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最低限

こんにちは、2回生の赤松です。現在のテニス部は新進の予選の真っ只中です。私は単複ともに上シードに負けてしまいましたが、以前はシードに対して何もできずに負けていたのが、ある程度自分の思う形でプレーできる部分が増え、相手に比べて自分の足りない部分はなにか、どのような課題があるかということを具体的に感じることができるようになったので、それなりに成長しているのかなと前向きに捉えております。
 さて、本題に入りますが、皆さんは「最低限」という言葉についてどう思うでしょうか。私はかなりこの言葉が好きです。小中と野球をしていましたが、野球では基本的に自分がアウトになってランナーを進める行為、例えば犠牲バントや犠牲フライなどを「最低限」と形容します。類義語としては、「職人」「仕事人」「いぶし銀」などがあります。若き日の私はこの「最低限」に強い憧れを抱いていました。そのため、バントだけは得意でしたし、ゲッツーばかり打つ新井は嫌いでした。高校からテニスを始め、今に至るまでもそれは変わっていません。
 テニスにおいて、最低限というのは野球以上に重要な概念であるというのが私の考えです。テニスにおける最低限とはなんでしょうか。多分人によってさまざまです。が、おそらく「コートにボールを入れる」ということが1番イメージしやすい、初歩の最低限でしょう。調子がどれだけ悪かろうが、ボールをコートに入れられるくらいにならなければまず安定してまともな試合をすることはできません。そこから技術が向上するにつれて、「サービスラインより深く返す」とか「クロスに強い球を打つ」などのより発展し、複雑化した最低限が実行できるようになる、と私は思っています。
 そして、この最低限の基準を上げていく過程そのものがテニスの上達であると考えます。いくらいいショットが打てても、それが調子に関係なく打てるものでなければ、試合でそのショットに信頼をおくことはできません。最低限できることを基盤にして試合を組み立てていく必要があります。そして、強い人はこの最低限できることが多いのだと思います。信頼できる選択肢が多く、それゆえに自信をもってプレーすることができます。
 私も去年の秋ごろにやっと初歩の最低限から抜け出して、発展した最低限を意識するようになり、そこからかなり自分のテニスが変わってきているように思います。最低限を意識する中で、自分ができること、できないことの線引きがより明確になり、余計なリスクを負った選択をすることや、逆に必要以上にリスクを避けて弱気な選択をすることが以前に比べて減ったように感じます。まず自分の最低限できることを正確に把握すること、そして最低限できることの範囲を広げていくという意識が効率よく上達するコツなのかなというのが私が最近考えていることです。
 おそらく同じような考え方をしている人も多いでしょうし、何を当たり前のことを言っているんだと思った人もいるかもしれません。とはいえ、最低限をしっかり実行することは難しいですし、だからこそそれができる人は強いのだと思います。
 そして、最低限というのは何もテニスだけに当てはまることではありません。仕事や勉強などの日常生活でも同じことです。私は次の代で主務を務める予定ですが、みんなが最低限を実行し、そしてその基準を上げていくことができるような組織が理想だと思いますし、そのような組織を作ることができたら良いなと考えています。頑張っていきましょう。
 長々と面白くないことを書き上げてしまいました。部内から批判を喰らってしまうでしょうが、面白い文の書き方がわからないので仕方がありません。面白い文を書く方法についての論文とかないですかね。野崎君か松本君にでもまた教えてもらおうと思います。それでは。

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