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実は天才なのかもしれない

ごきげんよう。四回の灘将平です。今日は自分自身の話をしたいと思います。自分の人生における悩みかもしれません。

小学校の頃の話です。僕はそこそこ人気者でした。

生粋のテレビっ子だった僕はテレビを見まくって身につけた知識を基に会話をしたり授業で出しゃばったりしていました。そうしていると周囲が次第に僕の知識量の多さを認め、何かあれば僕を頼るようになりました。いわゆる「賢いキャラ」として確固たる地位を築くことに成功しました。調子に乗った当時の僕は、ここにはもう敵はいない、と思い、親に中学受験を志願します。天才だからやればできると思っていました。結論から言うと、そこそこのところに受かりました。トップオブトップではない、そこそこのところ。まあ周囲より勉強してなかったしこんなもんか、と思いながら中学に進学します。

中学に入ると衝撃的、なんとちやほやされなくなりました。小学校の時と同様に「賢いキャラ」として人気者になろうとしましたがうまくいきませんでした。そりゃあそうです。みんな受験を勝ち抜いてきたのですから自分より賢い人も大勢います。まあいいです。僕にはテニスがあります。幼稚園からやっていたので自信がありました。自分が天才であることを諦めきれなかった僕はテニスに活路を見出します。強気な姿勢もあってかレギュラーになれました。

中学はそれでよかったです。ところが高校に入ると昔は余裕で勝っていた人に負けるようになりました。ついでに骨折してしばらく部活を休んでいたら追いつけないほどにみんな強くなっていました。ここで限界が見えました。結局自分は貯金を使っていただけで才能なんてなかったんだと。あの時の自惚れはどこへ行ったのか、この時ちょうど私生活でもいろいろあったこともありすっかり弱気になってしまいました。結局、高校時代はそのまま復活することはありませんでした。

もしあのときのように強気でテニスに取り組んでいたら、自分の限界を自分で勝手に決めないで多方面に迷惑をかけながらタイトルのように意気込んでいたらどうなっていたか。天才はさすがに言いすぎだし今回の話も多少盛っているのですが、しかし可能性を信じてやっていくというのは楽しいことのように思います。それだけでやっていけるに越したことはないような気がします。しかし、僕のような凡人にとってそれは不可能でした。

現実を見ることは重要です。しかし現実はときに残酷です。もっていた可能性をどこか遠いブラックホールにぶん投げたと思えばいつのまにか足枷に転生していたりします。人生は思い通りにならないことが多いのは理解しています。ただ一度くっきりと見えた夢が見えなくなるのはつらいことです。

多分そうなる前に軌道修正しとけって話なんですかねぇ。あの時みたいに。

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