
いつも仲良しで離れない親友にも憧れたけど、私にはこのゆるやかさが心地いい。
私たちはどんな時だって、たぶん死ぬ時まで、おんなともだち。