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春の神田川 (方南町〜下落合〜江戸川橋) step2

こんにちは、
noteでの初めての記録の第2回です。



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長者橋

今回は、神田川と山手通りの交差する場所からスタートします。
信号名は「弥生町一丁目」。

信号の真下が橋の部分(ふつうの道路に見える)


橋を東へ渡った地点から西へ向いて撮りました。

この角度だと橋とわかる

この橋は「長者橋」というのですが、
この後のお話に繋がってきますので、なんとなく覚えておいてください。

では、進みましょう。

ビル群が近づいてきた。

案内図がまたあったので記録。

この看板のあたりから新宿区

ほぼ90度曲がって北へ向きました。

新宿インターシティ

しばらく歩くとビル群が間近に。

タワマンかな。
こちらはオフィス棟

この一帯は、護岸が特にキレイに整備されていました。

再開発エリアの一部ってことで、整備されたんですかねえ。

大通り(青梅街道)沿いのため、大規模な開発ができたように見えます。

左奥が西新宿駅で、もっと進むと新宿駅の大ガードがある。

大通りを2つ越えて、さらに川沿いを進みます。

青梅街道 (新宿駅より東は靖国通り)
税務署通り(新宿駅より東は職安通り)


 淀橋

大通り2つの合流点にあるのが淀橋でした。

このあたりで創業したといわれるヨドバシカメラの由来になった橋の名前(地域名;淀橋区)みたいですね。


橋の北側です。

欄干の橋柱は昔のまま。立派な石造りでした。

へめへめくつじ(右の柱)

淀橋の話

さて、この淀橋ですが、由来を読んだらホラーだったのでご紹介します。

「淀橋の由来」

(略)
 古くからあるこの橋は、昔は「姿見ずの橋」とか「いとま乞いの橋」といわれていたといいます。
 このあたりで中野長者といわれていた鈴木九郎が、自分の財産を地中に隠す際、他人に知られることを恐れ、手伝った人を殺して神田川に投げ込みました。
 九郎と橋を渡るときには見えた人が、帰るときには姿が見えなくなったことからその名がついたといわれます。

 江戸時代の初めに鷹狩りのためこの地を訪れた徳川家光はこの話を聞き、
「不吉な話でよくない。景色が淀川を思い出させるので淀橋と改めるよう」に命じ、これ以降、その名が定まったそうです。

この鈴木九郎っていう人が、
当記事のはじめに渡った「長者橋」の由来になった人だそうです。

地名に名を残すほどだから、よほどの大人物なのかなあ、、、と思いながら歩いていたのですが、めちゃくちゃ恐ろしい人でした。



あまり距離が進んでいませんが、
少し長くなってしまったので、今回はここまでにします。

山手通り(長者橋) 〜 青梅街道(淀橋) までの道のりでした。

さいごに、今回のエリアの地図も載せておきますね。

新宿副都心の西詰のエリアだった

次回につづきます!

ここまで読んでいただきありがとうございました。


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