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スケープゴート(1/4)
短編「痛みを紡ぐ女」も合わせてどうぞ。
1/4
ブロイラーマンは樹海に没した道路を走っていた。
汚染霧雨が降りしきる、月も星もない天外の夜。加えて鬱蒼としたジャングルの中だが血族の夜目は道を見失うことはない。
木々の合間に光が見え、ブロイラーマンは足を止めた。疵女に連絡を入れると、返事が返って来た。
「こっちはアンデッドワーカーにちょっと手間取ってます。待たなくても結構ですよ」
ブロイラーマンは光に向かい、小さな廃村に入った。
汚染霧雨の時代以前に過疎化で放置されたものだろう。だが建物は手入れがされており、洗濯物や屋内栽培施設、異態ニワトリ小屋などが見える。人が住んでいるのだ。
奇妙な印の書かれた旗がいくつも立っている。白地に赤い塗料で書かれた逆十字だ。
村の中央にある広場では、大きな焚き火をいくつも作ってかがり火にしていた。虫を誘い出すかのように。
広場には多くの人々が集まり、平伏していた。年齢も性別もバラバラで、粗末な防水服に防霧マスクを装着している。
気配を察した村人たちが顔を上げ、ブロイラーマンを見た。その額には一様に赤い逆十字が書き込まれている。薄汚れた顔や伸び放題の髪といい、ジャングルの原住部族さながらの姿だ。
何人かは敵意を露わにし、包丁や斧といった粗末な武器を構えた。
「場所をお開けなさい」
女の静かな声がした。たちまち村人たちは武器を下げ、ブロイラーマンを通した。
広場の中央には陶器のバスタブが置かれており、そこに真っ白な裸身を晒したスケープゴートがリラックスした様子で浸かっていた。シルクのように白い肌に、ゆるやかにウェーブした黄金の髪の美女だ。白目が黒く黒目が赤で、頭にはヤギめいた角。
バスタブの隣にはクレーンがあり、縛り上げられた男女が三人ほど逆さに吊るされていた。二つは頭がなく、首の切断面から血がしたたり落ちている。スケープゴートはバスタブの中でそれを浴びている。
スケープゴートは片膝を抱き寄せ、目を細めた。
「あなたの存在を遠くから感じていてよ。例の血羽ね」
ハープを爪弾くような声だ。スケープゴートはクレーンの操作係に目をやった。たくましい男がクレーンのレバーを回転させ、逆さ吊りの男を降ろした。
手元まで降りてきたその男の首を、スケープゴートは手刀を一閃させて切断した。
ドシュッ!
再びクレーン係が逆さ吊りの男を高く吊り上げる。スケープゴートは生首を手に、官能的な表情で降り注ぐ血を浴びながら名乗った。
「ああ……闇撫家のスケープゴート」
「血羽家のブロイラーマン。いい加減風呂から上がって服を着てくれねえかな」
「あら。この格好じゃ話しにくくて?」
スケープゴートはおどけたように笑い、バスタブから上がった。身を仰け反らせ、両手で髪をかきあげる。すると全身の血がたちまち蒸発して消え、白いドレスに変わった。まがまがしいデザインの槍を手にしている。
彼女は槍をひと振りした。
ビュオン!
村人たちが血走った目でその姿を崇めた。
「おお……! スケープゴート様!」
「我らの罪を! 重荷を背負いたまえ!」
スケープゴートは美しい顔立ちに歪んだ笑みを浮かべた。
「あなたも首を切り落としてシャワーにして差し上げましょう! ウフフ! どんな肌触りかしら」
ブロイラーマンは息を大きく吸ってゆっくり吐き出し、軽くフットワークを効かせてボクシングスタイルで構える。
「テメエの血の雨を降らせてやるさ!」
スケープゴートが踏み込みを入れ、鋭い連続突きを放つ!
「イヤーッ!」
ブロイラーマンは上体を振ってかわしつつ、スケープゴートが槍を引くタイミングに合わせて一気に間合いを詰めた。血の色をした鶏冠がネオンライトめいた一直線の軌跡を描く。
「オラア!」
ドゴム!
スケープゴートの顔面に拳を叩き込む! 容赦無し!
スケープゴートは大きく仰け反った。だがすかさず地面に槍を突き立てると、棒高跳びの要領でブロイラーマンに蹴りを放った。
ブロイラーマンはかろうじてブロックしたものの、大きく後ずさった。
「ウフフ!」
スケープゴートの顔面はすっかり元通りだ。傷一つない。スケープゴートは槍をブロイラーマンに投げつけた。
ブロイラーマンは槍をかわしてキャッチし、スケープゴートに投げ返した。
「オラア!」
ドスッ!
スケープゴートの胴体に自らの槍が突き刺さる! だがスケープゴートが手を一振りすると黒い霧となって消滅した。腹に開いた穴はすぐに塞がり、元通りとなった。
ブロイラーマンはいぶかしんだ。
(腕はアンチェインや梔子じゃねえ。だがこの再生能力は?!)
「疵女を破ったそうですけれど、あれは闇撫の血を授かったばかりの赤ん坊に過ぎなくてよ。真の魔女とは不滅の存在なのです! アハハハハ!」
スケープゴートは高らかに笑い、手を素早く左右に振った。そのたびに黒い霧が噴出し、十本もの槍が空中に現れた。そのすべてが穂先をブロイラーマンに向け、ミサイルのように放たれる!
ドドドドドド!
ブロイラーマンはスケープゴートに対し大きく孤を描くように走ってこれをかわした。槍が尽きると急角度で向きを変え、スケープゴートに向かって突進をかける。
スケープゴートは新たな槍を作り出して迎え撃とうとしたが、間に合わない。
「オオオオラアアア!」
全速力で勢いを乗せた対物《アンチマテリアル》パンチ!
ドゴォオ!
スケープゴートの頭がスイカのように潰れて飛び散る!
再生能力を上回るダメージを与えれば……というブロイラーマンの目論見に対し、スケープゴートの頭はたちまち新しいものが生えてきた。血管が伸び、肉が盛り上がり、頭蓋骨で覆われ、皮が張って髪が伸びた。すべては一瞬だ。
「スケープゴート様! 我が罪を……ぐわあああ!」
その悲鳴にブロイラーマンは振り返った。二人を遠巻きに取り囲んでいる信者の頭に刻まれた逆十字が赤く光り、消えた。そしてその信者の頭が突然、爆ぜた。
グシャア!
眼を凝らせば顔面が潰れている女、腹に穴が開いている老人の姿も見える。その者たちに限って逆十字が消えている。
(まさか!)
「おや。やっと察して?」
信者たちは五十人はいるだろうか。そのうちの十人ほどはまだ子どもだ。
「テメエ……! 自分のダメージを他人に渡してるのか?!」
「その平民どもは好き好んで運命を受け入れているのです。不滅の存在であるわたくしを崇め、罪を清めてくれるものだと思い込んでね」
スケープゴートは笑った。
「四百年前から平民は愚かなまま。所詮は虫も同然!」
ブロイラーマンは拳が震えるのを感じた。無関係な人間を殺してしまった。どんな強敵にすら恐怖することなかった日与も、その事実には青ざめた。
いっそ虐殺する覚悟で攻撃を続けるという手もある。だがそれで勝ったとしても、その瞬間に自分は明来や永久たちとは完全に別の生物になってしまうのではないか?
あらゆる苦悩は瞬時、脳裏をよぎったのみだ。日与の意識はすぐに鋼鉄の意志を持つブロイラーマンに戻った。
(これ以上は殺せねえ。だがスケープゴートが食らったダメージを信者に肩代わりさせられるなら、どうやってこいつを倒す!?)
ふと、リップショットの能力に思いが至った。聖骨の盾ならば闇撫の能力であっても封印できるのでは?
だが彼女は今、血盟会最強と言われるヒッチコックと死闘を繰り広げているはずだ。これ以上の負担はかけられない。その上リップショットにはまだ鳳上の能力を封じるという大仕事が残っているのだ。
(こいつは俺の担当だ。今この場で俺が殺す!)
血族であり人間でもあるブロイラーマンは決意を固めた。とは言え、これといった策があるわけではなかった。
ブロイラーマンが動かないのを見て取ると、スケープゴートが攻めに転じた。さらに鋭さを増した突きを小刻みに繰り返す!
ブロイラーマンは防戦に徹した。攻撃をかわし、パリングで弾き、あとはひたすら退き続けた。
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