【歌詞考察】火曜日の夜、水曜日の朝
はじめに
昨年、初めて「手をつなぎながら」公演を見に行ったとき、「火曜日の夜、水曜日の朝」の良さに気付き、ハマりました。
特に、1番のサビでセンターに立った鬼頭未来さんが、この曲にぴったりの雰囲気を出していてすごかったです。
そんなお気に入り曲の歌詞考察、(というか、曲全体についての語り)になります。
※アイドルとは相容れないようなところまで踏み込んでいます。
まず歌詞を引用します。ぜひ、パフォーマンス全体を見てほしいです。
SKE48 火曜日の夜、水曜日の朝 歌詞 (lyricjp.com)
思い浮かぶ風景
この曲で、10年前くらいにやっていたドラマ「GTO」(二回目のドラマの方)の、木崎ゆりあさんが演じるあるシーンを思い出します。
私はこのシーンだけ鮮明に覚えているのですが、覚えている方はいるでしょうか・・・
そしてもう一つ、全国を巡回している「私たちは「買われた」展」という展示会を思い出します。
こんな感じの風景が描かれた曲でしょう。
少女のダークサイド
アンダーグラウンドな、少女・若い女性特有の感覚がとてもよく表れていると思います。
漠然とした孤独や不安、虚無感、憂鬱。
自分自身にも心当たりがあります。
1番は「落ち葉色した 髪とネイルを 何度も直して」
2番は「派手なネイルも へそのピアスも アゲハのタトゥーも」
身体改造の初手であるピアス、そして一生消えないタトゥー、切迫感が増しているように感じます。
そういうことをしても、ぬぐえない寂しさや虚しさがあるわけです。
「声を掛けてくれたら 誰でもついて行くのに…
お金はいらない 傷つくくらいに 抱きしめられたい」
「楽になるなら 私 何をされてもいいよ
体がなくなっても…」
男性に自分の身体を差し出すことを予感させます。
すごく、リアルだと思います。
泣いてすむなら→すまない
泣いてすむなら朝がくるまで泣けばよいのだけれど、
そうしても心は晴れないこと、満たされないことが分かっている。
だから、夜の駅に居る。羽目を外してみよう、声をかけられたらついて行ってみよう、と思う。(と、私はとらえました)
誰かに見つけてほしい。分かってほしい。愛されてみたい。
サビは、何とかしたいけれど、どうにもやり場のない気持ちからくる、魂の叫びなんだと思います。
パフォーマンス全体を考えると、熱唱とダンスによっても表現されます。
もっと悲しいことになると思うよ
歌詞から離れますが、
泣くだけじゃどうにもならないからといって、
通りすがりの人に体を預けたって、おそらく、残念ながら、幸せにはなれません。
私の経験上では、失うものの方が大きいです。
一生治らない心の傷を負ってしまうかもしれません。
祈り
曲の世界と現実とが混ざり合う中で考えさせられます。
気持ちが不安定な時期を、自分を危険にさらさない方法で、どう乗り越えられるでしょうか。
もしかしたら、アイドルを応援することかもしれません。
歌にして昇華するのかもしれません。
アイドルになる側の人もいます。
同じような感情の歌を見つけて癒されることもあるでしょう。
曲の世界と、パフォーマンスしている彼女ら自身と、そして、実際に存在する、夜をさまよう少女たちとが重なり合うなか、どうか、どうか耐え抜いて乗り越えてほしいと願います。
高速Mixの意味
ラスサビの前で、「タイガーファイヤーサイバーファイバーダイバーバイバージャージャー」と観客から高速Mixが入るのが定番です。この曲をより良いものにしている気がします。
この高速Mixが、自分を結果的に傷つけるようなそっちの世界には行くなという引き戻しのための叫びであってほしいと願います。決して、彼女らを利用して自分の欲望を満たしてしまおうと寄ってくる声であってほしくないです。
最後に「火曜日の夜」が明け「水曜日の朝」がやってきます。
週の真ん中、この時間を主人公がどう過ごしたのか、描かれていません。
少しでも、明るい朝であればいいなと思います。