『キョーレツナリズム』番外編・「湾岸スタジオにて」
(2012年発表の再録)
96年10月、大田区東糀谷の湾岸スタジオにて。
鈴木博文さんは言った。
「坂本君にここに来てもらうのはひさしぶりだねえ」
「6年ぶりくらいですかね。前にオムニバス盤に参加させてもらった時以来ですね」
「なんか時のたつのは早いね」
「でも、ここはちっとも変わってないですね」
「10年くらい変わってないよ」
「それ以上でしょう・・・なんか、ここに来ると昭和30年代の映画の中に来たみたいなんですよ。なんか町工場を舞台にした青春映画とか」
湾岸スタジオは、ムーンライダーズの鈴木博文氏が自宅の一室を改造して作ったレコーディングスタジオだ。スタジオ85年開設、メトロトロン・レーベル87年開設。以来、自主制作の重要な拠点として、羽田飛行場から渡る海風も届く場所にひっそりと存在し続けている。外観は、まるで普通の家屋。それもそのはず、現在も家屋そのものだからだ。
「博文さん、このスタジオって防音してるんですか?」
「している。いや、国がしてくれたんだ。この辺はね、川崎の京浜工業地帯にかけてだらだらと工業地帯だったから、昭和の『公害』のメッカだったの。スモッグもすごかったんだけど、騒音もすごかった。だから、国の補償で防音工事してくれた」
「それ、すごいですね!それを逆手に取ってスタジオにしちゃったわけですよね」
「まさにそう。本来は外からの騒音のための防音が、ここでは内から外への防音なわけ。でも、家の中のおのおのの部屋同士には防音してないから、ここで作業した音はとなりの部屋に十分響く」
「あはははは」
ここは居心地が良い。もともと長年使い込まれたスタジオというものは、もう『音を鳴らす場所としてできあがってる』感じがあるのだが、ここはさらに生活実感がある。個人スタジオとして風格があるというか、もうほとんど博文さんの部屋というか、なんか博文さんの頭の中の散らかりが具現化した場所のような感じなのだ。
「今回は変な仕事頼んじゃってすまないね」
「いや、ひさびさに博文さん直々のお願いですから、張り切りますよ。だって、慶一さんと双璧さんのデュオだし」
そうそう、昨年末に行われたイベント『ザ・忘年会』で顔を合わせた鈴木慶一さんと山形双璧さんが意気投合して、いっしょにミニアルバムを作ろうという事になったのだ。その中の1曲は、博文さんのギターと、慶一さんと双璧さんのヴォーカルだけ、という渋いアレンジにしようと思ったら、双璧さんがいきなり「曲のエンディング部分だけ、坂本周作君にオーケストレーションつけてもらおうよ」と言い出したのだ。
「僕は『ザ・忘年会』は行けなかったのだけど、昨年まで僕のマネージャーやってくれた女の子が双璧さんのサポートで出たんですよ」
「あ、ウワサの幹さんという人だよね。なんか、一度もお会いしなかったなあ」
「博文さんと仕事したのは6年くらい前だから、ちょうど僕が幹ちゃんに会う前だから、なるほど一度もいっしょにここに来てないですね」
「まあ、マネージャーいると、うちみたいなギャラの安い仕事は頼みにくいから、逆にあまり連絡しなかったというのもあるんだけどね」
「博文さんの仕事だったらタダでもやったのに・・・」
「まあ、あんまり甘えてもいけないよな。でも、幹さんという人には会ってみたかったな。双璧さんも気に入ってたし」
「なんか、男前な、女の子だったですよ」
「へえ、なおさら会ってみたかった」
湾岸スタジオのレコーダーにマッキントッシュで作って来たオーケストレーションを吐き出している。生音を加える前に、この部屋で鳴らしてみたい。
「・・・博文さん、大きめな音で鳴らしてもらっていいですか」
「オーケー」
「となりの部屋に、うるさがられちゃうかな」
「ここではいつもの事だから、気にしない気にしない夏秋君のドラムを録ったりもしてるんだから。。。」
作って来たオーケストレーションが大音量で鳴った。ああ、なんか音が太くなってる。ここの機材の、いい具合のくたびれ加減と、この部屋のオーラがそう聞こえさせるのだろうか?
博文さんが言った。
「ああ、ドリーミーなオーケストレーションだなあ。いいなあ・・・ディズニーというより、『夢であいましょう』的だね」
「いや、だって、中村八大、大好きだもの」
「こういう打ち込みで、ドリーミーなオーケストレーションするのって、80年代には少し登場したけど、最近絶滅してきちゃったなあ」
「そうなんですよ。シンセ音源は、生音の模倣でも、がりがりのテクノでもない使い方がある。それみんな、忘れがちなんですよ」
「うん、さすが坂本君だ」
「このオケに博文さんのギターと、僕のマンドリンのトレモロを乗せたいんです」
「おお、早速やろう」
オケには、途中からヴィンテージ・キーズ音源を使ってメロトロンの音が入って来る。その部分からギターのバッキングとマンドリンのかきむしる音を入れるのだ。
「用意できたら、録るよ・・・」
博文さんはそう言うと、オケの少し前の部分からテープを回した。二人でギターとマンドリンを弾いた。
「坂本君、マンドリンのリズム…よれてたよ」
「すいません、もう1回」
結局4回録った。最後のテイクを使う事にした。
「あ、いいぞ、生っぽく聞こえて来た」
と博文さんは言った。
「・・・でも、生っぽくない感じも残したいよね?」
「博文さん、やっぱり分かってるなあ」
こうしてミキサー卓に向かう博文さんを見ていると、なんかとなりの部屋で普通にテーブルが置いてあって、テレビで『ドラえもん』とか流れたりしているのが不思議な感じだ。いや、むしろとなりのお茶の間からすると、ときどき博文さんが深夜までミックスとかしていて音が鳴っていると、まるで自宅で旋盤工の下請け会社でもやってるお家みたいに、「お父さん、今日も遅くまでやってるね」という感じなんじゃないだろうか。ここは町工場の中の作業場のようなスタジオ!
今はやりのイギリスのブリット・ポップは、グラスゴーやコベントリーとかの工業都市から飛び出して来た。ここ湾岸スタジオから生み出された音楽は、それらに対抗する正しいロックなんじゃないだろうか?
「それで坂本君、このオーケストレーションと歌の終わり部分はどうつなぐ?」
「それそれ、つなぎの部分をちゃんと作ってきたんですよ。これ」
ドラムのスネアのマーチングとオルガンの通奏低音だ。
「これを歌の最後サビから重ねたいんですよ。もとの歌のテンポに合わせて作ったけど、やりながら微調整できるし」
「このスネアのマーチングはどこからサンプリングしたの?」
「あ、これ、僕が自分で叩いたのをループにしたんです」
「マーチングうまいじゃない」
「いや、必死でした、けっこう」
元の歌は、ギターといっしょにけっこうリズムが揺れているので、かっちりではなく、むしろ曖昧にマーチングとオルガンを乗せていった。なんとかうまく乗っかった。
「これで、さっきのオーケストレーションにつなげて下さい」
「おお!うまくつながった。一気に幕が開いたらオーケストラがいた!という感じだよ」
「やった!」
ここで一息入れる事にした。博文さんが、ポットにコーヒーを入れて持って来た。二人でコーヒーをすする。
「薄めに入れてますね」
「いや、スタジオ作業で何杯も飲むと胃がもたれるからね。もう若くないし」
「何言ってんですか」
スタジオ内の椅子も古風だ。そしてコーヒーをすする。とても昭和な空気なのだ。本当に『夢であいましょう』の音楽を作ってるような気になって来る。
「博文さん、あの6年前に僕がここで録音させてもらったとき、僕はパーカッション忘れて帰っちゃったの覚えてます?」
「あ、確かそうだったね」
「で、電話して"取りに行きます"と言ったら、博文さんは、あ、わかった来て来て、と言ったんですよ」
「そうだっけ?」
「でも来たら、玄関で呼び鈴押しても誰も出て来ないの。さらにどんどんと叩いてもだめ。ありゃー留守かー、と思ったけど、試しに扉開けようとしたら、開いてる!家の中覗き込んで、坂本ですー、誰かいますかー、て叫んでも誰も出て来ない。しょうがないから、おずおずと中に入って、もう一度大声て、スタジオは入りますよー、と叫んだけど、やっぱり誰もいない。で、忘れたパーカッション取って、大声で、忘れ物持って帰りますよー、と大声で叫んだ。で、帰って来た。博文さん、こんな不用心な家ないですよ」
「あ、そうか、そんな事あったねえ」
そんなエピソードも、なんかこの湾岸スタジオに似つかわしいのだ。このゆるい空気感、そして生み出される音楽も一聴するとゆるそうなんだけど、よく聴くとけっこうぴりりとしてる。それが湾岸サウンドだと思う。
「ねえ坂本君、どうして昨年までの女性マネージャーは降りちゃったの?」
「・・・降りちゃったんじゃなくて・・もしかしたら、けんか別れです・・」と言った後に付け加えた。「・・それもちがうかな」
「恋人だったの?」
「はい」
「ひょっとして坂本君て、惚れっぽい?」
「あ、惚れっぽいですね」
「で、飽きっぽい?」
「いや、好きになったら、けっこうずっと好き」
「なのに、けんか別れ?」
「ちがうんですよ。僕が傷つけたんです。僕が、別の子をもっと好きになっちゃって」
博文さんは、しばらく黙ってから、ぽつりと言った。
「・・そういう事って、起こるよなあ、確かに・・」
「たしかに」
「かえって正直なんじゃないか?」
「何がです?」
「だから、別に好きな子ができても、元の恋人に黙ってて、つき合うふりしちゃうやつもいるだろ。それよりは誠実だよね」
「・・・僕もそう思ったんですけどね」
「まだ申し訳ないと思ってるんだ?」
「苦労させたし、ひどい事したなと、たまに思います」
博文さんは、もう一度黙った、そして、天井を見つめながら、何かを考えていた。自分の経験に照らし合わせているのかもしれない。
「・・・自分で、ひどいやつと思えば、果てしなくひどいやつだし、でも、しょうがないと思えば、それはしょうがないんだよ」
なんか、一言一言に重みがあった。でも、ずしり、ではない。ああベースアンプは重いなあ、くらいの重さ。
「俺はたぶんそれはしょうがないと思うよ。事情はよく分からないけど・・」
「なんか・・ありがとうございます・・」
「坂本君、ビールでも飲むか?」
「いただきます」
「あんまりスタジオに来た人には酒は振る舞わないんだけどね」
博文さんはビールを取りにスタジオから出て行った。スタジオの扉を開けると、そこにはちょうど家の電話があって、博文さんの娘さんが友達とおぼしき相手と長電話していた。博文さんは扉を開けっ放しにしていたので、娘さんのいかにも「今の女の子同士の会話」がひとしきり聞こえた。そして、博文さんがビールを持って戻って来た時に、ちょうど娘さんは電話が終わるところで、「・・・あばよ、またな」とか言って受話器を置いた。博文さんは苦笑いしてビールをテーブルに置いた。