第三の道を歩いている
※こちらはWEBマガジン「She is」公募用に書いたエッセイです。テーマは「なにして生きる?」。投稿は11回目。
続ける方がえらい?
やめる方がすごい?
最近、ずっとそんなことばかりが頭に浮かぶ。小さなことから大きなことまで選択しながら生きていると、ちらついて離れないのだ。
もちろん、どっちがより良いかなんて、誰にもわからない。
自分以外には決して。だから、
続ける方が気分がいい。
やめる方が現状が良くなりそう。
こんな風にジャッジしていくのが理想だ。けれどなかなかうまくいかない。
私は新卒からずっと同じ会社に勤めている。
しかも、好きを仕事にして、夢を叶えたと思われることが多い業界で働いている。
確かにそれは間違ってはいないのだけれど、胸を張って顔を輝かせ「幸せです」と言えるほどではない。
「長く勤めていてえらいね、すごいね」と本当に良く言われるのだが、曖昧に笑う面とは裏腹に、その言葉は少しづつ心に苦みをもたらす。
えらくなんかない。すごくなんかないんだ。
たまたま周りの人に恵まれただけ。自分で何かを作り出すわけでもない、代わりがきく仕事だし。
どっちつかずの人生で、ひどく格好悪い。
そんなもやもやを、一度しか会ったことのない人が軽くしてくれることがあった。
仕事で記事を書く必要に迫られ、文章講座のゼミに半年ほど通った時のこと。
最後の授業の日に飲み会があり、受講生たちと「お疲れ様」とねぎらいあった。
同じ場所で別のゼミも修了飲み会をしていて、そこにいたのがKさんだった。
場所づくりのゼミに参加していた彼女は、会社を辞めた後、ケータリングなどで活躍しているようだった。ほがらかで楽しそうな人だったので、いろいろ話を聞いた。
時計の針が進み、今まで誰にも話したことがなかった「仕事をなんとなく続けてここまで来てしまったが、良かったのだろうか」という悩みを切り出した。
すると、「流れのままに生きてもいいんじゃない。続けられる時は続くし、やめる時になったらやめるだろうし」と笑顔で返された。
「!」
それはとてもシンプルで、よく考えると当たり前の言葉だったかもしれない。
でも、「続ける方がえらい」「やめる方がすごい」、そのふたつの圧力に悩まされてきた自分にとっては、とてもほっとするものだった。
第三の道があることを照らしてくれたから。
あれから数年経った今でも、同じ悩みは相変わらずつきまとうのだけれど、それでも前よりは楽になった。
なるべく自然体で、できる範囲で頑張って。そう言い聞かせながら、月曜日の仕事の準備をする。また、あたらしい一週間が始まるから。
そして、いつかうずくまらずに、
続ける方が気分がいい。
やめる方が現状が良くなりそう。
そんな風に選び取って生きていきたい。