「合理的であれば区別」の合理的って?
昨日のnoteで最後に少しふった、「差別」と「区別」の違いってなんだろうに対する、ちょっとした変化球を紹介します。
こんにちは、くつばこ+のうたです。このnote、うたのnoteだけ数えて200本目だそうです。長かったような、短かったような。200回記念のようなnoteはまたいつか、書くかもしれません?(需要が少なそうなので、書かない気もします笑)
☆区別と差別の辞書的な違い
皆さんは「『区別』と『差別』の違いは何?」って子どもに聞かれたらどう答えますか?
僕にはぱっと答えられないなって気がするので、まずは辞書で調べてみましょう。
区別…あるものと他のものとが違っていると判断して分けること。また、その違い。
差別…取り扱いに差をつけること。特に、他よりも不当に低く取り扱うこと。
差別には「両者の差別を明らかにする」と言ったように、区別と完全に同じ意味もありますが今回は少し無視しますね。「差をつける」という点は一緒ですが、「不当」に取り扱うのが違うみたいですね。つまり、「合理的」に差を付けることが「区別」で、「合理的」ではないのが「差別」ということです。普段の使い方の直感的な理解としてもあってますね。
☆「合理的」はどこまでか
昨日のnoteでも取り上げましたが、どこまでが合理的かどうかと言われると難しいです。例えば、障害があっても収入が変わらないのにもかかわらず、障害者の逸失利益は少なく計算されるとしたら、確実に「差別」と言えるような気がします。でも、実際は障害者だと年収が低くなる傾向があると、有意的な差が出ています。だとしたら、「合理的」ともいえるような気がしませんか?
少なくとも、「合理的」であるためには、有意的な差があれば良さそうです。でも、それだけでしょうか。
☆分け目の決め方も大きなポイントでは?
では、視覚障害者と健常者のように分けるのは本当に正しいと思いますか?
例えば、矯正前の視力で分けるとなれば、メガネを必要とする人達の平均年収が下がりますよね。そして、それによって逸失利益による賠償金の額が変わると言ったらどうでしょう。かなり変に思いませんか?しかし、手帳を持っているかどうかだけで、障害を持っている・持っていないを区別し始めたら同じようなことが起こるかもしれません。
☆障害は人それぞれ違う
聴覚障害の手帳を持っています、といっても症状は様々です。
補聴器を付けてもエンジンの近くくらいの轟音くらいしか聞こえない人、補聴器を付けたら一部の女性なら会話できる人。逆に男性ならできる人、静かであれば誰とでもそれなりにできる人、発声をしない人、中途で発声についてはあまり問題がない人。
このように、本当に様々な人がいますが、全部ひとまとめにできるでしょうか。聴覚障害者の中でも有意的な差があるのではないでしょうか。
例えば、5か月前のnoteで取り上げた安優香ちゃんは「喋る」わけですから、「喋らない」聴覚障害の人に比べて、収入が多くなる可能性はないのでしょうか。実際、安優香ちゃんのお父さんはそのように主張している訳ですね。
だからこそ、視覚障害者とか聴覚障害者のように大きく分けるのではなく、もっと細かい統計が欲しいなと思ったうたでした。その方が少しは「合理的」に近づくのではないかなと。
ということで、今日は「差別」と「区別」の違いの話をしました。「差別」と「区別」は綺麗に分かれてるわけではないのではないかなと思います。障害と同じでスペクトラム。グラデーションのように移り変わっていくんです。だからこそ、少しでも「区別」側に寄せる努力が大事なのではないかなと思いました。
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