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O脚少年

 皆さんこんにちは。はたちの誕生日にO脚矯正通院する漢、富永です。私は元来、実力以上の評価を自身に与えながら活動するタイプの人間であり、女性の目を見て話せないこと、家系図上の男性陣の大半の毛が薄く、自分自身も巨大な額を携えていること等、人間としての問題点は無数に挙げられるものの、それらを個性として受け入れ前向きに人生を歩んできました。しかしながら、先述したO脚に関してだけはいまだにポジティブに捉えることが出来ておらず、通常であれば接しているはずの両膝内側にテニスボール2個分程の空間のある自分の脚を見るたびに情けなさ、悔しさ、憤りといった様々な感情に襲われます。このような現状を打破するためにも整骨院に精力的に通い、必ずや大地を力強く踏みしめる健脚を手に入れたいと思います。
 さて、大阪大学との対抗戦が1週間後に迫り、京大テニス部の1年間の締めくくりの時期を迎えていることや2ヶ月半後の東大戦を以て私を含めた新3回生による部活運営が始まることを踏まえ、今回のnoteでは体育会テニス部としてのあるべき姿についての私の考えを述べたいと思います。
 体育会と言えば、厳しい上下関係やハードな練習、緊張感のある雰囲気といったイメージを持つ人が多いでしょう。当然ながら現在の京大テニス部には理不尽な人間関係、規則、非合理的な練習は存在しませんが、一般的なサークルや高校の部活、テニススクールと比べると先述したような「体育会的雰囲気」が存在しているかもしれません。私自身はそのような空気感は嫌いではなく他のことを犠牲にして勝利を目指すことや厳しい環境で己を追い込むことに魅力を感じる人間であるため、他の組織に比べた場合の京大テニス部のこのような空気感をマイナスに感じたことはありません。私以外にもあるいは私以上にこのように感じている部員はいるに違いありません。
 しかしながら、部員の中には純粋にテニスを楽しみたい、テニスが好きなだけやれる環境が欲しいと考え、この部に所属することを決めた人間もいるはずで、そのような立場の人間の視点からすれば「体育会的雰囲気」は不必要なものとして映っているのかもしれません。
 勝利を目指す集団であるという体育会の原義に立ち返れば後者のような考え方の人間に対して譲歩して「体育会的雰囲気」を排除する必要性はないのかもしれませんが、その結果としてチームから人が離れていけば競技力は低下し、勝利という目的から遠ざかることになってしまいます。
 これを特に痛感させられたのが昨年の新歓でした。多くの人材を獲得しようと、私たちはSNSを通じた発信やイベント、練習体験等を通して新入生に対して精力的なアプローチを展開し、そのうちの多くの新入生から入部に対して前向きなリアクションを貰うことが出来ていました。しかしながら蓋を開けてみるとそのうちの多くが「部活の練習は厳しそう」、「在学中にやりたいことが他にもある」といった理由で入部に至りませんでした。これは部にとって大きな痛手であることは言うまでもなく、更にこのような状況が数年続けば我々の組織自体が存続の危機に立たされると言っても過言ではないでしょう。
 今年も間も無く新歓の時期となります。京大テニス部の最大の目標がチームの勝利であることはいつの時代もブレるべきではないですが、継続的なチームの強化、繁栄のためにも部員一人一人が「体育会的雰囲気」について真剣に考え、持続可能な強豪チームを創り上げることに全力を尽くすべきではないでしょうか。

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