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日本語のシャワー

くつばこ+のたくです。皆さんはどういうシャワーヘッドがお好きか考えたことはありますか?シャワーヘッドは実に奥深い。「毛穴の汚れをすっきりオトします♡」を強みとして宣伝しているマイクロバブルタイプ、滝行を連想させられる1つ1つの穴がでかい超ストレートタイプ、シャワー・じょうろ・ストレート・バブル…とホースみたく1つのヘッドでお好みの形に変化できる変幻自在タイプ…いろいろありますね。本当にシャワーヘッドが変わるだけでコンディションが変わるのか懐疑的ですが、高校時代住んでいた寮では誰かがシャワーヘッドを壊したため、細いゴム状の管しかないただのホース状態でした。おお!シャワーヘッドなどただの飾り!これぞ本来の水流しだ!新たな物質を発見した科学者のように興奮しましたが…威力はすごいのですが範囲が狭く、使用水量も自然に増えてしまうので良いことはありませんでした。人間、失ってから始めて気が付くものです…。

☆小さい子はどうやって言語を覚えるか?

人間、生まれてどうやって言語を身に付けていくのか多くの人がとても関心を寄せいています。教育学を選択すると必ずと言っていいほど盛り込まれており、重要視されているように感じます。確かに言われてみれば私が今この文章を打つ際に、なぜこういう名詞、助詞、動詞、進行形などの変形を気にせずスラ――っと打てているのか不思議だなあと思います。(もちろん前提として小学生や中学生、日常レベルで修正を繰り返してきて使えるようになったのはそうですが)「選んでいる」という感覚はそれまで強く感じていなく、「これを選んだらいいよね」無意識に近い状態で文章を作成しています。私だけではなく、恐らく普遍的な能力として世界中の人々が生まれながらにして持っているものでしょう。

☆フリードリッヒ2世の実験

残酷な実験の1つとして揶揄されていますが、言語獲得論の根幹にかかわる重要な実験として扱われています。どういうものかというと
「人はどうやって言語を身に付けるのだろう?」と疑問に思ったフリードリッヒ2世という王様がいました。もしも言語を発せないで育てたら人間の根元言語をはっするのだろうかと推測しました。そこで100人の赤ちゃんを集めて乳母たちに

①赤ちゃんの目を見てはいけない
②赤ちゃんに笑いかけてはいけない
③赤ちゃんに話しかけてはいけない
④赤ちゃんにミルクを与える
⑤赤ちゃんをお風呂に入れる
⑥赤ちゃんの排泄の処理をする

最低限度の生活だけは保障して隔離した結果、予想は大きく外れ、多くの赤ちゃんが亡くなりました。これは言語獲得以前にスキンシップが重要であるという戒めなのですが、スキンシップとその際に発する言葉がけこそが命を育む重要なものだということを教えてくれた実験でもありました。(ハーロウの猿実験で、最低限スキンシップが必要となるのではないかと言われていますが)

☆聞こえない赤ちゃんは…?

ここまで言語獲得の実験を述べましたが、ちょっと考えてみてください。重要なものはスキンシップと…言葉がけでしたね。耳の聞こえない赤ちゃんはどうやってお母さんやお義父さん、もしくは祖父母の言葉を聞いて理解して話しているのでしょうか?自分が赤ちゃんのころの記憶があれば話は早かったんですが、かすかな記憶が残っている最低年齢が2歳くらい…。親に聞くのが手っ取り早いと思いますが、今回は論文の紹介を…

もともと声帯が発達していない赤ちゃんが声で意思疎通できないことに着目して、声以外の方法ならば出来る可能性を考えてなかった中でガーシア氏の論文はまさに目からうろこが落ちる画期的なものだったのかもしれません。今や早期言語取得に力を入れている家庭があるくらい乳児教育の1つとして取り入れている方が多くいらっしゃいます。ベビーサイン協会もあるくらいですからかなり規模も大きくて浸透率も高いみたいですね。この方法ならば耳の聞こえない赤ちゃんでもサインで単語を覚えていけますね。中には「ベビーサインを教えまくったら喋れなくなる、言語の覚えが悪くなる」というのがありますが、断片的情報で医学的な根拠に基づいているわけではないことを重々ご承知ください…。

☆シャワーがない環境とは?

世間的に耳が聞こえないということはシャワーそのものが欠落しているから上達しないと思われがちかなと思います。シャワーの仕組み自体は上記の通り、聴者と変わらずにきちんと整えてあげれば問題はないのですね。では問題は何か?私が思うにはシャワーでいう水量のところ「耳から入る情報」にあると考えています。日常生活の中での音声での説明や読み上げは想像以上に多くて、聴者と一緒に歩いているとき「あ、アナウンスだ」「何か説明してるな。…ふむふむ。」これまで何もないと思い込んでいた場所に丁寧なアナウンスが流れていることを初めて知った経験はざらにあります。子どもなのに昼ドラみたいなセリフを吐いたり、電車のアナウンスのまねをしたりしていて「そういう言葉どこで覚えてきたの!?」と驚くようなものを聞き取れていないのでそこから格差が生まれます。小さいころから「今音が流れてね、これはね~」と音が聞こえた時に応じて説明してあげるのが好ましいのですが、超大変ですよね…。私の場合は幸い親が手話を覚えてくれたり、分かるように絵本を読み聞かせてくれたり、手話で会話できる人と多く出会えるなどボキャブラリーを増やせる比較的恵まれた環境で育ちました。今になって振り返ってみると、その労力が後々その人の言語能力が左右されると言っても過言ではないほど大きく影響するみたいです。最近はスマホをはじめとする携帯サイズの液晶パネルが発達しているので段々情報量の格差は埋まりつつあるかなと思います。それでも大人に限った話で、やはり乳児はまだまだ親の力によるものが大きいでしょう。シャワーそのものの欠落はないということを理解したうえで安心してシャワーの水量を是非増やしてあげてみてはいかがでしょうか?

※教育学や言語学を学んでいるわけでないですし、全てしがない学生の推察に過ぎないのを重々ご承知ください。

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