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#9 三歳前にひらがなを習得した神童は将来どうなるのかというはなし

インスタグラムで0歳とか1歳の子の可愛らしい動画を見て癒される。おなかがすいて泣いてるのもかわいい。寝返りからの寝返り返りができなくてかわいい。つかまり立ちからどうしていいのかわからないのもかわいい。できなくて泣いちゃうのもかわいい。イヤイヤもかわいい。言い間違いもかわいい。全部かわいい。


自分の子どもが大きくなってみると、小さい頃はよかったなとか本当に思う。「うちの子、まだ寝返りしない」とか「ずりばいから全然ハイハイする気配がない」とか「1歳すぎたのに歩かない」とか「食べムラがすごくて離乳食がすすまない」とか、、なんか小さな悩みだったなと思う。
多分、今、そのフェーズにいるママたちは、月齢が近い赤ちゃんにできていて自分の子にできないことを見て焦り「私の育て方が悪い?」「うちの子、発達障害?」とかネットで色々調べてたりしてるんだと思うんだけど。

当時は言われても全然ひびかなかった「小学生くらいになったらどうせみんなできるんだから焦る必要ないの!ずっとハイハイしてる大人もいないし、オムツ取れてない大人もいないんだから、この子もいつかは歩けるし、オムツもとれるわよ!!!」みたいな感覚で見てしまう。当事者と部外者の目線の違いもあるだろうけれど。



かく言う私も、周囲の子どもと比べて焦ったり優越感を感じるタイプの母親だったと思う。長女は比較的育てやすい子だった。

支援センターに行けば、他の子供と自分の子どもを比較する。「10ヶ月なのにまだハイハイしなくて…」と言うママの横を7ヶ月の長女は颯爽と高速ハイハイで駆け抜けて行った。滑り台をハイハイで逆走したり、遊具の階段部分をどんどん登っていく。
閉園時間に帰りたくないと泣き叫び玄関で大暴れする1歳の子を横目に、うちの子は「あと10分でしまるから、最後にすべりだいすべったら帰ろうね」と言うと、滑り台の後にすんなり自分のベビーカーにおさまる子だった。


優越感を感じた。運動神経も良い、理解力もある、うちの子は神童かもしれない…と思いながら1歳の娘を育てた。(もちろん、人並みにイヤイヤはしていたけれど、同世代の子のイヤイヤの規模とは全然ちがった)

1歳半くらいからはどんどん喋るようになり、次女の出産の前後で数ヶ月入っていた保育園では「2歳前とは思えないくらいおしゃべりが上手」と先生たちの間で有名になった。保育園の毎日の体力作りタイムでは”グラウンドのトラックにそって走る”という意味が理解できないで好き勝手に動き回る園児がたくさんいるなかで、長女は黙々とトラックにそって走り続けた。そして誰よりも速く、途中で疲れて歩く子たちを横目に、最後まで楽しそうに走り続けた。

長女が2歳になり、次女が生まれた。
乳児をかかえて、2歳になった「神童」を育てるのに私は必死になった。巷では「3歳までにその子の能力が決まる」と言われている。その言葉がより一層私をあせらせる。3歳まであと○ヶ月…とカウントダウン。
脳へ刺激を入れるために、公園、児童館、幼稚園の園庭開放、支援センター、四季を感じる行事やイベント、毎日いろいろなところへ出かける。いろいろな知育グッズをやらせる。英語の聞き流しやDVDをかける。2歳3ヶ月の頃には「じゃゆありー」と流暢な英語で12ヶ月を言えるようになった。

2歳半で幼児教室に入った。そこでも長女の活躍は眩しかった。0歳のころから入室し英才教育を受けていた子どもたちよりも、はるかに優秀だった。
10枚の絵を記憶する、物語の暗唱を面白いようにすらすら覚える、長女の能力は贔屓目に見ても素晴らしかった。

3歳になる前にはひらがなが全部読めた。外に出れば、街にあふれるひらがなを全部読んだ。3歳後半で幼稚園に入園した。ひらがなで書いてあるお友だちの名前(同級生だけでなく、年長さん・年中さんも。その数ざっと150人)をあっという間に覚え、年少のころから色々なお友だちにひらがなで手紙を書き、その親を驚かせた。幼稚園のママのあいだでも「長女ちゃんは賢い」と有名になった。



それから6年が経過している。長女はもうすぐ9歳になる。

ひらがなを習得してから6年経つというのに、もう3年生だというのに、まだたまに書き間違いがある。先日も「あやしい」を「あかしい」と書いていた。文字に対する意識が「いい加減」だなと感じる。
本が大好きで活字中毒くらいに本を読むが、読み飛ばしの癖があるのか内容をしっかり理解していない時がある。たまに読んだ本に対して「わからない言葉あった?」と聞くようにしている。長女は「なかった!」と自信満々に言うが、一緒にその本の文章をたどりながら難しめな言葉を「これってどういう意味?」って聞いていくと、ちょくちょくわからない単語が出てくる。本人が読んでいる時に気にならないのはおかしい。その意味がわからないまま読み進めていって、話の筋が通らないなと思わないのがおかしい。


あんなに早く言葉を習得したのに、その結果が「コレ」かぁ…とたまに思ったりする。もし普通の子同様に年長くらいで自分の名前が書けるようになり、1年生の授業でしっかり習っていたらどうだったのだろう。今より言葉の習得率は悪かったのか、今とほとんど変わらなかったのか、それとも今よりずっと言葉を大切に慎重に扱っていたのか………それはわからない。

でも言い切れるのは、人よりも早くひらがなを覚えたからと言って、それがその後の学力には直結しないよということ。


脳の働きの関係で、小さい頃の方が見たものを覚える力、聞いたことを覚える力が優れている。その吸収力たるや大人の常識を覆す。大人では考えられないほどの力でいろいろなものを吸収していく子どもを見て、大人たちは「神童」だと思う。

だが、成長につれて、脳は不要な部分を削っていく。そして我々のような「普通の脳」に近づいていく。
大量にいた神童はどんどんふるいにかけられ、ほとんどの子どもは普通の児童になっていく。生き残るほどの強い脳を持ったものは”ギフテッド”と言われて、生きにくさと戦うという次のステージがある。


「子育て」というのは正解がないから怖い。
「3歳児神話」のように、幼少期に決まると考えられることが多すぎるから怖い。与えないまま「臨界期」を逃すのが怖いからと、与えすぎてしまう。それが間違っているということに気づくのはずっと後になる。同じ人間は2人としていないから、自分の与えたことに意味があったのか、なかったのかの検証ができないから怖い。SNSを見ていると我が子と同じ年齢ですごい子がたくさんいたり、色々な知育を与えている情報が大量に流れて来て怖い。


はじめから、私の子が普通の子であると知っていたら、3歳までのあの時期にあんなに焦って子育てしていただろうか。人より早い時期にハイハイすることに必死になっていただろうか。必死でひらがなを覚えさせただろうか。


……きっともう一度、ゼロから子育てをはじめたとしても同じかもしれない。結果がわかっていても、巷に溢れる情報に怯えて必死になると思う。私から生まれ、私が育てた子は「こう」にしかならないなとわかっていてもいい。それが「子育て」なのかもしれない。3歳児神話も、知育も、幼児教育も関係なく、小3でここに着地したとしても、それを選択できるのは親だけなのだ。



小さい子を育てる親御さんには、親としての自分の選択に怯えなくていいし、悩まなくていい。やらせた方がいいと思ったらやらせるし、やらせても意味ないと思ったらやらせない。何をしても、しなくても同じようなところにしか着地しないよと言ってあげたい。


神童のようなお友だちを見て焦っているママさんも、いつかその神童も成長とともに自分の子と大差なくなるんだろうなと思いながら、自分の子をゆっくり育ててあげてほしいと思う。





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