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「  」はすべてを解決する




点滴はすべてを解決する。


熱中症による全身痙攣で救急搬送されて以来、そう考えている中川です。

この記事が公開される前週、9月23日に、関西大学対抗テニスリーグ戦における2部3部入れ替え戦が行われました。2部昇格こそ叶わなかったものの、昨年は成し遂げられなかった入れ替え戦進出という結果を残すことができたうえ、本年度は弊部が掲げる三大目標「東大戦勝利・リーグ昇格・七大戦優勝」のうち、リーグ昇格以外の2つを達成することができました。ちなみにサムネイル中央のバカ上手い文字を書いたのは私です。(来年は絶対に後輩に押しつけます絶対に。来年も書くか海の中をふんどし一丁で3km平泳ぎするかの二択を迫られても後者を選びます。中途半端な特技はむしろ人生を色褪せさせるのです。)

ともかくも、本年度が弊部にとって飛躍の一年になったことは間違いありません。では私個人としてはどうだったかというと、東大戦で勝ち得た試合を逆転で落とし、七大戦とリーグ戦ではそもそもレギュラー外という、貢献度0の結果となりました。この半期で部に貢献したことといえば会計係として部員から金を搾り取ったことくらいでしょう。金欠の部員が徴収にあえいでいる姿を喜ぶようになる日もそう遠くない気がしてきます。

思うような結果が出ない時、どうしてもよぎりがちなのが、「何のために部にいるのか」――自分は部に何をもたらし、何をもたらされているのか――という問いではないでしょうか。例えば、レギュラーの選手は「団体戦に出て勝つため」といえるかもしれませんが、では出場が叶わなかった選手はどうなのか。むろん、応援等も含め"全部員で団結して勝つ"ということを標榜している以上、答えは「部の勝利に貢献するため」の一点であり、ここに議論の余地はないといえます。しかし、大学テニスにおける団体戦の存在を、その熱量を、入る前から知っていた部員がどれだけいたでしょうか。団体戦を入部の理由に据えた部員がどれだけいたでしょうか。少なくとも私は該当しません。サークルでのキラキラした大学生活をわざわざ捨て、臭く汚いBOX、社会適合能力を著しく欠いた部員、理不尽な部則、密なスケジュールに過酷な練習、と薔薇色どころか吐瀉物の色をした最後の青春キャンパスライフが確定する部活に入る動機はなにか。その謎を解明するべくアマゾンの奥地へと向かう前に、私が入部翌月に書いたnote『イカれたショットを紹介するぜ!』を見てみたいと思います。

……読み返しながら、だんだんと当時の自分の気持ちを思い出してきました。私は純粋にテニスが上手くなりたくて部活を選んだのです。「これから部活という新たな環境で練習量を増やしていける」とあるように、私がこの部活に惹かれた理由は練習環境です。週4回の練習がほぼ担保されており、部員のモチベーションも高い(学生の本分を忘れてしまうほどに!)。また練習メニューは担当部員が責任を持って決めるシステムとなっている。私はこの部の練習メニューに球出しがあるのを見て、入部の決意を強めました。ある信念を持っていたからです。それは、


球出しはすべてを解決する。


私が入部して初めての全体ミーティングで主張したことです。球出しの大きなメリットは二つ。一つは、目的をピンポイントに絞った練習ができること。ラリー練習では双方のミスがあったり、自分が練習したい球筋が来ないことも多いですが、球出しなら課題のショットやシチュエーションを絞って練習することができます。また、自分のペースで練習できるという点も見逃せません。球出しであれば、練習相手のプレースタイルや実力に関係なく淡々と練習に励むことができるし、こちらがどれだけミスをしても(場外に打ったり人に当てたりしなければ)迷惑はかかりません。これらのことから、球出しはまさにオーダーメイドの練習といえるのです。
もちろん、球出し以外の練習が不要だと言いたいわけではありません。しかし、球出しが基本動作の確認に最も向くことは言うに及びませんし、プロも球出しを行っていることを考えれば、こうした基礎練習がいらなくなることはないと考えられます。単純な練習だからといって、いや、むしろ単純だからこそ、決しておろそかにしてはならないのです。

私はコーラの次くらいに球出しを愛しているので、その気になれば数千字かけて球出しをひたすら礼賛することもできますが、ここは平等に球出しの問題点にも触れておきたいと思います。一番に挙がるのはボレーの球出し渋いがち問題でしょう。スイングに大きな問題がある場合は球出しや素振りによって矯正する作業が有効かもしれませんが、咄嗟の対応や球際の強さといった部分は(不可能ではないとはいえ)どうしても球出しでは補いきるのが難しいといえます。実際、弊部でもボレーの球出しはバリエーションが少ないように感じます。どなたか知恵をください。ただでください。他にも、みんな球出し嫌いでモチベないがち問題や、ミスに寛容になってしまいがち問題などもあると考えられます。球出しで一番テンションが上がって気合が入るのは、どうやら私だけのようです。

ところで、基礎を大事に……という論点で球出しの良さを語るのであれば、もっと根本的な基礎能力――例えばフィジカルなどを鍛える重要性についても触れねばならないように感じます。実は、1年前に投稿したnote『忙しない人生に、コーラで潤いを』で、身体面の管理について言及しています。体作りのためにコーラと二郎系ラーメンを禁止した結果ユニセフが儲かる話です。

……読み返しながら、だんだんと当時の自分の気持ちを思い出してきました。一回生の3月から、京都スポーツプロジェクトのジムでトレーニングをさせていただいているのですが、この頃から身体に気を遣うようになっていました。怪我の再発防止のために整体に通ったり、食事制限によって体組成をコントロールしようとしたりと、それなりにストイックに取り組んでいた(いる)ような気がします。怪我予防に関してはどうしても上手くいかない部分があった(むしろ増えました。この歳で既に怪我続き、30年後に動ける身体を維持できているビジョンはあるのでしょうか。私の健康寿命はゴリゴリと削られていきます。)ものの、トレーニングを始める前に比べ筋肉量は7kg増えましたし、特にスクワットによってフットワークを向上させることもできました。こういった恩恵を受け、私は一つの考えに至ります。つまり、


筋トレはすべてを解決する。


こう聞いて真っ先に連想されるのは、Testosterone氏の名著『筋トレが最強のソリューションである』(未読)でしょう。筋トレが身体面だけでなく精神面にも有効だ、というのはしばしば耳にする言説であり、体感としてもおそらく正しいのではないかと思います。同氏の「頭痛にバファリン、あらゆる悩みに筋トレ。」という言葉は、けだし名言です。

テニスにおけるメリットに論点を絞ったとしても、スクワット等のメニューによって軸足の安定性が向上したり、肩/背中周りの強化によってサーブの質がよくなったり、(無理なく)鍛えることで怪我の予防につながったりと、まさにいいことづくめです。やはり筋トレは正義であります。

とはいえ、12年間テニスをしておいて至った結論が「筋トレしとけ」なのは正直少々認めがたいですね。筋トレすればいい結果を残せるよ、と断言する気にはなかなかなれません(それが真なら私の実績はもう少し芳しいはず……)。筋トレしていてもテニスが伸び悩むことはあるし、筋トレしていても金欠にはなるし、筋トレしていても振られはするのです。そりゃそう。
心技体のうち、球出し、筋トレときて、現段階でまだ言及していないのは心の部分ですね。テニスとの向き合い方に関して、昨年のクリスマスに『ないセンスに頼るな』の中でちらと言及しています。

……読み返しながら、だんだんと当時の自分の気持ちを思い出してきました。「『清く正しく美しく』改め『汚くがめつく泥臭く』を掲げていきましょう。」の一文がすべてを物語ってくれています。キレイに/要領よくこなそうとするのではなくて、一球一球に集中して食らいつく気概で臨まなければ、よい結果は残せない。近道しようとせず、「いま」「ここ」に意識をきちんと割くことが勝利につながる。このことを抽象化すれば、


没頭はすべてを解決する。


これが、執筆時点での私の考えです。
世の中には「大学生キャパ限界の定理」なるものが広く知れ渡っています。内容は単純、「大学生活においては、サークル(部活)・学問・バイト・恋愛のうち二つまでしかうまくいかない」というもの。この定理も結局のところ、没頭度の壁のことを言い表しているのではないでしょうか。色々なことに手を出しすぎると、一つ一つへの没頭が足りなくなることで、遠からず破綻を迎える……。こんなことを言うと中津山君に二兎は甘え、四兎を追って全部得ろ、と怒られてしまいそうですが、左利き同士なので許してもらえるでしょう。とはいえ中津山君、弊部の平均取得兎数を考えてみていただきたい。弊部は慢性的な兎不足であり、その根本にh……すみません。実際これは言い訳でしかなくて、追う兎を絞ったところでうまくいくとは限りません。単なる力不足です。自分が悪い。
話がそれましたが、テニスはもちろんのこと、テニス以外のあらゆる事柄においても、「没頭できた奴が勝つ」ということがいえるのではないでしょうか。

もちろん、ここまで長々と書いて結局脳筋結論で終わる、なんてことはありません。「没頭」にも限度があるし、行きすぎるとどこかで心身に綻びが生じてしまうと考えられます。過ぎたるは猶及ばざるが如し。そういった部分をコントロールできて初めて「没頭」といえるのではないか、とすら思います。線引きがどこか、という問いは非常に難しいですが、私が今月書いたnote『「  」はすべてを解決する』を見てみれば、あるいは何かしらのヒントくらいはあるかもしれません。

……読み返しながら、だんだんと当時の自分の気持ちを思い出してきました。忘れもしない8月19日、試合直後に私は熱中症で全身痙攣を起こしました。試合中はまだ動けていたのですが、クールダウンをしている時に身体中のほとんどの筋肉が痙攣。激痛。対になる筋肉の両側が攣ったため逃がしようがないほか、内腿という伸ばしようのない部位を攣ったのも地獄でした。腿裏や腹筋を攣るより痛いです。(以前、20歳の誕生日会で嘔吐した直後に腿裏と腹筋を同時に攣ったことがありますが、その時の方が数段マシでした。) 病院で手当てを受けた結果、すぐに歩ける程度まで回復しましたが、あの日ほど医療に感謝した日はありません。多分。このとき思ったことといえば、




・同じ書き出しの章が連結し、冒頭と末尾が連続する構造については、『私の四畳半,私の四畳半,私の四畳半,私の四畳半』を参考にさせていただきました。本稿よりはるかに緻密でありかつ非常に面白い作品なので気になった方はぜひ。なお私はジェイムズ・ジョイス『フィネガンズ・ウェイク』も森見登美彦『四畳半神話大系』も未読です。
赤地の記事とサムネイルが被ってしまいましたね。それだけ私の字が上手かったということでしょう。
・本稿が弊部のnote史上最長記録を更新したことは間違いないでしょう。土井祐樹主将は私が書いた倍の文字数で執筆してくれるみたいです。主将の威厳が見たいところ。なお、本文がループしておりかつ入れ子構造になっている以上、本稿は無限文字ととらえてもよいと私は考えています。
・タイトルの「  」に入る言葉は、本文を最後まで●●●●読めばきっと埋まると思います。


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