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11.日与の休日 炎の血を流す人(3/5)
3/5
「防霧フィルタと合法麻薬《エル》と空気清浄機のためにツバサの工場で死ぬまで働くのが俺たちの未来で、それは生まれたときから決まってた。どいつもこいつもギャンブルと合法麻薬《エル》の話しかしないし」
日与は団地で過ごした少年時代を思い出し、目を細めた。例外は医者になる夢を持っていた明来だけだった。
視線を稲日に移す。今ここにも夢を持つ例外者が一人。
「だから稲日が未来の話をするの、すごくキラキラして見えた。カッコ良かった」
「ひえ~……!」
稲日は両手で赤くなった顔を押さえた。
「日与はないの? 何か……夢とか」
「いや。思いつかない」
真魚とリクがやってきて、日与と稲日に冷やかしを浴びせた。ふたりと稲日は学科が違い帰る時間も違うため、毎日ここで待ち合わせしているのだ。
日与はガレージへ向かう三人を見送った。すると真魚とリクは振り返ってこちらを見、ニヤつきながら稲日に何事か囁いている。
稲日は少し戸惑ったものの、日与のほうに駆け戻ってきた。
「今度さ、バンドのライブしようと思ってんだけど……ここで。新曲のお披露目でさ」
彼女はチラシを日与に渡した。
「ガッコの暇人どもが溜まり場にしてる喫茶店があってね、そこやってるおっさんが旧軽音部のOBなのね。やってみないかって言われてさ。次の土曜の夜なんだけど……」
緊張した顔をする稲日に、日与も変に真面目な顔をして答えた。
「行く。〝炎の血を流す人〟を聞きに行く」
「その……あんま……期待すんな!」
稲日は照れを隠すように日与を手で押すと、バンド仲間のほうへ駆け戻っていった。彼女が手を振ると日与も手を振り返した。
日与はドキドキした。すごくドキドキしていた。
人気のない裏路地に入ると、壁を蹴って雑居ビルを駆け上がり、屋上に出た。屋上から隣のビルの屋上へと次々に飛び移る。風の強い日で、逆巻く汚染霧雨の中で日与は大声を上げた。
「うわあああああ!」
以前に恋破れたときと同じように傷付くのではないかという恐れや、恋愛なんか下らないと思い込もうとしていた自分。
稲日が夢や未来を語るときの表情、甘い香り、間近で見ると思っていたよりずっと大きかった胸、白い肌とピンクの唇。
何もかもすべてが日与の中でない交ぜになり、どうにもならなくなっていた。
「ちょっと優しくされただけでこれか、石音日与! お前はクソバカだ! どうせ稲日だって顔が同じなら兄貴のほうがいいに決まってんだ! ああああ! クソがァアアア!」
走り続けているうちに、いつの間にか天外港まで来ていた。息を切らせながら埠頭の廃倉庫前の軒下に入り、スマートフォンを取り出した。毎週この時間、明来から定期の電話が来るのだ。
着信すると日与はワンコールで出た。ビデオ通話モードにして近況を話し合うが、明来はあまり質問はしない。弟の多くを聞かないで欲しいという思いを汲み取っているからだ。
明来はいつも通り明るく振舞い、絶好調だと言っていたが、顔のやつれは前よりもひどくなっている。日与の胸は痛んだ。
「あのさ、兄貴……あー……」
日与は思い切って切り出した。
「女の子のプレゼントって何がいい?」
明来は驚きのあまり目を見開き、信じられないという顔をした。
「ウッソだろ! お前が?! 女の子にプレゼントを!? ウッソだろお前ウッソだろ?!」
「やめた。この話なし」
「いや、悪かった! 待てって。お兄さんに任しときなさいって。うーん……どんなタイプのコだ?」
「団地でギター弾いてたコ、知らないか。稲日って言うんだけど」
「ああ、いたな。あの目がデカくてカワイイ顔した。いつか声かけようと思ってたんだけどな! まさかお前に先を越されるとは思ってなかったぜ!」
明来は少し考えてから言った。
「花だな。一番失敗が少ない」
「花か」
「店員に選んでもらいな、友達以上恋人未満の女の子に送りたいって言えば見繕ってくれる」
「わかった、参考にする」
しばらく雑談し、通話を終える前、明来は日与の本音を見透かすように言い、笑った。
「日与、俺のことは心配すんな。今こそ〝そんなことしてる場合〟なんだぜ」
「ああ」
「うまくいったら彼女の写真を送れよ。じゃあな! あと避妊しろよ!」
* * *
金曜日、夕方。ツバサ重工第四四三二号化学工場。
日与は地上でパイプの切断作業をしていた。工場から送られてきた新品のパイプは現場の寸法と誤差があることが多く、そのたびに切り落としたり継ぎ足したりといった作業が必要になるのだ。
普段は疲れ切っている作業員たちの表情は明るい。今日でやっとこのきつい仕事とお別れできる。日与もそのひとりだ。
(あいつの好きな花って何だ? 何色が好きなんだ? ちゃんと聞いときゃ良かった)
ふと日与は、いつの間にか稲日に深入りしようとしている自分に気付いた。
稲日を血盟会との戦争に巻き込んだら取り返しがつかない。そう冷静に考える一方で、無関心で冷たい連中ばかりの職場で一日働き、帰って寝床に入るだけの生活に戻るのだと思うと胸に詰まるものがあった。
明来や昴たちがいない今、稲日がする夢の話や、前向きな言葉や、笑い声は、いつの間にか日与の中で暖かい光になっていたのだ。
何か折り合いのつく案がないかあれこれ考えていると、一緒に作業をしていた作業員が変な声を出した。
「何だありゃ? カタギじゃねえっぽいな」
日与が彼の視線を追うと、工場内に乗用車が停まり、三人の男が降りたところだった。トレンチコートを着込んだ男が一人と、それに付き従うように動くレインコートの男二人だ。
日与はレインコートの男たちに眼を凝らした。異様に顔色が悪く、どこかギクシャクした動きをしている。
(アンデッドワーカーだ!)
現場監督が出迎え、日与たちのほうを指差した。男たちはそちらを見、慎重な足取りでやってきた。
ドクン!
日与の心臓が跳ね上がった。
(俺の正体がバレたか!?)
アンデッドワーカー二人が日与から少し離れた場所に立ち止まると、いつでも懐から銃を抜ける姿勢を取った。
背広姿の男がずいと前に出た。彼は死体ではない。三十代の後半くらいで、無精髭を生やしてネクタイを緩め、かったるそうな目元をしている。
喫煙者用防霧マスクの吸煙口に電子煙草を突っ込んで煙を吸い上げたあと、その男は懐から出したライセンスを見せた。天外市が正式に発行した賞金稼ぎの許可証だ。
「賞金稼ぎだ! 指名手配犯の金津《かなづ》理一《りいち》だな!」
日与の後ろでがらんとパイプを落とす音がした。振り返った日与が見たものは、背を向けて脱兎のごとく走り出した首上だった。
賞金稼ぎが叫んだ。
「逃がすな! 高額賞金首だぜ!」
ドム! ドム! ドム!
アンデッドワーカーたちは躊躇無く暴徒鎮圧銃を発砲した! 装填されているのはゴム弾だが、当たり所によっては内臓破裂・脳挫傷で死ぬこともままある危険な合法武器だ!
ゴム弾は首上をかすめ、建物に当たってガキンと大きな金属音を立てた。悲鳴を上げて頭を抱える作業員たちの横を走り抜け、首上が建物の影に消えると、賞金稼ぎたちはその後を追った。
恐る恐る顔を上げた作業員たちがひそひそ声を上げた。
「金津って誰だよ!?」
「首上の本名だろ。あの野郎、賞金首だったのかよ!」
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