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この新しい朝に

40回目の誕生日に自分の頭を撃ち抜く奴は あまりに一途な理想と望みを描き続けたそんな男さ(浜田省吾「MY OLD 50'S GUITAR」)

40歳になった数年前が、それまでで一番の精神的危機だったように思います。その頃からしたら、まさか数年後、自分が仕事を辞めるとは思いもしなかったですけどね。

40にもなると、先が見えてくると言うか、もう自分が別の何者かになることもないし、特別に何かを成し遂げることもないと。そのことに気づくわけです。気づくのが遅すぎるのかもしれませんけど。
思えば、いつの間にか普通を目指したことが問題だったのかもしれません。あまりに長い時間、独身で好き勝手やってきたのに、その頃、遅い結婚をして、子どもが生まれて、ヘビーな仕事も重なって。元々、器用に立ち回れる方じゃないですから、まあシンプルにキャパオーバーですね。家庭を持てば仕事も頑張れるって、あれウソですから。あれ、普通って、普通の生活って、こんなに大変だったんだと。もともと自分が普通を苦手にしているのは知っていたのに。

その頃、社会学者、高田保馬の「結合定量の法則」を知りました。きっかけは仕事がらみの講演会で、講演自体は大したことなかったんですけど、講師がさらっと紹介した「結合定量の法則」がやけに印象に残って。これだと。
「結合定量の法則」を簡単に言うと、一人の人が人間関係に割ける熱量の総量は決まっていると。変わらないと。平たく言えば、愛すべき家族が3人いたなら、人間関係に割ける総量は変わらないので、愛情を3分の1にしなきゃいけない。まあ身も蓋もない話ですね。当然の話でもあるんですけど、なぜかちょっとタブーの考えになっていて、だって2人目の子どもが生まれたら、よし、お前たちに注ぐ愛情は今日から2分の1たぞって。でも、これが当時、キャパオーバーの僕には響いた。
仕事でもそう。よくありがちなのが、みずほナンチャラとかそうですけど、トラブルが起きると途端に人を増やす。で、人を増やせば増やすほど混乱して、ますますトラブルが起こる。気をつかわないといけない人間が増えすぎて、さらに仕事の質が下がる。
仕事の基本は上司への報連相とか言いますけど、僕はこれにはやや否定的です。いや、報連相の相手が限られてたら悪くはないんですけど、しなきゃいけない人が多すぎたら、元々うまくやれる人でも失敗します。報連相しないで済むのなら、しない方がいい。だって一人の人間が持ってる熱量の総量は変わらないのですから、それが身内の人間関係に大部分を割かれるのはもったいないでしょう。

こうして僕は40歳にして高田保馬マニア、通称ヤスマニアンになりました。とにかく無駄な人間関係を省いて、自分の人生をシンプルにする。当然の帰結としてミニマリストになりました。
と言っても、大げさな話では全然なくて、しょうもない話なんですけど。最初に言っときますけど、しょうもない話をします。
まず年賀状を書くのを止めました。次に、会社の飲み会に行くのを止めました。ただ、どうしても断れない飲み会が年2回くらいあって、そのときは行くんですけど、お酌したり席を回って挨拶するのを止めました。
あれ意味わかんないですよね。お酌するの。僕はお酒、飲めないんで、お酌されるのすごい嫌なんです。されたら、相手を見て、飲めないからって丁重に断るか、それができないようだったら一旦注いでもらって飲まないかの2択なんですけど、なんてめんどくさいんだと。ただ、僕も社会人になってからは、郷に入りては郷に従えじゃないですけど、それが社会のマナーだと、コウハイはセンパイに、ブカはジョウシにお酌する。ずっと、そうしてきました。
でも考えてみてください。僕は飲めない。お酌されるのは嫌だ。でも飲めない僕は、社会のマナーと言うか、空気読んでお酌をする。でも、その相手だって、お酒飲めない可能性あるんですよ。飲めない奴が飲めない奴にお酌して、飲め飲めと苦しめる。こんな滑稽な光景ありますか。
そう言うと、そんなの周りを見てれば、この人はソフトドリンクだなとか、この人はイモ焼酎のお湯割りだなとか、分かるだろうと。気を利かせて、気を配って周りを見れば分かるはずだとか言う人いるんですけど、なんなんでしょうね。結局、ニホンのカイシャのノミカイって踏み絵なんですよ。遊びの場なんだけど、遊びの場で気の利く奴、かゆいところに手の届く奴が評価される。
これ僕が一番嫌いな文化です。もちろんこれは一面事実で、たしかに遊びの場で気配りできる人は仕事の面でも気配りできて上役に重宝される、それ自体を全否定はしないけども、一方で、そんな風に身内に過剰な、余計な労力をかけるから、ニホンの生産性は低下するんじゃないの?とも思うわけ。そもそも、人間は飲みたいときに飲みたいものを自分で飲めばいいんであって、なんで上司の飲みたいものを先回りして出さなきゃいけない?
たぶんこれって、草履を暖めて評価されて出世した豊臣秀吉の呪いだと思います。全部、豊臣秀吉が悪い。いや、織田信長のせいか。寒いなと思えば織田信長が自分で草履を暖めればいいだけの話ですから。

ともかく、そうして、僕は40歳にしてヤスマニアンになって、周りに気をつかったり空気読んで消耗するのはもう止めにしました。
そんな中、新型コロナウイルスの狂騒がやってきました。新型コロナウイルスの危機でも襲来でもなく狂騒です。最初はコロナ禍はヤスマニアンにとって暮らしやすくなったなと思いました。しかし、それは長くは続きませんでした。
ちょっと話が長くなってしまったのて一旦休憩します。(後半へ続く)

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