棚からぼた餅
こんにちは。三回生の川勝です。
昨日、阪大戦が終わり、昨年度に予定されていたテニス部の予定が全て終了し、今日から2024年度の京大硬式テニス部が始まります。
今年は昨年と違って、新入生がたくさん来てくれそうで、ワクワクしていると共にライバルがたくさん現れることにドキドキしている部員が多いと思います。自分もそのうちの1人で、新入生に負けないようにと最近ではテニスのモチベーションがどんどん上がってきています。
それと共に、自分たちの回生が代を取る日が近づいてきています。その影響で、最近では3回生同士が今後の部について話し合っているのをよく見かけます。昨日も阪大帰りの電車で話していたのですが、その中の一つについて最近考えることが多かったので、話そうと思います。
それは「棚に上げる」ということの重要性と難しさです。
そもそも、僕は棚に上げられるのが大嫌いです(1番感じるのはバイト中です)。他人に何かできていないことがあったとしてもさほど気にならないのですが、同じことについてその人が自分に注意してくると、頭の中に疑問符が百個くらい浮かび上がってきます。この人はどうして、注意できるんだろうと。
部活に置き換えて考えると、人間ある以上、どんな人であれ、完璧に部則を守り、全力で応援し、練習に集中して取り組めている人は存在しないと思います。ここで、僕のような考え方をしていると、誰も注意ができず、次第に誰もルールを守らず、それに気づきもしないようになっていきます。なので、自分にできていないことがあるというのを棚に上げて、他の部員に注意することはとても重要だと思いますし、これをやってくれている部員の方々には感謝感謝です。
一方でやはり、注意された方はどうしてもできていない人に注意されると、不快な気分を多少なりとも感じてしまうと思います。なので、ただ棚に上げれば良いというわけではなく、各部員が今一度、自分の行動を見直して、自分にできるう最善を尽くすことで、注意される人も注意をしっかり受け止め、改善できるでしょう。
注意するの勇気がいることですが、より良い部活にするためにするべき時に注意できるように各々がなれれば良いなと思います。
長々と読んでいただき、ありがとうございました。
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