楠浦と「発明塾」の過去発明紹介(6)~「小松製作所(Komatsu)」時代(番外編)
コマツ時代、実は、IoT などという言葉がなかった時代に、
「IoT」
を実現しようとして、研究開発を行っていました。
今回は、それを紹介します。
● 「風車IoT」の着想を得る~「データ」は「権力」
ここまで紹介した通り、コマツ時代は、風力発電関連の新規事業開発を担当していました。売るものがないと始まらないので、まずは、その開発と設計から、仕事が始まりました。
設計をしていて感じたこと。
それが、風車関連の設計は
「データ持ってる人の言いなり」
だ、ということです。
ここで、データ持ってる人は
「ジャーマンロイド(Germanischer Lloyd)」
です。
彼らが持っている
「風車の挙動」
に関するデータをもとに、すべての部品を設計する必要があります。
「オーバースペックなんじゃないの?」
とかいう議論は、こちらにデータがなければできません。
与えられたデータをもとに、粛々と設計を行う
「よい子ちゃん」
設計者には、都合のよい状況でしょうが、あいにくこちらはそういうタイプではないので、何とかしたいといろいろ考えました。
結論は
「独自のデータ収集システムを持つべし」
です。運よく、コマツは
「KOMTRAX」
を持っていました。僕が在籍していた当時は、KOMTRAXも、まださほど評価されていませんでしたが、とにかく社内に技術はあるわけなので、早速、平塚と川崎にいる研究者/技術者に相談しに行くことにしました。
「IoT」(当時、この言葉は存在しません)
は、当時の僕にとって
「設計の民主化」
を意味していたわけです。
(あるいは、新たな権力を持つこと)
● 「絶対無理」の大合唱
当時の僕のアイデアは、おおよそ以下です。
① 風車の「とある」部品に、「力」を測定できるセンサーを付ける
(どこにつけるか、は重要です)
② そこから、有線で地上のPCへデータを持ってくる
(風車本体は、控えめに言っても、地上80m以上の位置にあります)
③ そのPCから、無線通信で日本までデータを飛ばす。
(風車が立つようなところは、電話線は来ていません)
書くと、簡単です。実際、技術的にはさほど難しいことはありません。
ですが、これまたよくあることで、相談した大半の人が
「それ絶対無理」
と言ってくれました。ありがたいですね。
当時の上司なんて
「データ通信量が莫大になって、会社が破産する」
とまで、言ってくれちゃいました(笑
2003年です。
日本はまだ、携帯電話はアナログ通信でしたが、クアルコムが既に
「デジタル無線通信」
を実現し、普及にかかっています。
無知とは恐ろしいですねぇ。
「どんどん安くなる技術」
を前提せず、
「今ある技術」
の枠内で考えると、
「風車IoTを推進すると、通信費で会社が倒産する」
という結論が出ます(笑
真顔で主張する部長の様子が、めっちゃ滑稽で笑いが止まりませんでした。
● 別の部長を説き伏せ、試作を開始
当時、設計部門の部長と、事業開発部門の部長のワンマンツーボスで、予算は事業開発部門の部長が握っていたので、設計の部長は無視して、試作を開始します。
どうせ転職してきているわけですから、怖いものはありません。そもそも、成果が出ない方がよっぽど怖いですし。
試作にあたり、簡単なプログラムを組む必要があり、その研修にも行きました。今は一般的ですが、計測機器の分野には、GUIからサクサクプログラミングできるツールがあることを知り、感動しました。
試作を完了するところまではやりたかったのですが、諸般の事情で、それは別の研究担当の方にお任せすることになり、僕は Start-Up の立ち上げにかかわることになります。
楠浦 拝
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