花束日誌2
某月某日
夕刻、東中野で催された「サクラコの会」へ。朝吹亮二、小林坩堝、佐野裕哉、藤井一乃の四氏が中心となって、一月に急逝した榎本櫻湖さんに「心を寄せる」(案内文より引用)ために企画された会。あらかじめそうなると藤井さんから聞いていたのだが、生前の榎本さんと面識のあった人もなかった人もおそらく百人近い規模で集まり大盛況。泉下の客となった榎本さんもこのにぎやかさなら浮かばれるだろう、というか浮かばれてほしい。普段からもともと人の集まるところには行かないので、久しぶりに顔を合わせる人も多かった。
もう様々な人が書いたり、この会の席上でも話題にあがったりしたのだが、とにかく榎本櫻湖という人は率直にものごとを言ってしまうタイプの人だった。それが誤解を生み、場合によっては人間関係の決裂をもたらしてしまうこともあった。
私自身は彼女に直接会う機会はあまりなかったのだが、たまたま一緒に世田谷の町中華で食事をしていた際に、その率直さに触れてしまったことがある。棒棒鶏だかカタ焼きそばだかに舌鼓を打っていると、榎本さんはにこやかな表情でこんな不意打ちを食らわせてきた。
「久谷さんって、絶対に表には出さないけど実はものすごく差別的な人だよね」
首を縦に振ることはためらったが、あながち間違いでもないかもしれない。とりあえず、私は困ったような顔をつくり肯定とも否定ともつかぬような生返事をして、相手の出方を待つことにした。ところが、榎本さんのほうはそれ以上に何か言いたいということは特になかったらしい。「まあ、君の言うとおりだろうね」とひとりごとのように呟いて、そのまま食事を続けたのだった。
あのとき、私の中には差別意識なんてかけらもない、とその場の勢いで安直に口走らなくて良かったと今でも思っている。というよりも、目の前の榎本さんの表情は穏やかだったが、そう口走らせないような何かがあった。この世には自らの精神の高潔さをまったく疑おうとしない人間たちがどれほど多いことか。榎本さんは我の強い人間ではあるが、決して自らの規範を盲信する者にはならなかった、いや、なれなかった。むしろ懐疑的にすぎる人間だっただろう。そして、その懐疑的姿勢こそが率直さと同時に、ある繊細さにも繋がっていたのではないだろうか。