日常に 癒しを添ふる ぬいぐるみ
こんにちは、2回生の馬越です。明日から12月ですね。今年があと1ヶ月しか残っていないことに驚きを隠せません。年々時間の流れが速くなっている気がします。よく、体感的人生の折り返し地点は20歳であると言われますが、その理論で行くと体感的には私の人生はあと半分だということになります。「今日何もせんかったなぁ」とか、「今週大したことしてないなぁ」などの積み重ねで生きている私ですが、「何もない人生やったなぁ」とならないように、色々な経験を積み重ねていきたいものです。
さて、今月のテーマは子どもの時の趣味や関心ということですが、私には物心付く前の幼い頃から現在まで変わっていない趣味があります。それは、ぬいぐるみ集めです。今でも、お店などでぬいぐるみを見かけるとつい目が行ったり、手に取ったりしてしまいます。実家にある全てのぬいぐるみを下宿へと連れて来たかったのですが、数とスペースの都合で泣く泣く断念し、私が産まれた病院で頂いたという、双子のきょうだいの様に育ってきた(?)ずっと一緒のくまのぬいぐるみを初めとした若干名と、現在は生活を共にしています。とはいえ、一人暮らしを始めてからも数が増えているので、依然としてスペースの問題は抱えていますが……。私の部屋のベッドは、部屋の主よりもぬいぐるみが主権を握っていて、その有様を見た友人に、「このベッドで寝とるとか嘘やろ」と言われてしまったことがあります。でも、特にこの時期は暖かくていいものですよ。
これは昨年の12月の出来事なので、はや1年が経とうとしていることになりますが、私のぬいぐるみ収集癖が部内で少しだけ物議を醸したことがありました。昨年の名大戦前日、名古屋の味噌カツ屋さんを訪れた私は、あるぶたのぬいぐるみと出会いました。写真の子がそうです。私はこの子に一目惚れをし、ついつい購入してしまいました。すると他の部員からは、「全然可愛くない」やら、「絶対いらんやろ」、「なんでそんなん買ったん」などと、散々な言われ様でした。私は反論しましたが、誰も納得してくれませんでした。悲しい。誰がどう言おうと、私は可愛いと思います。
私は好きなものに関しては延々と語ってしまうタイプで、このままだととても長くなってしまいそうなので、この辺りでやめておきます。私が人生の半分以上を捧げている他の趣味もありますが、それについてはまた別の機会に。
来月は、「幼い頃の勘違い」について教えていただきたいと思います。例えば、私は幼稚園児くらいの時、兄がやっていた進研ゼミの「力だめしテスト(ちからだめしてすと)」を、ずっと「かだめしてすと」だと思っていました。今ぱっと思いついた話なのであまり面白くありませんが、次回担当の方には1ヶ月間みっちりと記憶を漁っていただき、抱腹絶倒の面白エピソードを書いてくれることを期待しています。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
追記
最後にタイトルを考えていて思ったんですけど、「日常」の歴史的仮名遣いでの読み方って「にちぢやう」でいいんですかね。というかそもそも「日常」という言葉自体その時代には無い気もしてきました……。誰か有識者の方教えてください。
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